福永武彦電子全集
全20巻完結、配信中
 当サイトは1995年に設立された福永武彦研究会の公式ホームページです。
福永作品を愛する方、福永武彦について深く知りたい方は、どなたでも入会できます。


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◇研究会の会誌「福永武彦研究 第19号」が発行されました(2025年11月)。New!
 版型:B5判・2段組、127頁、1800円(送料430円)
 購入希望の方は、会誌紹介ページより申し込みください。

【特集】中村真一郎講演
・中村真一郎講演 (同席 佐岐えりぬ)
 1997.8.25 於:軽井沢高原文庫内浄月庵
・文士の時代の終焉
・中村真一郎への感謝
【エッセイ】
・池澤夏樹のインタヴュー本を読む
【資料紹介】
・中村真一郎の限定本詩画集について

その他「会員短信」「例会活動履歴」など

*画像クリックで表紙・目次の拡大画像にリンクします。

◇第215回例会案内 New!

日時:2026年1月25日(日)13時〜17時 Zoom開催
内容:①小品四種(「晩春記」「旅への誘い」「鴉のいる風景」「夕焼雲」)討論
   ②関連資料解説

例会には、どなたでも参加できます。
オンライン例会の場合の参加費は無料です。
オンライン例会初参加を御希望の方は、お報せください。手順をお伝えします。  
問い合わせ先:福永武彦研究会 三坂 剛 メール: Fax:044-946-0172

第214回例会(2025.11.23開催)報告を掲載しました。New!

書影付き著作データに「福永武彦詩集」写真版2部本を追加しました。

福永武彦研究会 令和7年(2025年)度の会員(2026年5月末まで)を募集中です。
 年内途中いつでも入会可です(途中入会割引あり)
 入会についての資格は特になく、福永武彦の人と作品に興味をお持ちであれば、どなたにも開かれています。数々の会員特典があります。詳細案内

◇「福永武彦資料の価格推移一覧1970~2020」(PDFファイル)公開 New!

 研究会会員が手元の古書目録に拠って作成した資料を会員限定で公開しました。
 稀覯本、署名本、そして自筆資料(草稿、手紙、日記、絵画、色紙など)を中心とする905点の福永武彦関連古書目録資料(397点については資料画像付)が掲載されています。

◇研究会のX(旧ツイッター)アカウントを開設しました。
 アドレス:https://twitter.com/fukunaga_ken
 例会告知、福永関連情報の発信ほか、作品への感想などで一般愛読者とも繋がっていくことを目的とします。

◇新刊『忘れがたき日々、いま一度、語りたきこと』(2023)/山崎剛太郎 New!
 本書は、詩人、小説家、翻訳家で、700本以上のフランス映画の字幕翻訳を手がけ(フランス政府より芸術文化勲章を受勲)、2021年に103歳の生涯を閉じた山崎さんの文学と映画についての評論、随筆他を集成したもので、福永武彦研究会会員の渡邊啓史氏が山崎さんの依頼を受けて全体の編集を行っています。
 字幕翻訳の裏話が興味深く、文学関連では、とくに親しかった中村真一郎との交友や堀辰雄、立原道造との思い出などとともに2003年10月に開催された福永武彦研究会の特別例会講演記録「亡き友 福永武彦と私の思い出」も収録されています。


◇2023年3月30日に、池澤夏樹さんの注目作『また会う日まで』が刊行されました。
池澤夏樹さんの大伯父(すなわち福永武彦の伯父)である秋吉利雄が、海軍軍人、天文学者、クリスチャンとして明治から戦後までを生きた軌跡と日本の近代史を融合した超弩級の歴史小説です。
 福永武彦の出生の背景についても明らかにされています。


◇池澤夏樹さんと春菜さんの父娘対談『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版)が刊行されました。
 「読書家三代 父たちの本」と題して、福永武彦についても1章が割かれています。一読をお薦めします。
 また、池澤夏樹さんが、福永の伯父秋吉利雄を主人公とする小説を、8月より朝日新聞に連載されます。実に興味深いです。


