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福永武彦研究会・例会報告(5)

第92回(2005年10月)


第92回例会 報告(2005.10.23)

* 2005 年 10月 23 日 第 92 回例会 
日時 10月23日(日)  14:00〜17:00
場所 粕谷区民センター 第2会議室

内容:『やがて麗しい五月が訪れ 原條あき子全詩集』(書肆山田)を読む。
@ 詩篇朗読と討論  
 出席者各人の好む詩篇を朗読し、感想を述べあう。
 T 原條あき子に関して(特に福永との出会いから別れ)年譜的事実確認。
 U 参加者による詩篇朗読と感想、分析。 福永詩篇との対照。

A 現在の定型押韻詩紹介と朗読
 現在の定型押韻詩の実作として、飯島耕一・佐岐えりぬ・梅本健三・松本恭輔・星野晃の詩篇を紹介、朗読。
 T 星野晃の「『火の島』による変奏T〜W」を紹介、朗読(T)。
 U 梅本健三・松本恭輔の定型押韻詩より数篇を朗読。
 V 飯島耕一・佐岐えりぬ詩篇朗読。

  マチネ・ポエティクの直接的反響をTに、その遠い響き(共感・反発・超克の意図)を、U・Vに聴く。

【定例会】
一冊の詩集を各々が朗読し感想を述べた後、皆で討論するという試み。「詩を複数の者で読む」ということに意義あらしめるためには、どうしたらいいのか。
感想・分析(他の詩篇との対照)に今回は重きが置かれたが、「朗読そのもの」により時間を割くべきだったかもしれない。詩の実作者の参加が欲しかった。
今回の試みを、これからも試行錯誤しつつ継続していきたい。

【資料情報】
ア『心の中を流れる河』元版 函  海風舎 0468-72-2091 5000円/矢野書房 06-6352-1056 8925円/龍生書林 03-3754-6755 8190円/けやき書店 03-3291-1479 15000円
イ『夢みる少年の晝と夜』 槐書房  B版限定125部 山田書店 03-3295-0252  20000円/A版限定50部 署名入 森井書店 03-3812-5961 63000円/著者版限定26部 句署名入 玉英堂書店 03-3294-8045 350000円 
ウ『世界の終り』元版 函  まつおか書房 0426-46-7827 5000円/中野書店 03-3261-3522 12600円/矢野書房 15750円

* ア・ウは新版ではなく、元版の価格。本の状態は、各古書店へ。


今回は発表ではないので、レジェメはない。代りに、当日配布された参考資料を以下に記す。
参考資料・コメント
【配布資料】複写
@ 『福永武彦詩集』(84年3月 岩波書店)より
詩「火の島」(104頁〜105頁)・「マチネ・ポエテイツク作品集 第一 解説」(199頁〜204頁)
A 『やがて麗しい五月が訪れ 原條あき子全詩集』(2004年12月 書肆山田)」 
  より 詩「秋の歌(Tristan et Iseult)」(126頁〜127頁)
                 以上@・A 松木 A4片面6枚 

