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福永武彦研究会・例会報告(9)

第119回〜第122回(2009年9月〜2010年3月)


【第122回研究会例会】 2010年3月28日(日)
【第121回研究会例会】 2010年1月31日(日)
【第120回研究会例会】 2009年11月29日(日)
【第119回研究会例会】 2009年9月27日(日)

【第122回研究会例会報告+会員の頁】
2010年3月28日(日)第122回例会開催。

【Ki氏のページ】
第122回例会コメント
 Y氏の小説の構成・構造の分析を主体とした読解は、情緒的・感覚的な読みに偏りがちな自分にとって参考になりました。この短篇が『死の島』への通過点としての作品ではないかという指摘もとても興味深く伺いました。

 W氏はその多面的な分析の中で、本短篇をヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)に対する福永の反応ではないかという見解を示され、ヌーヴォー・ロマンの旗手とも言えるロブ=グリエの『嫉妬』(1959)と、この作品についての福永の評論(全集に所収)を引用されていました。タイミングよく、2次会の席でA氏から福永所蔵のデュラスの『夏の夜の10時半』(1960)のペーパーバックを見せていただきました。デュラスもまたヌーヴォー・ロマンの流れをくむ作家ですが、ページの余白には多くの書き込みがあって、福永が熱心に読んだであろうことが想像されました。

 その後、デュラスの『夏の夜の10時半』と『愛』(1971)、ロブ=グリエの『消しゴム』(1953)を読んでみました。『夏の夜の10時半』は通常小説に近く、『愛』と『消しゴム』はアンチ・ロマン。とくに『夏の夜の10時半』は秀作だと思いました。『愛』も面白かった。『消しゴム』については、池澤夏樹が『海図と航海日誌』(1995)の中で、高校生になって父(福永)の家に出入りするようになり、書棚に並んでいた本の中でよく覚えているのが『消しゴム』の翻訳書だったと書いていたのを思い出して選んだのですが、中途で挫折。W氏も言及していましたが、バルトが評した”客観性の文学”あるいは”視線の文学”は自分には合わないなと実感しました。余談になりますが、『海図と航海日誌』には著者が選んだ99冊の海外・国内作品のリストが掲載されていて、福永作品からは『風土』と、”力の入りすぎた『死の島』を捨てて、読みやすい”『風のかたみ』の2作品を選んでいます。

 わたしは、ボードレールの『悪の華』に収録された無題の詩に現れた大空の眼のイメージが、福永の本短篇に反映されているのではないかという観点から発表させていただきました。福永研究者には既知の事柄ではないかなとも思ったのですが、後で渡邊さんからこの詩と本短篇を関連させた先行文献は無いと伺い安堵しました。

 わたしは昨年の7月から例会に参加させていただいていますが、その中で感じたことのひとつとして、作品の検討に当たっては先行文献の調査という研究者にとっての基本中の基本をまず押さえておかないといけないなということがあります。次回から3回に亘り『海市』の検討を行うことになっていますが、この機会に『海市』の主要文献を読み、できれば一覧表としてまとめてみたいと思っています。

 またまた余談になりますが、4月に発売された『1Q84』BOOK3が大きな社会的話題になりました。村上春樹は昨年、BOOK1、BOOK2についてのインタビューで、「バッハの平均律クラビーア曲集のフォーマットに則(のっと)って、長調と短調、青豆と天吾の話を交互に書こう、と決めていた。」と語っていますが、『海市』もまたバッハの同曲集にインスパイアされた作品でした。「バッハの『平均律クラヴィア曲集』に倣(なら)い、男と女の愛の『平均律』を『前奏曲』と『フーガ』とを交錯させる形式によって描き出そうと考えた。」が福永の言葉です。昨年『1Q84』の読書会に参加した際、「『1Q84』と他作家の作品との繋がり」をテーマに発表しましたが、その中で村上春樹と縁の深い海外作家3名の作品と、国内では唯一、福永の『死の島』を取り上げてみました。村上春樹が福永作品を読んでいるのかどうか、両者のファンであるわたしにとってぜひとも知りたい事項です。


【Mi氏のページ】
 このふた月ばかり、仕事・研究両面で個人的にやらねばならぬことが重なり、会の例会準備が多少疎かになっている。こらからもまだ忙しさは続くので、会の体制のことを含めてどこまでできるか心もとないが、肝心の例会内容だけは今まで以上に充実したものにしていきたい。