◇福永武彦電子全集 全20巻(小学館)の紹介ページを開設しました。
 最終第20巻は、2020年6月に刊行されました。

書影付き著作データ・小説に「小説風土」(完全版)(決定版)(新潮文庫版)を追加しました。
 
◇池澤夏樹氏に当研究会の顧問に就任していただくことになりました。
 
cafe impala 池澤夏樹氏の公式サイト
 
◇福永武彦生誕100年特別企画の第1回として池澤夏樹氏講演会「福永武彦 人と文学」が、2017年6月11日(日)に神田神保町東京堂ホールにて開催されました。予約で満席となる盛況でした。日本経済新聞(4月29日朝刊)文化欄に福永武彦が大きく取り上げられ、池澤夏樹氏、当会会長のコメント記事とともに講演会についても紹介されました。

 

福永武彦「廃市」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 

福永武彦「加田怜太郎 作品集」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 

福永武彦「夢見る少年の昼と夜」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 

福永武彦「夜の三部作」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
 
      
福永武彦「風土」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
 
福永武彦「海市」が復刊されました! 小学館(P+D BOOKS)
 池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
 
 
福永武彦「未来都市」が刊行されました(2016年12月)
 ・36年余り永きに亘り眠っていた幻の大型絵本が、装いも新たに今、甦みがえりました。


◇福永武彦関連 新刊2点(2015/3/26)
 ・堀辰雄/福永武彦/中村真一郎(池澤夏樹編集 日本文学全集17)
    福永武彦:「深淵」「世界の終り」「廃市」
    堀辰雄:「かげろうの日記」「ほととぎす」
    中村真一郎:「雲のゆき来」を収録

 ・「草の花」の成立―福永武彦の履歴/田口 耕平







 
書影付き著作データに以下の資料を追加しました。

◇「福永武彦詩集」写真版2部本 :掲載ページ New!
 先日、懇意の古書店より連絡を受け、市場に福永武彦の面白い資料が出ていることを知りました。「福永武彦詩集」自筆ノオトの白黒コピーを大学ノートに1ページごとに張り付け、巻末には印刷した奥付が添附され、源高根宛の福永自筆識語が入っている2部本とのこと。存在は以前より知っていましたので入札を依頼したところ幸いに落札できました。
 元となっている福永自筆の詩集というのは、『時の形見に』(白地社 2005.11)に写真版で紹介されているノートとはまた別の中判の大学ノートに記されたもので(1943年に清書されたもの)、収録詩篇も多少増えています。
 奥付と福永識語により、このノートを作製したのは源高根氏であることがわかります。源氏はたえずこの写真版を参照し、岩波書店版『福永武彦詩集』校異への疑問を熱の籠った論文として纏めた際に参照したのもこの2部本です。
 表紙、本文、奥付画像を掲載します。書影クリックで拡大画像にリンクします。


◇「小説風土」(完全版)(決定版)(新潮文庫版):掲載ページ
  書影クリックで拡大画像にリンクします。

 
(完全版 表紙)

限定1000部 
1957.6.15 東京創元社 1000円
扶桑印刷・A5判変型・丸背紺布装・函・番号入・453頁 旧かな・旧字
「風土後記」57年5月(2頁)、「著作目録」(2頁)、「目次」(2頁)

*私家版30部本あり(1~30) 1000部版と同判、同装幀
*省略版に、過去を扱う第二章を増補しただけでなく、本文全体に大幅な手入れ。
 
(完全版 扉)

第2部が増補され、はじめてロマンとして完全な姿で読者に提供した本書扉に『小説風土』と明記した意味は大きい。
奥付にも「小説風土」とある。
 
(決定版 表紙)

1968.12.10 新潮社  700円
二光印刷・46判・丸背深緑布装・函・帯・417頁 新かな・新字
「解説」丸谷才一、装幀 岡鹿之助

*完全版本文に、更に全体に渡って手入れがあるので「決定版」と呼ぶ。奥付に決定版との表記がある。
 
(新潮文庫版)