B 「近代文学」47年4月号より詩6篇(24頁〜27頁 2段組)
福永「詩人の死」/窪田「人魚の歌」/加藤「妹に」/枝野「果樹園」/原條「頌歌」/中村「頌歌 T」 *原條詩 全詩集版と詩句に異同あり
C 「八雲」47年9月号より詩5篇(33頁〜35頁 2段組)
中村「頌歌 U」/原條「望郷」/窪田「Sonnet op. 12」/加藤「魔王」/福永「物語」        *原條詩 全詩集版と詩句に異同あり
D 『福永武彦全集 第十三巻』より詩4篇、訳詩1篇
「ひそかなるひとへのおもひ」(22頁〜25頁)・「雲の湧く時」(31頁〜33頁)・「鉄橋にて」(40頁〜41頁)・「冬の王」(84頁〜85頁)・訳詩「ミラボー橋」(398頁〜400頁)
E 「文藝」79年10月号より
 福永追悼文 原條「みちびき」(269頁〜270頁 2段組)
*「私の数少ない詩は、しかし、すべて彼(注 福永)のために作られ、幼い子供にあてたものも、他の男に歌ったものも、彼に捧げられ、彼の誉め言葉と彼の批判とをまつものであった」
F 『原條あき子詩集』(68年7月 思潮社)より
 扉への原條自筆献呈署名・「後記」(頁数なし)
G 『中庭詩集』(95年11月 思潮社)より詩4篇、訳詩1篇
梅本健三「織部に」(38頁)・「葦の筆」(44頁〜45頁)/松本恭輔「ヤマユリ」(138頁)・「札幌すすきの」(146頁)・訳詩「ミラボー橋」(228頁)
H 『中庭詩歌集』(2004年11月 創風社)より詩12篇
星野晃「『火の島』による変奏」として、福永の原詩と星野作「変奏T」〜「変奏W」(85頁〜89頁)/梅本健三「最短距離のバラード」(201頁〜202頁)/松本恭輔「薬師湯,梅の湯」(94頁)・「亡命者の歌」(101頁)・「ひとみ」(150頁)・「外国の人」(192頁)・「広くなった家」(238頁〜239頁)/Guillaume Apollinaire“Le pont Mirabeau”(199頁「ミラボー橋」原詩)
I 詩集『れくいえむ れくいえむ』(佐岐えりぬ 2000年6月 書肆山田)より 「燃焼―別れに」(10頁〜11頁)・「独居」(80頁〜83頁)
J 詩集『さえずりきこう』(飯島耕一 94年12月 角川書店)より
「ジャック・ラカン」(22頁〜24頁)・「はじめてのマンハッタンのバラッド」(42頁〜43頁)・「忿怒のバラッド」(96頁〜98頁) 
            以上B〜J 三坂 A3表裏3枚、B4表裏3枚

【コメント】

T 朗読・討論・発見        松木 文子

マチネ ・ポエティックの成立は昭和17年であるが、戦中戦後の世相の中で、物議の種ともなったこの文学研究のサークルにおいて、最も多く試みられたのは日本語による押韻定型詩の試みであった。
今回は、マチネ・ポエティクの詩人であり、福永の最初の夫人であった原條あき子(1923.3〜2003.6)の、未刊詩編を含む全詩集『やがて麗しい五月が訪れ―原條あき子全詩集』(池澤夏樹編 2004年12月 書肆山田刊)を取りあげた。
参加者はあらかじめ詩篇を読み、当日各自好きな作品を朗読し、それについて討論をした。

はじめに三坂さんから詩集に付された池澤夏樹文「母、原條あき子のこと」に基づいた原條の年譜的な紹介があり、その後で各自作品を取りあげ朗読していった。
朗読では、原條20歳での初期作品「少女 1」や「やがて麗しい五月が訪れ」(朗読者M)、「ああ いいところでお会いしました」(K氏)、「To my darling Natsuki 2」(U氏)、「娼婦 4」(Uさん)、「望郷」他(M氏)などが取りあげられた。

総じて知的頭脳的といえるマチネの男性詩人たちの中にあって、原條さんは感覚的であり女性的であり、一読して難解な語彙はないといってよい。だが、ちりばめられた代名詞が、詩の中で乱反射して目くらましのように核心を隠してしまう。それは、詩型や音韻を整えるための、技法的なものでもないようだ。

詩「ああ いいところでお会いしました」の朗読の際は、K氏の好きなロック歌手布袋寅泰とその夫人でもあった歌手山下久美子と、彼らの共同制作の音楽作品との関係に、大きく重なるものが感じられるという話で盛り上がった。K氏によれば、この原條の詩はストーリーとしては別れたあとの再会をうたっているかのようだが、結婚している間に書かれ、しかも福永に呼びかけているのだという。確かに、呼びかけた相手を「昔の彼」と解釈し分かったつもりになったら原條さんの思う壷かもしれない。
皆で意見を述べ合うことで、思い込みが打ち破られたり自分以外の人の考えに触れる、ここに討論の面白さがある。作品の読み方については、確かにK氏の言われるように、作品に内在する真実に即して読むか、作品の事実よりもより自由な主観的想像力で読む読み方があってよいという考え方もある。

