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福永武彦研究会・例会報告(6)

第93回(2005年11月)

第93回例会 報告(2005.11.27)

11月例会 報告
日時 11月27日(日)  14:00〜17:00
場所 烏山区民センター 第3会議室

内容:討論『夢みる少年の昼と夜』
@ 評価確認
    後年、この作品への「文壇的反響は、私に深い傷を負わせたようである」(「全小説 第4巻」序)と記した福永。その反響を、発表当時の新聞・雑誌で具体的に確認した。
A 内容討論 
    各自の「読み」を提出し、討論。この作品を読んだ年齢(時代)にも注目し、各自の思いを語った。コメントU参照。
B 底本について
    この作品を論じる場合、底本とすべきは槐書房版(79年2月刊)である。全小説(=全集)版と槐書房版では、主人公太郎の年齢をはじめ、かなりの違いが認められる。
    全小説本文と、その槐書房版本文を対照し、特に重要と思われる違いを確認した。

【関連情報】感泣亭例会
11月13日、マチネ・ポエティクの同志でもあった故小山正孝氏(1916年〜2002年)を偲ぶ「第二回 感泣亭例会」に参加した。
生前面識のあった方々から小山氏の人柄が彷彿とするような味わい深い話を数々聴くことができた。そして同時に、小山正孝の詩の出自・特質、さらに現代詩の向かうべき方向について真剣な討論がなされた点に、今回の感泣亭例会の大きな特質を見る。そこには、ご子息小山正見氏と出席者30数名の、小山正孝に対する、そして現代詩に対する強い思いがこもっていた。

 *小山正見氏の作る「詩人・小山正孝の世界 感泣亭」をご覧ください。
  http://homepage3.nifty.com/kankyutei/

【資料情報】今回は、福永自筆草稿。この10年、福永自筆物の流出により、その価格はかなり下落したが、それでも戦後文学者の中では高価である。
ア フォークナー・フォークナー! ペン 200字×60枚完 68万円
                   八木書店 古書部   03-3291-8221
イ にほひ草 ペン200字×23枚完 36万7500円 森井書店 03-3812-5961
ウ 暖かい冬 ペン400字×4枚完 8万4千円  夏目書房  03-3971-6092

品の状態は、各古書店へ。


2005 年 11月 27日 第 93回例会  参考資料・コメント

今回も前回同様、討論なので詳細なレジェメはない。代りに、当日配付・回覧された参考資料を以下に記す。

【配付資料】複写
@ 当時の新聞評・雑誌評
 「東京新聞」54年10月27日 「文藝時評 中」    本多 顕彰
 「図書新聞」54年11月6日  「文芸時評 11月号」 平野 謙
 「読売新聞」54年11月11日 「愚者の楽園」     臼井 吉見
 「群像」  54年12月号  「第91回 創作合評」
  高見 順・八木 義徳・佐多 稲子
 「文學界」 54年12月号  「小説診断書」 北原 武夫・臼井 吉見
  A3表裏1枚
A 『夢みる少年の晝と夜』槐書房版 限定版刊行案内   
   限定版3種(著者版26部・A版50部・B版125部)の装幀が精しい。著者版も21部だけ頒布された(八萬圓)ことがわかる。 A4片面1枚
B 福永武彦自筆手帖より(78年10月〜12月)
     『夢みる少年の晝と夜』槐書房版 刊行に際しての、本文校正・後記(ノオト)等執筆関連個所 B4表裏1枚
以上 @〜B 三坂

【回覧資料】複写
@ 『戦後文学への断想』伊藤信一著 非売品 86年10月刊
  30数年以前に書いた文芸批評を、後年一冊に纏めた著書。著者は、東洋経済新報社員。全10章の最後が「福永武彦の虚構小説―「冥府」など」と題し、「夢みる少年の昼と夜」・「冥府」・「深淵」を取り上げる(169頁〜181頁)。執筆は、1955年8月と早い。        A4片面11枚
* 本書の複写は、研究発表でも活躍されている渡邊啓史氏より、今年の夏にいただいたものです。未知の貴重な資料をご教示くださった渡邊氏に感謝いたします。
A 福永研究会 第80回例会 発表資料    鶴見 浩一郎
   “「夢みる少年の昼と夜」と「退屈な少年」における福永の原型”という題で、2002年6月に会員の鶴見氏が発表した資料。A4片面7枚。
 * 『夢みる少年の昼と夜』を主題とした唯一の研究論文。
 当研究会ホームページ(「会報 18号」後表紙で既告)、「例会履歴」欄に鶴見氏の要約が掲載されていますので、ご覧ください。
B 『福永武彦対談集 小説の愉しみ』講談社 81年1月刊
   福永文学の初期からの良き理解者である、篠田一士との対談「「死の島」と福永文学」より、154頁〜157頁。 A4片面2枚
C 『夢みる少年の晝と夜』槐書房B版 現物
以上 @〜B 三坂、C 佐藤 