1972.6.15  新潮社  220円
光邦・文庫判・紙装・カヴァ・429頁 新かな・新字
「解説」丸谷才一(決定版と同文)、カヴァ装幀 岡鹿之助

*表紙は決定版の函と同一




第214回例会
日時:2025年11月23日(日)13時~17時
内容:①「福永武彦研究 第19号」、②『訳詩集 象牙集』

【例会での発言要旨・感想ほか】順不同(敬称略 ※掲載のご了解済)

池澤夏樹氏:雑感  ※メールより抜粋
 ぜんたいの印象として、自分が登場する場面も含めて、別世界の話のようです。
 ぼくはこういう文士的な人間関係とは無縁で来ました。 仕事と生活の二重人格ということもない。

 中村さんの放談はおもしろいけれど、まあ話半分ですね。 ぼくがお見舞いに行って女たちばかりで辟易して退散した話。 このとおりなのですが、これは福永と茶碗蒸しの話に酷似していませんか。

近桂一郎氏:中村真一郎講演について  ※お葉書より抜粋
 さっそく、中村真一郎氏の講演を読み、衝撃を受けました。池澤夏樹さんのお話にある、「三分の一は嘘、三分の一は誇張」(「福永武彦研究」第13号 30頁)という発言をあたまに置いても、文学を離れて福永さんを尊敬する知人の一人として接してきた小生には、「不都合な真実」の観があります。
 一方、福永さんを文学史上の優れた作家として研究するためには、必須のデータの一つだろうと感じます。時宜を得た公表でしょう。

Ki氏:会誌第19号の感想
1.中村真一郎講演
 とくに印象深かった点を以下に示す。
・本講演で最もインパクトがあったのは、中村氏による次の指摘である。「福永は堀辰雄と非常に似たところがあって、想像力が極度に貧弱で、そのかわり記憶力が非常にいい」「書くたびにモデル問題が起きる」。
 この見解を額面どおりに受け取る必要はないものの、もしその傾向が強かったとすれば、福永は創作に際して、自身の経験だけでは届かない部分を、過去に読んだ作品――とくに彼が深く精通していた海外小説――の記憶で補っていたのではないか。その意味で、福永文学に及ぼした海外作家の影響を検討する意義は大きいと感じた。
・中村氏が語った福永の自己中心的な性向、”二重人格”、”女性と暮らせない”など、孤独・愛の不可能性という福永文学の中心的テーマが、福永自身の気質や生き方と深く結びついていたことが改めて実感された。
・フランス語を始め、ギリシャ語、イタリア語、エジプト語などを短期間でものにした語学の才能に驚かされた。
・福永のキリスト教信仰についての中村氏の発言: 「ボードレールに非常に近い(神に背くことによって裏側から神に近づく逆説的な信仰)」「カトリックの中でも非常に特殊な終末論的な信仰」は興味深い指摘だが、これはあくまで中村氏の解釈として受け止めたい。個人的には、亡き母への深い思慕が、福永の信仰を支える根源にあったのではないかと考えている。

2.池澤夏樹のインタビュー本(三冊)を読む/角竹氏
 これまで『1945年に生まれて』しか読んでいなかったため、とても参考になった。とくに、福永との関係や文学的立場の相違に触れた部分が印象深い。池澤氏は、福永が自身の体験を素材として小説化する手法について、一定の疑問を呈している。
「1945年に生まれて」を読んで、個人的に印象深かった個所は以下であり、本エッセイとも関連していると思われる。
  • ぼくは福永の文学をどこかで認められない、どうしても違和感があるし、自分が志すものとはもっと別の方向にある、と考えてきました。
    「愛と孤独と死」にはぼくはどうしても共感できない。たぶんぼくが脳天気すぎるんでしょう。
3.中村真一郎の限定本詩画集について/青木氏
 詩のテーマと版画の相性がいい。司修氏の作品が好き。