「To my darling Natsuki」は、小さいお子さんがおられるU氏が読まれた。「まったく対極的な状況だけど」とコメントしながら。

「娼婦 4」については、原條詩によく出てくる「おまえ」と「わたし」の関係について、三坂さんから鋭い指摘があった。「おまえ」は福永の見た原條さんであり、原條さんは福永の目を透して自分を見、福永になりかわって自分を断罪する気持ちを持ち続けたのではないかということだった。このことについては、あとで資料(「みちびき」)により明らかにされることになるが、納得のいく指摘だった。混乱を招いた謎めいた呼びかけが、その視点のもとでスルスルと解けるのである。

「望郷」の初出と福永詩編「雲の湧く時」の比較、「死と転生」の言葉の使用、原條詩の「きん、金、黄金」の多用と福永詩への影響など、相互的な影響の認められるものについて作品にあたり確かめられたことも有益だった。三坂さんが用意してくださった資料「『文藝』79年10月号 福永武彦追悼号」に寄せた原條さんの文には息をのんだ。作品のなかで隠されていたものがあらわになり、その率直さに胸を衝かれながらもたじろいでしまう。
全部で56篇。1人の詩人の全作品としては少ない作品数だが、ひとりの女性詩人の生涯がそこに込められている。

後半は福永詩「火の島―ただ一人の少女に」を原詩として「『火の島』による変奏」を書いた星野 晃をはじめ、現在、定型押韻詩を書いている詩人たちとその作品の紹介・朗読であった。
私には「『火の島』による変奏」は意図が判然と理解できないのだが、飯島耕一が立ち上げその後飯島が抜けてからも「中庭」という詩誌に依り定型詩の実作を続ける詩人たちがいる。梅本健三、松本恭輔の各々数篇の作品のなかで、長い間詩を読まなくなっていた私が記憶していたのは松本氏の「ヤマユリ」のみであったが、これらの作品にも60年前のマチネ・ポエティクの試みが現在に脈々と繋がっているのを感じた。飯島耕一の『さえずりきこう』の「ジャック・ラカン」ほか2篇の詩も楽しい。飯島が提唱した押韻定型について理解を深めたいと思う。 

三坂さんの資料の中で、最後に特筆すべきは佐岐えりぬ『れくいえむ れくいえむ』のなかの2篇の詩である。「燃焼―別れに」はカトランと呼ばれる4行詩が2連完結の短いものだが「情感のこもった心に沁みる詩(三坂)」である。「芸術作品であればフォルム(型)を持たねばならない」と、SHINこと中村真一郎は語ったそうだが、この詩はフォルムを持ち脚韻をもち、内包する1語1語に自在な頭韻の連なりを持つのだが、その1語1語は亡くなった連れ合いの魂にむかって、妻であった詩人の悲しみがフォルムのなかにあってフォルムに囚われぬ自然な流露となりほとばしり出るのである。
そして「独居」。どうかこの詩集『れくいえむ れくいえむ』を、かたわらに置いて読んで欲しい。一語として欠かすことのできない言葉を味わってほしい。
私は、以前この詩集を手にして深い感慨を覚えたがこの大好きな詩集の印象はますます光彩を深めた。


U 詩句の彩り 或はさまざまな生         三坂 剛 
                      
今回は、いつも発表していただくWさん、福永に教えを受けたTさん、半世紀に渡る愛読者のSさんという常連の方々がやむなき事情で来られない。しかし、参加者間では、活発な討論が行われた。

【出席者の朗読詩篇・本人感想(*以下は三坂感想)】
Mさん(女性)
朗読 「少女 1」・「やがて麗しい五月が訪れ」

「夜の歌」(47年)や「さざなみ」(50年)をはじめ、どの詩篇をとっても全体として「一人の女の一生」を強く感じる。
初期詩篇「少女」3篇(43年・44年)の感覚の鋭さ、「なつきへ」(46年)の特徴ある詩句、そして後年の作「私のそばで眠るのはだれ 4」の最後の絶唱に惹きつけられる。
特に「少女 1」(43年)のみずみずしい詩句には、才能を感じる。その中の「おごりの子」という言葉、これは与謝野晶子の歌にあった筈。与謝野晶子、明星の系譜で原條の詩句を見ると面白いと思う。
さらに「やがて麗しい五月が訪れ」(48年)。この美しい詩句は、女として、最も幸せな時期だからこそ生まれたものでしょう。

