福永文学の集大成・長篇『死の島』と、その原型ともいえる短篇「カロンの艀」。更に「海からの聲」、そして純粋小説以後の新たな作品たる「山のちから」を収録。
第18巻について 目次 資料
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福永武彦電子全集第18巻について
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第18巻 『死の島』、ロマンの完結。
Ⅰ.『死の島』
雑誌「文藝」に1966年1月から1971年8月まで、途中休載を挟みながら計56回連載されたロマン。当全集では、その雑誌初出版を「幕合の口上」や「梗概」を含めて完全収録する。
作品構想自体は1950年、清瀬の療養所入所中に遡る。以降、主題や方法・登場人物に関するノートが多量に取られ、退所後の1953年11月、雑誌「文學界」に短篇「カロンの艀」が発表されたものの、その後も全体構想が膨らみ、創作ノートは継続して取られた。しかしながら、連載開始時点に於いて、全体構成、そして3つの特異な結末などは決定していなかった。その証拠となる創作ノートを附録に掲載した。
『死の島』は、結末に向けて話が収斂していく作品ではなく、各章、各挿話が、それぞれ多様な可能性、揺れを含み込みながら話が進行していくことを意図している作品である。相馬鼎の一日に於いて、素子と綾子の生死が不明なように、読者にもその生死が先に提示されることはなく、作者自身にもまた、人物たちの未来は不明瞭にしておく、小説の中で生き始めた彼らに即して書いていくという狙いがあっただろう。そこに、この小説の特質がある。つまり、この長篇では3通りの結末部分だけ話が未定、不明瞭で謎を投げかけているのではなく、100を超える各節もまた、時系列に沿って配置されていないので、それぞれ話の前後に多くの空白部分(謎)を含む。読者は、読み進むことによって、自らその謎を解き、話の流れが見えて来る仕掛けになっている。そして話の展開だけでなく、相馬鼎、萌木素子、相見綾子の3人についても、直接的な過去の開示は少なく、女性2人の生い立ちや体験などの背景は、相馬の書く小説として読者に知らされるにすぎず、多くの空白が残されている。これらは、人生ソノモノがその一日一日に於いて、不明瞭、未確定要素を孕みつつ進行して行き、身の廻りの人物についても不十分な情報しか与えられず、すべての事象は中途半端、途中であるという現実を表現するための工夫である。
そして、執筆開始時に結末が決定していないというこの点は、『小説風土』から『死の島』に至る長篇小説、例えば『草の花』・『忘却の河』・『海市』に於いても同様であり、例外は物語たる『風のかたみ』だけである。以上の点を、解題に於いて詳述したので、御一読いただきたい。
Ⅱ.『海からの聲』
この作品は、『福永武彦全小説』に収録されていない。完成した作品で、洩れているのはこの「海からの聲」だけである。作品の発表が1971年10月、「全小説」が刊行され始める2年前である。そこには、何か理由がなければなるまい。
この点を考察する際、初出本文から限定版(決定版)本文への手入れ跡が、他の短篇に較べて極めて少ない、ほぼ3分の1に過ぎないという点に注目したい。テニヲハや句読点一つに至るまで徹底的に拘る福永作品に於いては、新版が刊行される度に短篇にしても30箇所以上の手入れが施される。しかし、この「海からの聲」では、読み仮名の違いを入れてもその手入れ跡が11箇所。更に、新装版や文庫版には収録されていないので、手入れは初出から初刊限定版の際一度のみである。新装版などに収録されている短篇と較べた場合、全体としては10分の1の手入れの数である。
この手入れの少なさから、この短篇が初出段階から詩篇のような完成度の高さを示していることがわかる。つまり、発表以前にそれだけ入念な手入れが施されている。とすれば、この作品は「小説」ではなく、「散文詩」として書かれた作品ではないのか、福永はそう見なしていた、だからこそ「全小説」から省かれたのだろう。それは、1971年という時期に、雑誌に「旧かな」で発表されていることからも窺われる。
*「海からの聲」を「全小説」に収録しなかった文学外の要因として、全小説刊行中にこの作品一篇だけで限定版として刊行しているので、その販売に影響を与えないように配慮したという可能性もなくはない。つまり、出版社に対する職業作家としての配慮によるもの。しかし、福永がそのような理由だけで自らの作品を「全小説」から外すとは思えない。必ずや文学的な理由があった筈である。
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