Su氏感想:
1.『会誌19号』「中村真一郎講演『福永武彦 人と文学』」
*中村真一郎が、盟友福永の文学について忌憚なく語り尽くした。30年近い時を隔てて、その口吻を今目前で体験しているかのような感覚を抱きながら、読んだ。生前の中村さんに直にお会いすることは叶わなかったが、メディアを通じて知る中村さんの語り口のまま、福永及びその文学への思いがよく伝わってきた。福永文学の本質を探究するうえでの貴重な証言である。
 福永文学ファンの多くにとって衝撃的な話題も含まれるが、自分にとってはうなずける内容であった。それは福永自身の随筆の端々、また中村さん、堀多恵子さんなど福永の身近にいた方々の随筆などを通じて既に感じられたことであるし、何より『戦後日記』、『新生日記』を読んだ後となっては、さもありなんという思いを強くするだけである。
 では、自分の福永文学への思いは減衰したか。そんなことはない。むしろ強まった。生身の福永を感じつつ、彼がどのような意図をもって、またどのような作業を行って、あの純度の高い作品群を創作していったか。興味は増すばかりだ。
*中村さんは、福永を「謂わば悪魔主義の作家」と規定する。
 さらに、「福永の場合は、つまり病理学的に言って彼は二重性格の男でした。だからそういう意味では、僕は彼は精神病者だと思います。」(p8~9)と述べる。また、「女性を好きになっても、全く相手を無視してるという、一人合点の恋愛至上主義者」(p10)だと指摘する。非常に穿った見方である。半世紀近く近しい関係を続けた中村さんならではの、福永の本質をとらえた指摘なのではないか。
 福永が好んだ芸術家ポー、ボードレール、ゴーギャンの伝記的行状を見れば、その嗜好傾向は当然想像される。また、『夜の三部作』、『世界の終り』『鏡の中の少女』等「暗黒意識」を核とする作品群を読んでいけば、この指摘は自ずと看取できる。「一人合点の恋愛至上主義者」という指摘も、『草の花』或いは『海市』の主人公の行動を確認すれば首肯できよう。実に興味深い。
*そういうことを踏まえたうえで、特に興味を引くのは福永作品とそのモデルとの関係である。中村さんが述べているように、福永作品の登場人物は実在のモデルと極めて近しい関係にあるようだ。だが、それは所謂「私小説」とは違う。
 「福永は堀辰雄と非常に似たところがあって、想像力が極度に貧弱なんですね。(略)堀辰雄の小説はほとんどイマジネーションが無くて事実を書いているんで。小説家としては、根本的に欠点だと思うけれども。/福永も小説を書くたびに、モデル問題が起こるんですね。」(p31)と中村さんは指摘する。しかし、堀辰雄の作品を「私小説」とは誰も言わない。同じように、福永作品も「私小説」ではない。確かに、小説家としてはイマジネーションの不足は欠点であろう。それなら私小説を書けばいいとも思うが、(堀辰雄もそうであったが、)それはしない。要するに、文学として目指したものが「私小説」とは異なるのだ。
 では、彼はイマジネーションを広げた作品が全く書けなかったのかといえば、そうではない。『風のかたみ』という王朝ものは、フィクションとして傑作の部類にあたるだろう。確かに彼は、資質として豊かな想像力は持ち合わせなかったのかもしれない。が、もしかしたら彼は、純度の高い作品を創造するには、それを創り上げるだけの濃密な純度を持った核となる実体験が必要なのだ、と考えていたのかもしれない。王朝ものような現代とは遠い時代を舞台にしたときは、ブッキッシュな知的操作からイマジネーションを広げて作品世界を構築できるが、現代小説ではそれは難しかったのではないだろうか。当然『死の島』も例外ではないだろう。『死の島』は、一見モデルとなっている人物を把握しにくいが、身辺から多くの素材を取り込んでいるに違いないのだ。その辺りについては、今後もう少し検討してみたいと思う。
*そしてもう一点、彼の信仰の問題。
 中村さんはこう指摘する。「彼は無神論になったことは結局無いんで、ノイローゼになるくらい戦争が嫌だったのにカトリック教会が全然無力だったってことは、彼には非常に大きなあれだけれども、結局ローマ教会の組織を信じるとかそういうことと違って、彼の中にある神を彼は信じたんだと思うんで、キリスト教徒かっていえば、僕はキリスト教徒だって言っていいと思うし、細君から騙されたって言ってもいいし、細君を騙したって言ってもいいし、彼の信仰は変わらなかったと思うけどね。で非常に強い信仰心があって、そうしてだから非常に強い罪の意識があったですね。そして、あんなに強い罪の意識があったにも拘らず、例えば姦淫を犯さないっていうことは全然出来なくてそういう事態が起こると、飛びつくようにして姦淫に走ってくんで、だからそういう意味でもボードレールにそっくりですね。/つまり逆説的信仰で、一番神に背くことによって裏側から神に近づくっていう、ボードレールと同じ構造で。」(p69~70)
 全くその通りであったのだと思う。福永が影響を受けた外国作家の多くはキリスト教と密接に繋がっている。ポー、ボードレール、ロートレアモン、ジッド、J・グリーン等、キリスト教に対する深い知識と理解がなければ到底自分の文学に取り込むことは出来ない。また、福永作品と素直に向き合うと、『塔』、『冥府』、『深淵』、『告別』、『忘却の河』等どの作品でも、彼は「彼の中にある神」と誠実に対峙し続けているように見える。中村さんの指摘を踏まえて、各作品を丁寧に読み返してみる必要があるように思った。
  