* 資料として、福永「火の島」・原條「秋の歌(Tristan et Iseult)・「マチネ・ポエティク作品集 第一 解説」のプリント配布があり、理解を深めるのに役立った。
Mさんの発言には、いつもハッとさせられる点がある。与謝野晶子の系譜で原條詩を見るという視点、教えられる。  

Kさん(男性)
朗読 「ああ いいところでお会いしました」

以前は、三好行雄流にあくまで作品に沿って解釈することを心がけていたが、現在は小森陽一流に自分に引きつけて自由に読み込むことに興味があるので、その視点から。
一篇あげるなら、「ああ いいところでお会いしました」(48年)。この詩篇から、ロック歌手布袋寅泰と山下久美子の間柄を連想した。 布袋の“THANK YOU & GOOD BY” 。思い出は、男女の間に必ず残る。愛は永遠ではなく、一過性のもの(でいいのか)。
こういう自由な読み方に、今の私は惹かれている。

* 資料として、勝野良一詩集『海そして残照』(2004年3月 砂子屋書房)の紹介(押韻ソネット12篇と、散文詩10篇。後記に原條詩への言及)が有益だった。
詩篇朗読の後、歌い始めたのに驚く。しかし、歌を混えながらの感想には、「好きなことに引きつけて詩をよむことの愉しさ」が伺われた。

Uさん(女性)
朗読 「娼婦 4」

Mさんと似たようなことを感じた。女の生(性)。特に「娼婦」連作(62年)が印象的。その4に出てくるラクダに、「広い砂漠の中の孤独=人生」を感じる。

* 「文学は全くの無知」と言いながら、例会にはよく出席してくれるUさんに感謝。この詩篇だけでなく、詩集全体として「おまえ」とは福永が原條に向って呼びかけていると取りたい。

Uさん(男性)
朗読 「To my darling Natsuki 2」

男女の違いだけでなく、私と原條の生は、現在対極にあるようだ。後年の
「指輪」連作なども印象的だが、一歳半の子供がいるので、やはり子供を
詠んだ詩篇「To my darling Natsuki 2」(48年)に惹きつけられる。

* 今年からまた復活したUさん。ホームページの更新をお任せしている。朗読詩篇への率直な感想に人柄が滲んでいる。
  それにしてもこの題、何で英語なんだろうか。

M(男性)
 朗読前に、福永・原條の出会いと別れの年譜的事実の大略を確認。
 朗読 「望郷」(44年)

@ 「望郷」詩篇について、初出との対照。また福永詩篇「雲の湧く時」・「冬の王」との対照。
A 「To my darling Natsuki 1」と福永詩篇「ひそかなるひとへのおもひ」・「鉄橋」との対照。
B 「ああ いいところでお会いしました」と福永訳 「ミラボー橋」、同松本恭輔訳「ミラボー橋」(Apollinaire“Le pont Mirabeau”)との対照。
C 星野晃「『火の島』による変奏」詩篇紹介、朗読。
    * 福永詩「火の島」の変奏、4篇。
D 梅本健三・松本恭輔の定型押韻詩紹介、朗読。
E 佐岐えりぬ・飯島耕一詩篇紹介、朗読。
F 原條の福永追悼文「みちびき」紹介、解釈。

* いつもながらの、資料の山。その向うに何を見定めるのか。C〜Eに、マチネ・ポエティク詩篇への共感・こだわり・反発・超克の意図等、様々の影響を見る。

 詩篇の複写資料の作成途中に気付いたこと。例えば福永の詩を読む場合でも、全集だけに頼ると、連(の切れ目)を誤る可能性がある。特に次項との間は、間隔が一般的に広くなるので、切れ目と勘違いしやすい。必ず複数の版、できれば元版と対照してみる必要がある。

 【全体として】
今回の例会、久しぶりに討論中心。どうなるかと少々危ぶんだが、各々がしっかり準備して参加していた。特にMさん・Kさんから資料提供・教示のあったことは、「皆で例会を支えている」という気持ちの現われであり、喜ばしい。おふたりに感謝します。

ただ、詩篇朗読そのものに、もっと時間をかけても良かったかもしれない。
同一詩が(例えば「ああ いいところでお会いしました」)別の朗読をされることにより、一語一語の響きに変化があるだろう。   以上


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