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福永武彦研究会・例会報告 第209回(2025年1月)~ |
![]() ![]() ◇第209回例会 日時:2024年1月26日(日)13時~17時 場所:リモート(Zoom)開催 【例会内容】 『海市』に関する発表と討論 【例会内容(ズームAIによる要約)】 AI要約を利用してみました。元文の書名・人名を中心に、語句の一部を手入れしましたが多くはソノママです。 内容:『海市』に関する発表と討論 ・概略 福永武彦の作品『海市』について議論し、音楽的構造、対位法的手法、そして19世紀小説の影響について探求した。また、読者参加の構成、時間の扱い方、そして福永の信仰観と創作プロセスについての洞察を得た。 ・『海市』批評的分析 Ki氏は福永武彦の小説『海市』について批評的分析を行っている。作品の構造、音楽的主題、愛と死のテーマ、芸術家小説としての側面、そして主人公の澁と安見子の関係性について詳しく論じている。また、Ki氏は複数の批評家の見解を紹介し、作品の多面的な解釈の可能性を示唆している。 ・音楽理論と文学の類似点 Ki氏は、バッハの平均律クラヴィーア曲集と対位法の関係について議論し、平均律と対位法の概念を混同している可能性を指摘する。彼は音楽理論と文学における対位法の類似点を探り、川端康成や安部公房の作品を例に挙げながら、文学作品の構造と時間の扱い方について考察する。さらに、Ki氏は西田氏の分析を引用し、文学作品における語りの重要性を強調する。 ・『海市』の音楽的構造 Ki氏が福永の小説『海市』について発表し、その音楽的構造や対位法的な手法を説明する。Su氏は小説の色彩感と音楽性について意見を述べ、Ma氏は対位法的な構造に共感を示す。Mi氏は芝木好子からの福永宛はがきを紹介し、作品の二度読みの価値とラストの重要性を強調する。参加者たちは様々な視点から作品の解釈や分析について意見を交換する。 Ki氏は、福永武彦の小説『海市』と19世紀小説、特にトルストイの「アンナ・カレーニナ」との関連性について議論する。彼は、福永が19世紀小説の影響を受けつつも、20世紀的な新しい小説を書こうとしていたことを指摘する。Ki氏は、『海市』における「アンナ・カレーニナ」の反映や、主人公の「安見子」と「アンナ」の類似点について分析し、福永の小説創作の意図や手法を探る。 ・福永の信仰遍歴 Ki氏は福永自身の幼年時代、キリスト教との関係、そしてトルストイの信仰観について議論する。福永とトルストイの信仰遍歴の類似点や、教会批判、独自の信仰形成について触れる。また、Ki氏は「草の花」における信仰をめぐる議論や、福永の晩年の思想についても言及し、今後の研究方針を示す。 ・Ki氏論考について Mi氏がKi氏の論文について発言し、その重要性と潜在的影響力を評価している。Ki氏の論考が幅広い読書体験と他の研究者の正確な解釈に基づいていることが高く評価され、また福永の小説における読者参加の重要性と詩的要素について説明がなされる。また、福永の作品における時間の扱い方や言葉の選び方の特徴についても言及がある。 ・創作ノート Mi氏が『海市』創作ノートについて説明し、福永直筆の「『海市』主題とその表現に関する最後的覚え書」を紹介し、澁のモノローグが全体として遺書的性質を持つことを示唆する。 ・電話が物語の重要な役割 Mi氏は1968年1月に出版された作品を2025年1月の視点から読み直し、当時の固定電話が物語の展開や主人公の思考に重要な役割を果たしていることを指摘する。Mi氏は、現代の通信技術の発達により(追記:携帯電話が行きわたっているなど)、この物語が現在では成立しにくくなっていることや、当時の澁の弓子に対する女性観―追記:自らを「お人よしの騎士(ナイト)」(全集P126)と自認し、それが大人の男性の余裕を示すものと(おそらく)肯定的に捉えている澁の思考―が現代の視点からは厳しい、反発と苛立ちを招く可能性にも言及する。また、創作ノートの詳細な内容や構成について説明し、次回の会議でさらに資料を紹介する予定であることを述べる。 ・時代的制約と『今昔』の影響 Mi氏は福永武彦の作品『海市』について議論し、特に主人公の澁と妻弓子の関係性に焦点を当てる。彼は作品に描かれた澁の「男女関係」についての潜在的役割意識に言及し、現代の若い読者にとっては違和感があるかもしれないと指摘する。また、その理由として福永の私生活がこの作品に反映されているのではないかと推測し、福永が19世紀の小説を好んでいたことにも触れる。さらに、『海市』の構成について、『今昔物語』の影響を受けているのではないかという独自の見解を示している。追記:名のない様々な男女がアトランダムに登場する『今昔物語』の現代語訳をしたことは見逃せない点だろう。 ・澁と安見子の関係 参加者は澁と安見子の関係、安見子の妊娠と中絶、そして作品の解釈について議論する。Mi氏が主導し、Su氏、Ma氏、Ⅰ氏、Ki氏が意見を述べる中で、安見子の運命や澁の今後について様々な推測がなされる。また、作品の細部や登場人物の動機についても詳細な分析が行われ、特に「愛しすぎる」という概念や中絶の意味合いについて意見が交わされる。 ・福永小説の構造と意味 Mi氏、Su氏、Ⅰ氏、Ki氏らは福永武彦の小説について議論し、特にエピブラフ5行(漢詩)とその意味、作品全体の構造、そしてテーマに焦点を当てる。