2.『象牙集』感想
 読んでいてまず難儀だったのは、自分にギリシャローマ神話やキリスト教に関する知識が圧倒的に不足しているため、それぞれの詩の、それに関わる記述を除いた部分でしか理解できないということだった。そのため、情けないが非常に表面的な感想にならざるを得ないが仕方ない。以下にそれを少々述べたい。
 まず感じたのは『象牙集』という訳詩集の構成の妙。収録作品の配列の工夫である。
 『象牙集』の命名について、福永は初刊版の序で「象徴の牙の謂」と書いており、収録作は全て「象徴詩」ということになる。掲載順は概ね各詩人の活動した時代順であるが、訳詩集全体の構成を考慮してか、絶妙に順を変えている。収録詩人は初刊版13人、新版はホフマンスタールを加えて14人。詩数は初刊版67、新版69。ポーとホフマンスタールを除きフランスの詩人である。福永がフランス文学者であったので当然と言える。出版社からの訳出以来の有無が直接の選定基礎とはなっているだろうが、誰を載せ、どんな詩を採るかは訳者本人の意思に基づくし、その配列は完全に著者の意図の反映である。 
新版よって、訳出順及び採られた詩数を挙げてみる。

1ポー(10) 2ボードレール(25) 3マラルメ(7) 4ランボー(3) 5ロートレアモン(5) 6ジェルマン・ヌーヴォー(4) 7ジュール・ラフォルグ(2) 8フランソワ・コペエ(1)  9ノワイユ夫人(1)  10ホフマンスタール(2) 11レオン・ポール・ファルグ(6)  12フランシス・ジャム(1) 13アポリネール(1)  14ルイ・アラゴン(1) ( )内の数字は収録詩数
 先ず象徴詩の魁ポーから10篇で、選んだ順の中心に代表作「鴉」最後に「アナベル・リイ」。次に最大の象徴詩人ボードレールを最も多く採り25篇、選んだ最初に「万物照應」、「先の世」「異邦の薫り」と続き、最後は晩年の「パリの憂愁」から3篇。「万物照應」はボードレールの象徴詩の基本理念に基づく代表詩であり、福永の文学理念の核になるものでもある。その次に究極の象徴詩人マラルメが来て7篇。選んだ最後に「海の微風」「エロディアド」「牧神の午後」と並べる。ページ数的にこの「エロディアド」辺りが『象牙集』全体の中心となる。『象牙集』の、つまりは象徴詩の頂点に位置するということになる。次がランボー3篇で代表詩「酔ひどれ船」で締める。その後には福永が大学卒業論文で扱ったロートレアモンの5篇となる。散文詩ということもあろうが、ロートレアモンに割いたページ数はボードレールに次ぐ。福永好みの部分を『マルドロールの歌』から抄訳している。中でも「えるまふろぢつとの章」は福永文学の出発点『塔』と類縁性を感じさせる。また、「赤い洋燈の章」は彼の「暗黒意識」と繋がる世界で、『冥府』特に『深淵』と直結するように思われる。6人目の詩人はジェルマン・ヌーヴォーで日本では知られざる象徴派のカトリック詩人。福永は高く評価していたようで、カトリック詩人というところは少々気になるところだ。私はどこか中原中也の詩を連想した。そして、これ以降は各詩人一つか二つの訳出が基本となる。象徴派の周縁、淵源、またはその強い影響下にあった詩人たちということになろう。その中で11人目のレオン・ポール・ファルグだけは6篇。福永自身が「新版ノオト」において「ファルグの『ポエム』は私の偏愛する散文詩集で、今でもときどきその全訳を夢見ることがある。」と述べているが、それだけ福永の好むところで、多くの詩篇を選んだのだろう。街の片隅の夕暮れ時、纏綿たる情緒に包まれたその世界は、『夢見る少年の昼と夜』などとも繋がっていそうで、個人的にはこの訳詩集中で最も親近感をもって読んだ。
