退廃的な田舎町での“青年のひと夏"を描いた「廢市」、ある大学教授の内的独白と死を描いた「告別」等、中短12篇を収録。
第5巻について 目次 資料
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福永武彦電子全集第5巻について
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第5巻 実験の展開、『廢市』、そして『告別』
Ⅰ.『廢市』
福永の短篇小説執筆の創作態度には、二つの方向がある。
1.「観念の大気を言葉によって追跡し所有しようという意図」をもって「固定観念或いは脅迫観念を、一つの大気として作品の内部に閉じ籠めてしまおう」とするもの。一言で「観念を幻覚として凝固させる方向」。
2.「もっと自由な精神状態にあって、自らがその眼に見その耳に聞くものを、即ち風が吹くにつれて霧のように流れ去るものを(しかし内面から)造型する」意図をもって「流れ行くものを別個の現実として定着」しようとするもの。一言で「流れ行くものを内的リアリズムによって造型する方向」。
どちらも文章ソノモノを本質とする象徴主義小説であるが、福永の中・短篇作品をこの2種に区分けすることが可能である。
1の作品として(第4巻収録の)「世界の終り」、「死後」、「影の部分」などがあり、2の作品として、この巻に収録した「廢市」、「退屈な少年」などがある。
「廢市」は、流れ行く現象を、別個の現実、つまり現実世界とは隔絶したそれ自体で閉じている、独自な世界として描き出した見事な成功作。ストーリーや人物に眼が奪われがちだが、作品の成功を支えているのは、なにより叙情的で明晰なその文章である。
場所はあくまでNowhereだが、後に白秋の郷里・柳河で大林宣彦監督(惜しくも2020年4月に亡くなられた)が映画「廃市」を撮影したことでも知られる作品。
Ⅱ.『告別』
「告別」は、上記の二つの作風、つまり「観念を幻覚として凝固させる方向」と「流れ行くものを内的リアリズムによって造型する方向」とを同時に追求しようと試みた中篇である。それは、福永が長篇小説を書くための準備としてこの作品を書いたことを意味している。
つまり、それ以後の長篇小説は、すべてこの二つの方向の交る地点に於て成立した世界であり、その意味で、この「告別」は重要な位置を占める。
他に、新潮社全集未収録の滑稽小説「高原奇聞」(未完)、東宝映画「モスラ」(1961)の原作たる「発光妖精とモスラ」(中村真一郎、堀田善衛と共作)、ラジオドラマ「時の雫」(NHK)などを収録する。
亦、附録として「廃市」・「飛ぶ男」・「樹」・「風花」・「告別」の本文主要異同表を、更に「飛ぶ男」・「樹」・「風花」・「退屈な少年」の創作ノートを収録。
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目次 ◎は単行本・新潮版全集未収録作品 |