過去と現在を交錯させつつ愛の様相を描いた『海市』、福永自身「小説くさい小説」と言わしめた後期を代表する短篇6篇他を収録。
第14巻について 目次 資料
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福永武彦電子全集第14巻について
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第14巻 ロマンの展開 『海市』、「後期6短篇」
Ⅰ.『海市』
『海市』は、『廢市』と並んで最も読者に歓迎された作品として、著者生前に26刷を重ねたロマネスクな作品である。しかし、決して易しい小説ではない。
福永の象徴主義小説では文章ソノモノが本質的要素であると繰り返し指摘しているが、その文体は決して単色、一本調子のものではなく、主題に合わせた種々の色合いを帯びている点に留意したい。『海市』のような長篇小説に於いては、描かれる内容は多岐に渡り、当然文体も複数となり重層的なものになる。
初期の創作ノートで、主題を叙述するに相応しい文体を三種類(lyrique :叙情的/laconique :簡潔な/analytique:分析的)考えていることが分るが、風景や人物描写の部分では叙情的な文体を、過去の様々な体験を物語る部分では簡潔な文体を、主人公の感想や形而上学的思考では分析的文体を用いるという計画であった。つまり、内容と文体を相即させることを福永は意図している。ひとつの主題を叙述するには、それに見合った文体がなければならないと考えていた。
第一部、第二部、第三部に於ける恋愛の進行を叙する中でも「彼」、「彼女」を主語とする節と他の部分の文体との相違、そしてポツポツと挿入されるエピソードの文体との違い、更に間奏曲の文体、それらの文体の相違に留意しつつ読むことにより、作品はより一層の奥行きを開示してくるだろう。
「文章ソノモノが本質」と言っても、主題とは関らずに文章だけが独立して存在し、その文章を完璧に磨き上げているということでは毛頭なく、主題と相即した文章に手入れを施すことによって、主題もまた、読者により明確になって来るということである。勿論、文章から刺激を受けて読者がどのような世界を幻出するかは作者の与り知らぬところだが、作者側とすれば、新たな版毎に文章に手入れをすることは、主題をより一層明確にするということだ。以上、文章が本質と言っても、主題(内容)を蔑ろにしているわけではないという当然のことを一言付け加えておく。
Ⅱ.後期六短篇
「現代小説に於ける詩的なもの」というエッセイがある(電子全集第11巻収録)。そこには、20世紀小説の隘路を切り開いた漱石の小説の特質として、内密な雰囲気と空白部分の魅力を挙げ、そしてフォークナー小説の時間的処理の特質を指摘した後、「僕が以上に取り上げた三つの特質、――内密な雰囲気、空白な部分への読者の参加、時間的感動――これらは、広義な意味での詩的なものであり、現代小説に於ける詩的な方法の可能性、と言うことが出来よう。つまりは、その作品に固有の時間を持つ世界を確立し、その世界に読者を誘い入れ、読者の想像力が、自らも一役を買うような小説、それを買うことによって、読者が詩的な感動を覚えるような小説、そういう漠然とした定義しか言えないとしても、その方向が、反十九世紀的小説の主要な線であるように思われる」と記されている。
福永は、小説創作上の方法として漱石とフォークナーからこの三つの特質(内密な雰囲気、空白な部分への読者の参加、時間的感動)を学び取った。自らの小説創造に於いてそれらを指針に構成や文体を工夫し、言葉ひとつを厳しく選択することで、独自の象徴主義小説を創造した。助詞や句読点、語句の位置など細かな点ひとつひとつに拘り、新版ごとに手入れを繰り返すのも、この詩的な方法を徹底的に追求しているということである。そしてその三つの特質(方法)は、長篇小説よりもむしろ短篇小説に露わになっていると言える。
ここに「後期六短篇」(「傳説」、「邯鄲」、「風雪」、「あなたの最も好きな場所」、「湖上」、「大空の眼」)として纏められた短篇小説は、男女の会話からなる内密な雰囲気を持ち、名のない人物は空白の部分を多く持つことで読者の想像力を誘い、そしてその回想、夢想の重なりにより時間的感動を引き起こす。福永が「小説くさい小説」(講談社版『幼年
その他』「後記」)と言う際に念頭に置いていたのは、このような自らの小説の特質を露わに示した小説ということだ。
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