 以上のように、福永は極めて意図的に詩篇を並べ、訳詩集を構成している。

 ここで思い起こすのは初刊版「序」で、「一巻の譯詩集はまさに詩の代用品であり、私なりにフランス文學と日本文学との間に架けたささやかな橋であると言へないことはない。」述べていることである。「まさに詩の代用」としてこの訳詩集を編んだ。生涯に詩集は一つでいいといって、彼は改訂しては何度か『福永武彦詩集』を出版しているが、それに近しい重みでこの訳詩集を見ていく必要があるのかもしれない。
 同じ「序」の冒頭で「私はむかし詩人たることを志しながらいつのまにか小説家になつてしまつた。」とも彼は述べている。彼の文学の本質を探るには、彼の詩をもっと詳細に検討すべきではないか。「マチネポエティク」にこだわらず、彼が生涯作成した詩の一つ一つをもう少し検討すべきであると思う。そして、そのための補助線、補完作業として『象牙集』も見ていくべきではないだろうか。

Ma氏:会誌第十九号を読んで
 今回の特集はセンセーショナルな内容でした。
 冒頭から日本文学を研究する際の重要な指摘があり、それを読んで思わずこちらも居住いをただすのですが、その後はサービス精神旺盛な中村さんの発言に感心したり、考えさせられたりの連続でした。

 一般的な人が抱く福永の人柄のイメージは、優等生でとても繊細な人、というのがほとんどのように思われます。書かれた作品から類推して「このような作品を書くのだからおそらく繊細な人に違いない」と読者が思うのも無理はないかもしれません。
 しかし、中村さんの語る福永のエピソードや周囲にいた人のみが知る事実(それは中村さんの視点からみたものであることも忘れてはならないのでしょうが・・・)の数々から見えてくるのは、人間味溢れる、そして、生(ナマ)の福永の人となりでした。これまでの福永像が瓦解してしまうほどの驚きをもって中村さんの発言を読みました。
 常識的見地からすれば、福永のような言動をする人がそばにいた場合、周囲の人は巻き込まれたり、振り回されたりして大変な思いをすることでしょう。常識的にしか生き得ない人を俗人と言うのであれば、やはり、福永は俗人としてではなく芸術家として生きたのだと思います。もっと踏み込んで言えば、そのようにしか生きることができなかったとも言えるのではないでしょうか。なぜならば、福永は常識やただ淡々と過ぎていく日常に安住するような生き方には納得がいかなかった。そうではなく、自らの内に湧いてくる想いに従い、それに対しては素直に生きようとした人であったであろうと感じられるからです。福永は己の想いに関しては忠実であろうとした、言い換えれば、福永を支えていた精神は、常識がもたらす俗人的制約にとらわれることのない、「自由」なものだったのでしょう。そして、自由であるからこそ、福永は自身の内に悪魔(デーモン)を抱え込まざるを得なかった。