1 関連事項
 今年は、福永武彦関連の研究発表・資料公開の面で様々な動きがありそうだ。次回、7月例会案内で、その動きをご報告したいと思う。

2 5月から3回連続で討議する予定の『海市』に関する福永武彦自筆資料(「ゴッホとゴーギャン」に関する補足的主題)を、例会で公表・配布する予定である。本文照合(校異)と共に、解釈の基礎資料となるだろう。

3 福永武彦関連書籍の案内
・『病中日録』 鼎書房 2010・3刊 1800円+税
未発表の福永晩年(1978夏〜秋)における入院・日常生活記録。本文を翻刻し、『玩草亭百花譜』同様、所々に挿入された草花のオリジナルスケッチをそのまま(口絵4枚カラー、他は単色)掲げている。




【2010年1月 第121回例会案内】

日時:1月31日(日) 13:00〜17:00
場所:烏山区民センター 第5会議室
住所 東京都世田谷区南烏山6-2-19  TEL.03-3326-3511
京王線「千歳烏山駅」東口徒歩数分

【内容】
予告文
1.「湖上」について。  A.Y
以前「風雪」の2項対立の意味を問い、その過剰さについて論じた。
「湖上」は、内容的には「風雪」に近い作品であるが、物語構造として、どのように捉え
たらよいのかを考えていきたい。

2.「「湖上」について」 H.W.

 作品集『幼年その他』(1969) に「五つの短い小説」として収める五篇に「大空の眼」(1970)  を加えた短篇六篇は、それぞれ独立した作品ではあるが、名前を明示しない男女の会話を中心とする相似た形式によるもので、制作の時期も概ね長篇『死の島』の連載時期 (1966〜1971) に重なる。この大長篇を読んだ機会にこれら後期の短篇群をも読み返すことは、作者後期の創作について、より理解を深めることになるだろう。
そうした試みの第五回として上記短篇 (1968) を取り上げる。

富士山に近い湖を夫婦で訪れた初老の男は、偶然のことから、三人の大学生とモーターボートで湖を半周することになる。湖面を疾走する男の意識は、やがて学生時代に愛した娘の記憶に遡る。男の眼前に突如現われる金色燦然と輝く夕映えの富士は、何を意味するのか。また、湖畔で見守る男の妻の感じる、埋め難い空虚なものの予感とは何か。
此処では一篇の主題とその手法を検討し、作品の背景を考察する。それに拠り、作者後期の創作態度の一面もまた明らかになるだろうと思う。

3.今月の福永武彦資料 其の3 紹介と解説 T.M
 所蔵する福永武彦の著訳書・関連雑誌・自筆草稿・手帖・書簡類からの紹介・解説。カラー複写を配付する。現在、資料選択の検討中。

4.新刊「福永武彦研究 第8号」紹介 T.M./A.Y.
 2003年4月以来途絶えていた「福永武彦研究」、最新刊第8号が1月末日に発行される。
 山崎剛太郎先生のご講演記録の他、宮嶌公夫氏・曽根博義氏のエッセイ、新出句紹介など。巻末に、この7年の例会活動記録を一覧にまとめた。A5判・62頁、300部、頒価700円。