【コメント】

T 『夢みる少年の晝と夜』考  長谷部 紫紺

 この作品は1954年7月、同年齢で親しかった劇作家、加藤道夫が前年末に自決した後、譲り受けた軽井沢追分の山荘で十日間程で書き上げ(75枚)、「文學界」(54年11月号)に発表し、1958年2月、東京創元社刊『心の中を流れる河』に所収されたもので、当時新聞・文芸誌等での評価は毀誉褒貶甚だしかった。
 在学時代著者の教えを受けた誼で、著書巻頭に願った自署は「夢の中に現実があり、現実の中に夢がある」と云うエピグラフで、本作のキーワードの一つとも云えようか。
 
  扨、作品を通し、垣間みた側面に若干触れてみたい。
 本作は父の転勤で近々神戸に転校を余儀なくされる遠山太郎少年(小学5年生、10歳。後限定版で11歳に訂正)の1日の記録描写である。主たる登場人物は男性8名、女性6名で自宅と近隣、小学校、友人宅、縁日の夜店、見世物小屋、墓地等での行動軌跡と太郎の独白・会話を著者の眼で、希臘神話を巧みに取り込みつつ大人の見識により描いている。
 
  先ず第1に著者の脳裏には、自身の出自に由来する要素も通底しているものの、他方『恐るべき子供達』の作家ジャン・コクトー、『赤と黒』のスタンダールの主人公、ジュリアン・ソレルはじめ欧米作家の描いた少年群像があり、作品の登場人物にデュフォルメされて描かれている様に伺える。
 第2に太郎少年を取り巻く人々との心理と行動描写のテンポが、吾が邦既存の私小説リアリズム作品と異なり、極めて早く、希臘神話とオーバーラップさせたり、過去の時間を巧みに取り込んだり、ズームアップ、フェードイン、絞り込みはじめ、映画的技法が随所に見受けられる。往年の映画評論家として積んだ体験が全般のプロットを通し認められ、本作の大きな一つの特徴に数えられよう。
  第3に太郎自身の大切な秘密の品々を収めた青色の玉手箱と知の備忘録としての単語帳の存在。著者幼少の頃のファクトだろうか。メーテルリンクのチルチル、ミチルの追う神秘な幸せの『青い鳥』が連想され、数々の呪文と相まって微笑ましい。
 第4に既知のフロイド分析による性的要因である。2年生の時、担任の女教師青山先生の胸を触ったり、終始変らぬ愛ちゃんへの絶ち難い思慕と好奇の念。蟹田アブクちゃん姉弟の取っ組み合い喧嘩へのサディズム的連想。
 怪獣の犠牲として荒磯に全裸で鎖縛りされたアンドロメダの姿態に漂うエロティシズム。夜の見世物小屋でのサムソン(村越先生)とダリラ(青山先生)の半裸形の立ち廻り。直ちゃんの姉の夜の女王(魔女)への変身等。
  第5に本作を巡る希臘神話について。原作末尾にマラルメ『古代の神々』に依るとの註記通り、希臘語原典からのものではない。
 アルゴス王、アクリシオスは、ダナエがゼウスの子ペルセウスを産み、この子が成人したら王を殺すとの予言を受け、二人を箱詰めして海に流した。流れ着いた島の王、ポリュデクテスはダナエを妃にと迫ったが断られ、牢に入れた。釈放の条件として、子ペルセウスがメドゥサの首取りに赴く。
 アテナ女神の支援で見事役を果し、帰途ケーペウス支配のエティオピアで、荒磯で断末魔の全裸の王女アンドロメダを救い、娶る。
 所で、メドゥサ女王はゴルゴーンと呼ばれ、元来は厄除けの力を持つ古い異邦の地母神で後年希臘神話に取り込まれ、見る者全てを石に変えた恐怖の存在として著名である。
 
  最後に本作に係わる批判的批評のみを見ておくが、此等評論家の作品の読み込みの浅さには正直一驚した。
@ 八木義徳 文学的技法が介添え。夜の描写は表面丈で平板。
A 高見 順 モノローグが長くダラダラして了う。軽いものを馬鹿力をこめて描いているのでへんてこ。
B 佐多稲子 夜は晝のおさらい。夢見勝ちの点を子供から離れた希臘神話で描いている。小説も作家も行儀がよすぎる。
             以上「群像」(54年12月 「第91回創作合評」)
C 北原武夫 子供の推理が極めて平俗で通俗。思いつめ方が足りない。綴り方みたいな小説。
D 臼井吉見 あさはかなこしらえもの。「冥府」で見直したが、何とも妙な感じだ。
 以上「文學界」(54年12月 「小説診断書」)

