第6巻 『ボードレールの世界』、わが同類
Ⅰ.ボードレールの世界
『ボオドレエルの世界』(1947)は、帝大仏文科での鈴木信太郎の講義より学び取った象徴主義理論の精髄を、マチネ・ポエティクでの詩作活動を通して実践、体得しつつあった福永が、自らの象徴主義小説創作の本格的始動に先立って、その理論的土台を固め、展望を開くために著した作品である。
自己の作詩体験に裏打ちされたボードレール詩篇への分析は、原音楽(protomusique, Urmusik)という独自の視点からなされる。それは芸術として定着された音楽ではなく、あらゆる物たち、もの言わぬ物たちもまた固有の音楽、諧調 harmonieを持ち、「詩人はそこに無韻の歌を聽くことが出來る」というものである。
「音樂を詩の第一要素とした點に、ボオドレエルの獨創がある」と捉える福永は、この「原音楽」という概念を源泉として、これより先、すべての象徴主義小説を創造していく。
『パリの憂愁』(1957)を福永が最初に翻訳したのは、未だ療養所入所中、そして退所後間もない時期である(1952、1954)。第3巻に収録した『夜の三部作』(「冥府」「深淵」「夜の時間」)の発想の母体として、入所中に生死の境を潜り抜けた体験と並んで、この『パリの憂愁』の翻訳体験が大きい。
Ⅱ.翻訳『ボードレール』
もともと少数者のための文学を自認し、愛読者500人を公言していた福永ではあるが、この訳書『ボードレール』(パスカル・ピア 1957)は、自作の小説とは異なり、より広い層に受け入れられることを期待していた。自作が自らの「世界」を表現した芸術作品であるのに対して、この訳書は啓蒙的な役割を持ち、自著とはまた違った種類の「読み物」と捉えていた。
一方で、福永がこの著作を単なる啓蒙のためにのみ訳したのではないとう点を見逃すことも出来ない。自身に訴える内容があったからこそ、翻訳の労をとったのである。
例えば、この書にはボードレールの自作詩篇に対する強烈な自負、霊感が訪れ自ら納得する詩句を定着するまでは決して手入れを止めなかったこと、コンマひとつを確定させるための刻苦、詩句を編集者に勝手に書き変えられた際の憤りなどが描かれており、このようなボードレールの創作スタンスに、福永が深い共感をもって訳していたことは間違いない。
他に、福永が単語一語一語を彫琢して作品を仕上げることにより、独自の世界を構築する意義を学んだ詩人マラルメの作品7篇の翻訳も収録。
附録として、初刊本『ボオドレエルの世界』自作短歌入り署名本、ボードレール「旅への誘ひ」翻訳過程のメモ等を収録する。
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