【Maさんのページ】
野村智之「鉄道文学の旅」を読み「死の島」ひろしまへ

2010年1月31日(日)福永武彦研究会第121回例会の日に、Mi氏から野村智之著「鉄道文学の旅」(郁朋社2009年刊)をお借りした。
「単なる紀行文ではなく『死の島』論として読めるから」とのお薦めだった。
著者はこの本で6人の近代日本文学作家をとりあげているが、中頃に位置した、福永武彦『死の島』ー東海道本線・山陽本線ーは、質、量ともに本文中随一といっていい。福永の読者には嬉しい本だ。
作品は、列車と駅が効果的に登場し、列車名、日時が特定でき、さらに移動中の叙述が継続的にあることを条件として選ばれている。
文学作品における鉄道の、当時の状況と現在の状況を比較しながら、実際にその路線を追体験し文学の醍醐味を味わう。
ちなみに取り上げられている他の作家は、宮本輝、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、志賀直哉である。
それぞれに味わい深いがここでは、言及しない。
最初に『死の島』を読み並々ならぬ手応えを感じた。それから冒頭に戻り最後まで読み通した。
再び『死の島』を読む。
小説の中で既にどちらかひとりが死んでいる二人の女主人公萌木素子と相見綾子を追って、東京駅から「急行きりしま」に乗って広島へ出発する主人公相馬鼎の汽車の旅を追体験すべく、著者野村氏は、降雪の予想される平成二十年二月、昭和二十九年一月時点の「急行きりしま」に到着時刻の近い、寝台特急「はやぶさ・富士」に乗り込むのである。
切符の購入、運行時間、車両の構造、車内から打つ電報の発信や受け取り、駅弁、窓やドアの作り、半世紀前の鉄道は、現在とはずいぶん事情を異にしている。
小説のなかの現在と、今日の鉄道事情が野村氏を通して、交々不思議な臨場感をもって読者を二重の窓の向こうに引き込む。
この臨場感は、単に小説をなぞっただけ、あるいは鉄道マニアの蘊蓄を傾けるだけでは到底生まれるものではない。作品の深い読み込みと、鉄道好きの広い注意深いまなざしが感じられる。
車内で相馬鼎の見る長い不思議な夢への考察、異なる3つの結末に対する考察は、福永文学の深部へ錘りを垂らすものだ。
列車ダイヤのようにぶれない対象への軸が何に由来するかは読者自身が確かめてほしい。
難解で取り付きにくくみえる『死の島』の優れた案内書として、『死の島』を既に読まれた人にもこれから読もうとする人にも、ぜひお勧めしたい本である。


【H氏のページ】

2010年1月:121回例会に参加して

1. 主要議論
1.1 『湖上』の特徴と位置付け
 Y氏は、他の後期短編作品にない特徴点として女性の独白を指摘された。例として、「本当に夫がいなくなったらわたしはどうなるのかしら」との科白、または「男の中の“裂け目”を“がらんどう”として認識」している点を列挙。この女性の独白によって、他の後期短編作品と比較し、物語性が強く、最も長編小説の原型的との説明には素直に納得。さらに、『草の花』と『死の島』の融合・福永文学の可能性についての解説が印象に残る。
1.2 『湖上』における富士山の意味
 議論の中で、特筆するべきは“富士山の意味”であったろう。小説の解釈において、著者の意図を探る際に、該当作品や他作品の記述を様々な視点から分析、解釈することは常套手段であろうが、文字通りに様々な見方が示され、有意義な議論であったと思う。
 W氏は、「富士山」の色彩が茜色、さらには金色から虹色に変化する中で生まれる、赤に近い茜色であることから、『遠方のパトス』における色彩表現との類似性を指摘した上で、その意味が「生」を指すと主張された。さらに、他の作品においても、「赤」と「青」に纏わる色彩表現の類似性、一貫性を指摘した上で、体系的な研究、解釈の可能性を提起された。意義深い提起と信じる。
 小生からは、男が「もし或る時或る風景が美しければ、それは死に値するだろう」と過去に言ったこと、および、「新鮮な心は富士の姿に死にたいほどの恍惚を覚えたし、それは後にブンちゃんに対してその人の笑顔のためなら死んでもいいとまで考えたものと同じだった」という独白から、その意味は「文子(過去)」を指すのではないかと主張した。さらには、湖上を周回する中、文子(過去)を思い出しながら富士山へ向かっていたボートが、やがて旋回して、そこから離れ、妻の元へ戻るという動きも、男の人生そのものを暗示している可能性も指摘した。
 どちらが正しいかというよりも、様々な見方、読み方を可能にする、福永文学の奥深さにこそ感心するべきであり、そういう議論を楽しむことにこそ研究会の醍醐味があると信じたい。
2. 福永武彦研究会に入っての所感
 小生は、昨年9月から参加を始めたばかり。まだ右も左も分らない状態にある。しかし、この研究会に参加してみて、分ったことがひとつだけある。「小説の解釈・分析の手法は、今まで無縁と思い込んでいた科学・技術的な解析・分析の手法と何ら変わりはない」ということである。著者の意図を真に探り、洞察するには、その作品の中、または、著者のその他の作品における類似描写を同定、引用し、焦点を当てている箇所との対比により、一つひとつ解釈や判断を積み重ねる。これは地道な作業であるが、その解釈・分析手法は、論理的・体系的な理系的解析手法に通じている。


