福永の "もうひとつの顔"「探偵小説作家・加田伶太郎」の作品を中心に、推理小説、エッセイ、翻訳作品などを収録。
第9巻について 目次 資料
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福永武彦電子全集第9巻について
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第9巻 『完全犯罪』、推理小説の領域
ペンネーム加田伶太郎名義の小説を中心に、エッセイ「深夜の散歩」、推理小説に関する小文・解説、および翻訳『矢の家』などを収録。
Ⅰ.『加田伶太郎全集』
推理小説に於ては、著者の加田伶太郎は文学作品を創造することを目指してはいない。本名で発表される象徴主義小説は、その文章を以て読者に人生の本質的一断面を追体験させ、想像力を刺激して別様の世界を垣間見させることを目的として書かれる。言い換えれば、読者の知性と感情の総和に訴えて、日常とは別次元のカタルシスを体験させるために書かれる。
これに対して、推理小説は文章そのものよりもその内容、「筋とトリックと推理」を本質的要素とし、読者の分析力、推理力に訴えかけ、一時の知的愉楽を与えることを目的とする娯楽作品である。
つまり、藝術小説に於ては、喚起的文体を用い意識的に空白(謎)を作ることで、読者の想像力の参加を誘い、日常生活から飛翔したひとつの別世界を体験させることを目的とするのであり、文章ソノモノが本質的要素であるのに対して、推理小説では、文章ソノモノはそれを読者に伝える道具に過ぎない。コトバひとつひとつが担う役割り、重さが異なる。これが、当全集で加田作品には「本文主要異同表」を附さない理由である。
Ⅱ.『深夜の散歩』
年季の入った推理小説ファンである福永が、好みの作品や作家について真正面から、しかし愉しみつつ執筆したエッセイ。「EQMM」雑誌初出文「深夜の散歩」には毎回小題が附されているが、続く中村の「バック・シート」と丸谷の「マイ・スィン」には各回の題はない。単行本『深夜の散歩』(1963)では、中村と丸谷の連載文冒頭に小題が新たに附されているが、福永連載文では文末***以下が増補されている点も注目したい。どのような文も疎かにせず「手入れをする作家福永」の姿をここにも見ることが出来る。
Ⅲ.『矢の家』
福永武彦訳名義の『矢の家』(1956)には、下訳者がいる。詩人・翻訳家の多田智満子であるが、この点は、今までまったく知られていない。多田はこの年26歳、第一詩集『花火』を書肆ユリイカから刊行している。当時の福永の生活・執筆状況から推して、この長篇の翻訳稿に多くの手入れをすることは時間的に不可能だった筈である。
それでも自らの名で刊行したのは、推理小説の翻訳は、福永にとっては藝術小説の翻訳とは一線を画し、「筋とトリックと推理」が読者にちゃんと伝わる文章であることが必要かつ充分な条件なので、一語一語に拘って手入れする必要は認めないということだったのだろう。
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目次 ◎は単行本・新潮版全集未収録作品 |