後日、菅野昭正氏との対談で、著者はこの作品は力を込めて書いたものだったが、文芸誌評でコッピドイ目に逢ったとの苦笑談をされていたと謂う。    

 了

* 長谷部氏の上記の文章は、題からもわかるように、単なるコメントではなく小文ながら『夢みる少年の昼と夜』に関する独自な批評文となっています。短時日の間に執筆いただいた長谷部氏に感謝いたします。


U夢の連環 或は 錯誤の領域  三坂 剛

討論に入る前に、三坂より発表当時の新聞・雑誌の複写(【配付資料】@)を配り、当時の評価を見る。
以下、参加者各人の感想・意見の大略のみ記す。年号は西暦下2ケタ。また、何版で読んだか(持参したか)を示す。*以下は、三坂。

K氏(男性) 新潮社版全集 第4巻
・凝った文章で、『死の島』を連想する。
・散文というより、詩(韻文)のような文章。
・ 太郎少年を著者は使い分けつつ(無垢で幸福な少年と希臘神話に凝る知的少年)、上手にまとめている。
・ 一作品だけを取り上げて論じるのは困難。
* 最初に話されたK氏には、初読年齢を訊き忘れ。年齢と同時に、今回は「何版で読んだか」を確認してみた。韻文のような文章という指摘、納得。

S氏(男性) 槐書房『夢みる少年の晝と夜』B版
・発表後間もなく、25歳頃初めて読む。
・太郎少年と同じようなオマジナイの経験あり。
・佐多稲子氏も言うように、夜の部分に比べて昼がよく書けている。
・夢は一般に「浅い眠り」(ノンレム睡眠)の状態で見る筈だが、最後の場面からも、この少年は「深い眠り」に落ちている。この点、納得できない。
・希臘神話に、余り過剰な意味付けをしないほうがよい。
*Sさん持参の貴重な槐書房B版、この著書そのものが、福永のこの作品に対する愛着を如実に語っている。
  希臘神話に大きな意味はないのではないかという点、T氏からも「希臘神話は、少年の性格を描くため」という補足あり。

Mさん(女性)東京創元社 『心の中を流れる河』元版第3刷
・67年、21歳頃元版で初めて読む。
・小説としては、物足りない(説得力に欠ける)。
・母の記憶がない、という太郎の記述がおかしい(わからない)。福永には、本当に母の記憶が全くなかったのか?
・記憶は「思い出すこと」で育つもの。記憶というものを、意識的に再考するキッカケになった。
・希臘神話が、太郎の消された記憶の埋め合わせのように使われている。
 *いつも自らの実感に即して明確に意見を述べられるMさん。教えられる点が多い。後の2点、「記憶は思い出すことで育つもの」・「神話は消された記憶の埋め合わせ」という意見、興味深い。

T氏(男性) 東京創元社 『心の中を流れる河』元版初刷
・発表当時、雑誌で読んだのは22歳頃。
・福永作品にはモノローグの使用が多いが、この作品は太郎の内面の連続性をよく捉えている(大人のロジックではないが)。
・希臘神話は、初級レベルの使い方。この作品では、それほど重要な要素ではない。
・(Mさんの意見に関連して)この作品から、福永本人の体験を結び付けても意味はない。
・作家福永としての視点から叙述している箇所も多い。子供はもっと単純な筈。最後は作文のようだ。創りものとしては巧いが、臼井の批判は当っている箇所もある。
・短時日で時間をかけずに書いた作品で、福永作品として、それほど重いものではない。
・福永からは、ときどき発表した作品に関して「どうだった?」と訊かれた。
・新潮社版堀全集の編集の際だったか「堀の未発表作品、見つけたら教えてくれ」と言われたこともある。
*持参された元版『心の中を流れる河』の扉には、「夢の中に現実があり 現実の中に夢がある」という福永自筆文がペンではっきりと記されている。50年代の福永の字体は、後年より丸くやさしい。
最後の2点は、福永と直接面識のあったTさんにしか語れぬこと。教え子に自作の印象を訊ねる福永の率直な姿勢が好ましい。

U氏(男性) 新潮文庫版 『夢みる少年の昼と夜』
・ 初めて読んだのは、3・4年前20代の終り頃。
・ この作品、太郎が床から抜け出すところからが「夜」なのか? モノローグの部分が「夜」とは言えないか?
・小川未明の童話に、希臘物はあったか?
・ペルセウス=ウルトラマン=ハリーポッターという連想が働いた。
・短篇「沼」を連想した。「沼」にモノローグを付けると、この『夢みる〜』になるのではないか。
*「夜」はどこからか(どの箇所か)、という問いかけ。自明のことと思っていたので、モノローグを夜と捉えられないかという指摘にハッとする。