【Ku氏のページ】
 一句、つくりました。

 富士見つつ 浪の穂を踏む 春の日々


【Mi氏のページ】

森茉莉宛識語・署名入『異邦の薫り』1979年4月刊 新潮社 定価1800円

蒐集レベル:入門者
価格:初刷の函・帯付で数千円。重刷ならば、1000円以内で購入可能。
字使い:旧かな。
挿画・カット:福澤一郎。巻頭に、下記13冊の書影をカラーで収める。
初出:雑誌「婦人之友」1976年1月〜12月に連載。

画像:福永自筆識語署名入り本。見返しに短冊が貼り付けられ、森茉莉宛署名・識語が入っている。

福永が愛読する13冊(『於母影』・『海潮音』・『珊瑚集』・『月下の一群』・『車塵集』・『海表集』・『山内義雄訳詩集』・『近代佛蘭西象徴詩抄』・『リルケ詩抄』・『明るい時』・『ギリシア・ローマ古詩鈔』・『朝鮮詩集』・『神曲』)の訳詩集に関する滋味溢れるエッセイ。 巻末には、「訳詩集略年表」・「福永武彦著作目録」・「索引」を付す。

一見、簡単に書かれたエッセイ集のようだが、単行本に収める際に多くの手入れを施し、「訳詩集略年表」を自ら作成し、詳細な「索引」をも付加した(「後記」には「索引は編輯者に一任した」とあるが、校正刷を見ると、福永自ら実に丹念な指示を出していることが判明する。このことは、2005年度第88回例会「『異邦の薫り』研究 校正刷を観るT」で指摘しておいた)力の入った内容であり、同時に、愛書家福永の心配りが隅々まで行き届いた見事な造本となっている。

・「重版追記。九五頁の「さはきり(さはきり記)」に関して、これは「さはきり(さはきりこ)」といふ秋の古語であらうとの、齋藤磯雄氏の教示を得た。わが無学を恥じ、同氏に篤く感謝する。」
・「この他にも初版の間違ひを多くの方々の指摘によつて匡すことが出来た。やたらに追記がくつつくのはみつともないが、みつともない方が間違つてゐるよりは遥かにましである。」

上記のような追記は、第4刷まで確認している。自らの著作に責任を全うしようとする福永の誠実な態度を伺えるだろう。
従って、『異邦の薫り』研究の際の底本は、初刷ではなく、第4刷を使用しなければならない。
幸い新潮社版の全集には、この第4刷の本文が採られている。

内容・造本両面にわたるこの厳しい一貫した姿勢があればこそ、福永武彦の著書は、小説に限らず、随筆・エッセイにおいても、何度も読み返すことが出来、そのたびに新たな発見があるのだろう。



【第120回例会案内】

日時:11月29日(日) 13:00〜17:00
場所:烏山区民センター 第5会議室
住所 東京都世田谷区南烏山6-2-19
京王線「千歳烏山駅」東口徒歩数分

【内容】
討論「『死の島』を読む」 参加者全員

【意図】
昨年11月より前回まで、全6回に渡って『死の島』の連続討論を行った。
「各人の自由な“読み”を突き合せ、作品に対する了解(事項)の共有を目指しつつ、同時にその多様性を掘り起こし、開示する」という点に主眼を置き、参加者各人の特色ある視点から、毎回刺激的な討論が重ねられた。
また大局的な解釈と同時に、微視的に作品を分析するために、毎回本文校異表を配布し、(初出⇒元版の)手入れ跡を細かに確認してきた。

今回は、この1年の集大成として、1500枚を超えるロマン『死の島』の全体を、微視的な確認・分析を含み込みつつ、多様な視点より討論・解釈し、作品の特質を抽出して、福永文学の持つ味わい、そしてその“力”(射程)を見定めてみたい。

「全集版」を底本とするも、何版で(準備して)も可。




【第119回研究会例会報告】

2009年9月27日(日)
前回に続いて2回目の例会参加でしたが、今回も大変興味深い内容で勉強になりました。参加者は8名でした。

1.「風雪」についての発表(Y氏、W氏)、討議(全員)
 作品集『幼年 その他』に収録された「五つの短い小説」は、「死の島」の連載と同時期の作品であり、「死の島」との関連がとくに興味深い短編群です。
 今回の検討作品である「風雪」は、スキー場の食堂での特攻隊崩れの初老の教師と、既婚の男に片想いする若い女性との会話を中心として構成された短編です。

1)Y氏の発表及び討議
「死の島」と並行して書かれた短篇の特徴の一つに二項対立と相同性の要素があるとし、「風雪」におけるそれらの事例を抽出し、さらにその意味づけとして、以下が示されました。
 @単純なリアリズム描写の否定
 A緊張関係をもたらす
 B物語時間の流れの遮断
 C二項対立と相同性という表裏の関係による二重奏的小説構造

