一高在学時代の詩篇・俳句から、第一詩集『ある靑春』、「詩集」と扉に記した『福永武彦詩集』各版、そして歌集『夢百首 雜百首』まで、詩人・福永武彦の創作物を重複を厭わずすべて網羅。
第19巻について 目次 資料
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福永武彦電子全集第19巻について
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第19巻 詩人、福永武彦
Ⅰ.『ある靑春』
福永自身が最も愛着を持ち、福永文学の魅力を湛えた「福永本、この一冊」を挙げるとすれば、詩集『ある靑春』をおいて他にはない。内容は、1930年代半ばから40年代初めにかけて書かれた詩篇21篇から成り、「附録」としてボードレール、マラルメ、ロートレアモンの翻訳を収める。福永の堅固な詩的世界と川上澄生の質朴かつ雅趣のある創作版画が一体となった、現代詩集中屈指の傑作である。
第一高等学校時代から東京帝国大学仏文科を経て、1943年(25歳)作の「眠る兒のための五つの歌」までを収録する。それらの詩篇は「抒情詩から次第に象徴詩、純粋詩を目指して歩いた」(「ノオト」)という言葉にある通り、福永詩の初期から中期への変遷を示す。
そして、その象徴詩、純粋詩の文学的源泉としてのボードレール、マラルメ、ロートレアモンの訳詩4篇が「附録」として同時に収められているが、これらの訳詩は「殆ど創作に近い辛苦を注いだものであり、僕の愛着もまた自作の詩に劣ることはない」と言う通り、一篇一篇が「作品」であり、161ページのほぼ半分の分量を占める。この翻訳の辛苦の中からもまた、福永は象徴詩創作の秘密を探り出し、詩人としてのメチエを鍛え上げた。その意味で、この附録の訳詩は、第一詩集『ある靑春』だけでなく、福永詩篇を考察するに際して欠かせぬ意義を持つ。
Ⅱ.『福永武彦詩集』
福永武彦は、1966年に自ら一冊の詩集を編んだ際、その本の平と扉に「詩集」とのみ記した。この意味は大きい。この『詩集』には「ある靑春」、「夜 及びその他のソネット」、「死と轉生 及びその他の詩」という3つの季節を含む。そして、全体として福永武彦の精神的風土を示す。
「ある靑春」は、高等学校時代の抒情詩から始まり、大学に於いて学んだ象徴主義文学の実作として象徴詩への遷移を示し、「夜 及びその他のソネット」は、マチネ・ポエティク時代に成った押韻定型詩の見事な果実であり、「死と轉生」は戦争と療養所での、死の境を潜り抜ける切実な体験を経て創り得た、自由詩型象徴詩の頂点である。
そして、この3つの季節を纏めて発表した際に、福永が「詩集」と銘打ったのは、マラルメのPoésies「詩集」という範例に倣ったことは間違いない。
つまり、『ある靑春』と『マチネ・ポエティク詩集』(中の作品)は、共にこの『福永武彦詩集』に収録され、また後年の『櫟の木に寄せて』は「詩文集」であり厳密な意味での「詩集」ではないので、福永武彦は、生涯に唯一冊の『詩集』を発表したと言える。それは、ボードレールがその一生を懸けて、唯一册の詩集『悪の華』を残したことに匹敵する。
*1948年刊行の『ある靑春』の扉にも、同様に「詩集」とあるが、その刊行準備中に結核の診断を受けていた福永にとって、この『ある靑春』が生涯に於ける唯一の詩集となることも考えただろうから、その題が意味するところは『福永武彦詩集』と同様である。幸運にも生き延びたことにより、『ある靑春』は全生涯の決算とならず、一季節となった。
*詩の創作や訳詩から、戦後象徴主義小説の創造へと向って後も、福永は「細かな手入れを繰り返す」という詩篇での手法を、ソノママ適用し続けた。小説への手入れを全体として見ると、節や段落の入れ替え、何十行にも渡る削除や挿入なども稀にはあるが、しかし多くは一語の入れ替え、語順の変更、助詞や句読点の変更など、一見些細な手入れが圧倒的に多い。それを、新たな版を刊行する度に繰り返す。これは、象徴主義小説を書く詩人としての自覚に基づくものであり、その手法は、詩作と翻訳体験を引き継ぐ意識的作業である。
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