Su氏は、この作品を福永の最初の完成したロマンとして位置づけ、他の作品との比較を行う。参加者たちは、作品の解釈や福永の文学的手法について意見を交換し、次回の議論でさらに深く掘り下げる可能性を示唆する。 【例会の感想と意見】 順不同 Kiさん:感想と意見 2010年の第123回例会で『海市』を取り上げた際にまとめた文献一覧(HPよりダウンロード可)と、会誌9号に寄稿した論考” 『海市』における「アン ナ・カレーニナ」の反映 ―「十九世紀小説」の枠組に構築された「二十世紀小説」― ”の概略を説明した。 『海市』の函に書かれた福永の言葉“バッハの「平均率クラヴィア曲集」に倣い、男と女との愛の「平均率」を、「前奏曲」と「フーガ」とを交錯させる形式によっ て描き出そうと考えた”の主旨は、福永はバッハを頂点とする対位法音楽の技法(注)の概念を小説作品に援用し、異なる視点や物語、テーマ、登場人物の声などを並列的に配置し、それらを相互に響かせることで、作品全体に深みや複雑さを与えようとしたのではないか。この手法により、物語が単一的な流れにとどまらず、多層的で動 的な構造を持つようにすることを意図したのだと考える。 また福永は、”文学的主題を追い求めることよりも、この小説では謂わば音楽的主題といったもの、人間の魂の中の和絃のようなものを追って、小説の全体が読者の魂の中で共鳴音を発しさえすればいいと考えた”と述べているが、象徴主義に親和性のある音楽的アプローチを採ることにより彼の考える二十世紀小説志向を強く意 図した作品であると考える。 (注)音楽における対位法:音楽の作曲技法の一つで、複数の独立した旋律(声部)が同時に進行しながらも、調和して音楽的なまとまりを持つように作られる方 法で、バロック時代(バッハの「平均律クラヴィア曲集」など)でその高度な形が完成された。 Miさん:感想と意見 AI要約で例会発言の大意は紹介されていますので、その発言を補足しておきます。今回は、この『海市』を思い切り主観的に読んで―現在、2025年に生きている者のひとりの視点から―感想を述べてみました。 例えば、この作品では「家庭電話」、「公衆電話」が話の筋を進めるための道具の域を超えて、澁太吉の安見子への思慕を募らせ、愛と死と美に関してさまざまに思いをめぐらす切っ掛けを作るための重要な役割を担っているだけでなく、最後には、安見子のもはやこの世の声とは異なったあの世からの呼びかけを伝える「魔物のような黒い受話器」(P456)となります。その「黒い受話器」は、いまは一般にはほぼ使われていません。その視点からの感想がひとつ。 もうひとつは、澁が暗黙の裡に前提としている男女関係―澁は相手を思いやる優しい心を持った思慮深い男性なのですが、しかし―弓子や安見子への接し方は、自らを「お人よしの騎士(ナイト)」(全集P126)と自認し、例えば弓子が家を出る際には旗岡浪子に妻を雇ってくれるように内緒で頼み、それを弓子には決して言わない、そのような態度が大人の男性の余裕と優しさを示すものと(おそらく)肯定的に捉えている、つまり自分を妻の庇護者の立場に置くことが夫として、男性としての優しさを示すことだという暗黙の前提を読者と共有するものとなっています。もちろん、現在でもそのような男性は一般的に女性から好意を持って受け入れられるでしょうが、逆に苛立ちや反発、そこまでいかずともなんとなくの違和感を覚える女性も、作品が発表された1968年当時よりは多いに違いありません。その視点からの感想がひとつ。 他には、福永自筆創作ノート「『海市』主題とその表現に関する最後的覚え書」(2010年7月の第124回例会で配付しましたが、一般には未公開)の一部を朗読して簡単に説明しました。次回例会では、この資料を含めてほかの資料を紹介・解説することを中心にする予定です。 【関連書籍紹介、資料情報】 ![]() 62年前、福永武彦は『悪の華』初版・再版の全訳を一冊にまとめ、詳しい独自の註釈を付した。福永文学に欠かせぬ一翼を担う。が、残念ながら手軽な文庫本で読むことは出来ない。 7年前、池澤夏樹はカヴァフィス詩集の全訳を一冊にまとめ、各篇ごとに独自の註釈を付した。池澤文学に欠かせぬ一翼を担う。そして今、元版に手入れを施し新たな解説と「タイトル索引」を増補した岩波文庫で手軽に読むことが出来るようになった。これは意義ある事件だ。この喜びを皆で分かち合いたい。 ※「62年前」人文書院版 福永武彦個人編輯『ボードレール全集』第1巻刊行。 ※「7年前」書肆山田版 池澤夏樹訳『カヴァフィス全詩』刊行。 ② 現時点(2025年2月1日)で、ヤフオクと「日本の古本屋」に福永武彦自筆草稿が複数と創作ノートを含む資料群が出品されています。その中にあった『死の島』第54回草稿と短篇『海からの聲』草稿、自筆色紙が既に売却されています。これらは、昨年末の古書市に「一口物」として出品されたものです。本では『櫟の木に寄せて』11部自筆草稿挿入本が現在も出ていますが『福永武彦詩集』限定50部本の内非売7部本は既に売れています。 現在の出品者は神保町の夏目書房ですが、「一口物」として昨年末市場に出品した荷主、或いは出品を依頼した個人は不明です(教えてくれません)。複数存在する本に関しては問題ないのですが、自筆草稿がまたこのようにして巷間にバラバラになってしまうのは残念なことです。 |
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