 特に重要な要素は、生と死という対立要素であり、“最も生に近く最も死に近い意識”という相同性も含んでいること、さらに、こうした二項対立と相同性の特徴が、「死の島」においても見出されるという指摘や、多くの福永作品に共通するイメージとして、窓・雪・海が本作品においても重要な要素として機能している点などが、とくに興味深く感じました。

2)W氏の発表及び討議
 論考の冒頭で、福永の「二十世紀小説論」よりコント(短編小説)についての文章が引用されました。引用部の要旨を以下に示します。
 @コントは、登場人物のaction(行動)を主として扱い、それによって生じる事件から、その背後にある世界が暗示される。
 Aコントでは、その短さ故に、登場人物の心理的説明が、しばしば読者の想像力に委ねられることがある。
 Bコントで示される小世界の中に、背後に隠れている巨大な世界が反映されていればコントとしての機能は果たされていると言える。

 W氏は「風雪」を上記のコントの特徴を持った作品であり、その主題として以下が示されていることを述べました。
 @死を意識したときに生の充実感(恍惚感)を得ることができる人間の生の本質
 A世界に選択を強いられる人間の生の在り方
 Bさらにはどう選択しても幸福に結びつかない世界の在り方

 本作におけるヘミングウェイの「日はまた昇る」の反映や、「死の島」を含めた後期小説の重要なイメージとして「天使」の存在の指摘は、意外ながらも説得力があり知的刺激に満ちた見解でした。

2.共同討議「死の島」(全員参加)
 今回(第6回)が最終回で、文庫版で下巻301頁〜最終頁の範囲について、参加者全員による討議でした。最終回ということで、討議内容は小説全体、多岐に亘りました。主な論点を以下に示します。

 ・3通りの結末の解釈
 ・素子の意識の流れを描写した「内部」の最後となる内部Mの空白の意味
 ・登場人物像について
 ・福永作品に通底するイメージ(鏡、海、雪、窓など)の解釈
 ・後期短編小説群においても指摘されたキリスト教的イメージについて
 ・最終章で示される相馬の到達した小説観について
 ・「死の島」の特異な小説構造について

 「死の島」については討議を尽くしたとは言えず、これで終りにするのは惜しいという意見が多く、次回の研究会例会全体を「死の島」についての検討に充てることになりました。「死の島」は個人的に一番好きな福永作品であり、楽しみにしています。

3.「死の島」に関する資料(Mi氏)
  以下の資料が提出されました。

 1)「文芸」連載の初出本文(第49回〜第56回:最終回)と元版(初版)本文との異同対照一覧表。
  福永は初版刊行に当たり、実に多くの箇所に修正を施していることに驚かされます。
  さらに、後年の全小説版と全集(文庫)版の間にも異同があり、作品検討の基本資料として、全集(≒文庫)版を採用することが妥当であることが示されました。異同対照表の作成は神経を使う大変な作業ですが、こうした地道な書誌研究により、作品や福永の作家としての姿勢についての理解を深めることができるのではないかと思います。
 2)「文芸」連載 素子の内部M(空白部)、最終回「梗概」コピー
 3)「文芸」連載時の休止/再開/終了の通知(編集後記、知人への入院通知印刷葉書)

4.その他の資料
 1)福永の色紙複写(T氏所蔵)
  色紙には"堀辰雄逝きて百日"とあり、"秋立つや たたうに残る うすじめ り"の句が記されています。
 2)福永自筆の葉書 複写2点
 @福永愛読者のF氏より提供して頂いたもので、氏がエッセイ集「枕頭の書」初版中の誤りを版元に指摘した際、著者より直接貰った礼状とのことでした。
 A川上澄生の画集への寄稿依頼への返事(Mi氏所蔵)
 句読点がないのが福永の葉書の特徴とのこと。多色複写。
 3)今年の七夕大古書入札会 落札価格資料(Mi氏提供)
  下北沢に場を移しての恒例の2次会で披露されました。作家の自筆原稿の相場や古書に関する裏話など、門外漢の自分にとって驚くことばかりでした。

次回は11/29(日)に開催の予定ですが、「死の島」あるいは福永作品に関心のある方にぜひ参加していただきたいと思います。

(文責 Ki)




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