Uさん(女性)新潮文庫版 『夢みる少年の昼と夜』
・ついこの前、40代半ばで初読。
・自分も子供の頃よく空想した。起きている時、自分の世界に入り込む時間が愉しかった。太郎のモノローグは、その頃の自分を思い出させてくれる。
・太郎は、無意識のうちに母の死を考えないようにしつつも、青山先生に母を見ている。これは、悲しいこと。
 *青山先生に母を見ることが「悲しいこと」と捉える点、面白い。素直な感想が、この作品の一般読者(愛読者)への印象を代弁している。

M(男性) 新潮社全小説版複写・槐書房版B版
・初読は、20歳。新潮文庫で何気なく。初印象は「これで終り? 夜の場面でもっと薄気味の悪いことを期待していたのに、肩透かし」
・この作品のナレーションを、文庫版解説で篠田一士は3つに分けている。
私は、@会話 A太郎のモノローグ(内面) B客観叙述(T 太郎の視点から周りを叙述する U 外部から太郎[の心の中も含めて]を描写する)に分けたい。
・細部で拘りたい表現がたくさんある作品。重層的意味を持つ象徴的表現を多用。
・「昼」の部分と「夜」の部分での(同一)語句の対応。例えば最後で直ちゃんが「僕、姉さんに悪いけど助けてあげる」というのは、直ちゃんの姉さんが「夜の国の女王」だから(全集42頁、57頁の「白粉の濃い、口紅の〜」という同一記述でわかる)など。
・ ボンボンの丸い罐が「青い色」に塗られているのは、希臘神話で@ダナエとペルセウスがアクリシオスに閉じ込められたのは、「青銅の密室」だったから? Aペルセウスがアテナ女神から鏡のように磨かれた「青銅の盾」を借りたから? B マラルメ「古代の神々」によれば、ペルセウスの父ゼウスとは「澄み渡った青空」という意味であるから?など様々推測することは、面白い(長谷部氏のコメントにある『青い鳥』への連想あたりが正解か?)。この「青色の罐」への注目は、渡辺啓史氏より示唆を受けた。
・ 太郎の「単語帳」は、マラルメの作品「単語帳」から何らかのヒントを得た可能性がある。
・太郎がお鹿さんと会話する言葉使いと、青山先生や村越先生と会話する際の言葉の相違に、階級差を見る。

以上各々、語ったところのほんの一部であることをお断りしておきます。

その後、三坂よりこの作品の底本としては、全集(全小説)版は使えないこと、福永が亡くなる79年に刊行された槐書房版に拠るべきことを、全小説版本文と槐書房版を対照し、重要な相違箇所を指摘することによって、確認した。
その際、佐藤 武氏は、貴重な槐書房版(B版)を持参され、皆に回覧された。

また、福永自筆手帳の一部(複写)を配付し、槐書房版『夢みる少年の晝と夜』の本文校正・後記(ノオト)の執筆時期等を確認した。
この自筆手帳は、今年5月浪速書林より入手したもの。3冊のメモ用紙計200葉余りの表裏に、主にドイツ語でびっしりと書き込まれた日記(78年10月〜79年2月)。この種の自筆物は、入手先を明らかにしておくほうがよいだろう。今夏発行した「会報 第18号」表紙裏に掲載した『夜の時間』自筆原稿は、昨年12月東京・大山堂書店より購入したもの。ただし、全体ではなくその第5章・第6章のみである(ペン書き 200字×89枚)。

最後に、わずか201部しか刊行しなかった槐書房限定版において、何故わざわざ主人公太郎の年齢を変更したのか、その理由を探った。
その他にも、同一語句の繰り返し等について、その意味合いを指摘したい個所が多かったが、時間切れ。

【全体として】
今回、改めて『夢みる少年の昼と夜』の「文學界」初出→「東京創元社 元版」→「新潮文庫版」→「全小説版」→「槐書房版」の本文推移を確認してみた(人文書院新版は元版と、全集版は全小説版と同一本文)。福永が如何に自らの作品を大事にしていたか、それを具体的に理解できる。このような討論をこれからの福永作品の「読み」に反映させていくことが、参加者各々の愉しみである。
今回、貴重な福永自筆文入りの『心の中を流れる河』持参されたT氏、槐書房版『夢みる少年の晝と夜』を持参されたS氏に感謝します。

この限定版『夢みる少年の晝と夜』のために独特の版画を作製された洋画家 脇田 和氏が、研究会当日に亡くなられました。享年97歳。ご冥福を祈ります。
 以上


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