 中村さんが提示した福永像が事実であったとしても、福永作品の価値や評価を下げるものではないと私は考えます。むしろ、新たな角度から福永作品を読むことを可能にする良い資料だと思います。
 そのような点において、今回の特集は興味深いものでした。

Mi氏:感想と意見
Ⅰ.中村真一郎講演について
 中村真一郎さんを小さな集まりにお迎えしてお話をいただいてから丸28年、長く胸に蟠っていたこの翻刻文を公表できたことで、今、肩の荷が降りた気がしています。福永、そして中村愛読者の方々にどのように受け止められても、私は満足です。
 <純粋でお上品なだけの>、それまでに流布していたこの福永像を「それは友人として僕らは非常に可哀相です。福永のような、つまり謂わば悪魔主義の作家が、あんなに体裁のいいお上品な、批評家って言うか研究家がそういう福永を出しているのが、福永のために非常に可哀相だと思うんですね」(8P)という気持ちから、反措定の意味合いで意識的に採り上げられたエピソードの数々。
 福永本人についてだけでなく、貞子夫人、池澤夏樹氏など、身内の方々との福永のつきあい、交流の様を具体的に語ることにより、その「人と文学」の特徴を浮き上がらせ、さらにその特徴を示す傍証として、既に文学史上の存在となっている多彩な文学者たちのエピソードを生き生きと語る際の中村さんは、なんとも愉しげで幸せそうでした。

 しかし、今回のお話には、福永武彦をはじめとした数々の文学者の誰よりも、中村真一郎という文学者の特質が如実に表れていると私には思えます。
 中村真一郎という詩人・小説家は、講演会というようなパブリックな場よりも、むしろこの時のような少人数を相手にした気楽な語りの場において、その饒舌の才能を遺憾なく発揮したタイプの文学者だったと思います。個人的なお話としては、(文学者に限らず、例えば夫人やごく親しい日常的付き合いの友人を含めた)身の回りの人々に対する、より一層辛辣な言葉を私は聴いていますが―私自身もその餌食になっていたかもしれません―、周りの者はみなその中村さんの嗜好を熟知していましたので(ホントに嫌いな、ダメだと思う人に関しては自分からは一切口にのぼせない)、周りの者は―そのお話を愉しみつつも―誰も真に受ける者はいなかったと思います。
 要するに、多方面から人物を観て語ることを愉しむ中村真一郎さんの<語り>に関して、もちろんそこには真実が含まれているにせよ、ひとつのエピソード、発言だけをもってソノママ真に受けて、対象人物像を創り上げてしまうことは避けた方が良いということは、ここで改めて強調しておきたいと思います。

 それをわかった上で、ここにお話を公表するに至ったのは、冒頭に引用した「福永が可哀相です」というお気持ちを無にしたくなかったことと、<中村真一郎にとって、福永武彦はこのように見えていたのであり、それは一般に流布しているイメージとは異なるものの示唆的であり、愛読者にとっても、今回の中村さんの語るエピソードを通して、福永文学に対するより深い、重層的な理解が可能になるだろう>という想いがあるからです。
 数々のエピソードから何を本質的なものとして採るか、それは読者各々に任されています。

Ⅱ.訳詩集『象牙集』ついて ※概略のみ(画像は省略)。
福永の言葉を引く。
>譯詩も亦一つの創作であるとの見地に立つてゐるから、必ずしも原文の忠實な移植ではない。
ボオドレエル「先の世」ノオト(「詩人」3号 1947年4月)

 今回、私はこの福永自身の「譯詩も亦一つの創作である」との言葉を指針とし、訳詩集『象牙集』を、あくまで福永武彦の「ひとつの創作詩篇」として読むという立場を取った。詩の翻訳をすることの福永にとっての文学的意味は、象徴主義小説を創作するための<明晰かつ暗示的な語彙の鍛錬・獲得>にあった。
 福永は、創作詩篇、あるいは小説と同様に、新版ごとに訳詩語句の手入れを施している。そのことを、一篇の訳詩「先の世」を具体例としてみた。
 ボオドレエル訳詩「先の世」 掲載誌、単行本 年代順
 ①雑誌「詩人」第三号 矢代書店 1947年4月 ※「ノオト」を附す 電子全集19巻収録
 ②『世界詩人全集 第三巻 後期ロマン派詩集』 河出書房 1955年2月 19巻
 ③『世界名詩集大成3 フランスⅡ』 平凡社 1959年7月 6巻
 ④福永武彦個人編輯『ボードレール全集 第一巻』 人文書院 1963年5月 6巻
 ➄訳詩集『象牙集』 垂水書房 1965年7月 19巻
 ⑥『世界名詩集13 ボードレール』平凡社 1968年3月 6巻
 ⑦訳詩集『象牙集』新版 人文書院 1979年6月 19巻

 訳詩「先の世」は、特に後半2連、6行の手入れが顕著。初出「詩人」の「ノオト」での上記の言葉そのままに、特に初出訳とそれを継いだ②『世界詩人全集訳』は、語順や語の選択に於いて、原詩を自由に変換している。

 この頃までの福永は、小説家としてメチエの確立途上で<明晰かつ暗示的な語彙>の鍛錬期であり、詩の翻訳に対しても、創作詩と同様の態度で繰り返し語の入れ替えを行い、言葉を鍛えている。その際、ボードレール詩篇を押韻訳している経験が決定的に重要だろう。
 同時に本筋の小説創作を続け、『夜の三部作』『心の中を流れる河』『世界の終り』、そして『廢市』収録の諸中・短篇を執筆し、1963年の『ボードレール全集』の個人編輯(=『悪の華』初版・再版の全訳)を経て、福永自身の文体=「世界」も確固としたものとなった。詩の翻訳にあたって、原詩を自由に変換する姿勢から、次第に原詩に沿った「字義的な翻訳」という点を前面に押し出して来ている。それは、原詩に沿っても、自らの世界が崩れない、それだけの語彙の獲得が出来たという確信を得たのだろう。上記、③以降の手入れにそれを見ることが出来る。
 訳詩集『象牙集』が刊行された1965年には、語彙の鍛錬期をすでに終え、小説家として本格的な収穫期を迎えていた。この訳詩集『象牙集』は、自らの詩人としての形見であり、翌年に『福永武彦詩集』が刊行されていることは偶然ではない。この2冊の刊行をもって詩人福永としての区切りをつけ、同時に「死の島」「風のかたみ」の連載を開始し(平行して『海市』をも執筆し)小説家としての頂点を迎えることになる。

 14年後の1979年6月に刊行された新版『象牙集』でなにより注目されるのは、巻末の「新版ノオト」において、収録訳詩の初出誌、初収録本を読者に明示しつつ、訳詩をした当時の自らの(文学的)状況を記している点だろう。それは『福永武彦詩集』巻末の「詩集に添へて」と同様の意味を持つ。つまり単なる回顧ではなく、『死の島』までで純粋小説家としてのサイクルを閉じた時点に於いて、自らの文学的足跡(=語彙の鍛錬の跡)を振り返ることによって、小説家として新たなサイクルに乗り出すための下準備をしているということだろう。ホフマンスタールを新たに訳したことの意味もそこにある。
ひとことで言って、訳詩は福永文学の跳躍台であったろう。

※このほか、Ku氏(中村講演参加の会員)、O氏(軽井沢高原文庫館長)より、第19号送付に対するお礼のお葉書をいただきました。


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