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福永武彦研究会・例会報告(4)

第91回(2005年9月)

<月例研究会要約&コメント> 第91回
 要約は基本的に発表者にやっていただいています。

第91回例会 報告(2005.9.25)
・2005 年 9 月 25 日 第 91 回例会報告

@覚書と余談 4  サント・ブウヴ「ダンテ」の余白に 渡邊 啓史

福永は、イタリア語とその文化を好んだ。加藤周一は福永の回想で、没後に出版された「世界の終り」のイタリア語訳La Fine del Mondo, Marsalio, Venezia (1988) にふれ「その小さな本は実に美しく仕上がっていて、もしイタリアの文化とイタリア語をあれほど好んだ福永が生きていたら、どんなによろこんだろうか、と思われた」と語る(『高原好日』信濃毎日新聞社 (2004) p.48)。自身の回想に拠れば福永は、大学を卒業後に独学でイタリア語を学び『神曲』を読もうと決心していたと云う(「たしか神学者の吉満義彦教授からペルチエという人の註釈入りのフランス語訳を借り受けて、せっせと対照して読んでいた」全集 16 巻 p.378.)。後年 1979 年 4 月に刊行された『異邦の薫り』は「十三冊の訳詩集」の副題が示す通り、近代日本の代表的な訳詩集を論じたエッセイだが、その終章に扱うのは壽岳文章訳『神曲』である。同年 8 月に福永が急逝したため、この本が、生前に刊行された最後の単行本となったが、その意味で、福永にとってのイタリアは、ダンテ Dante Alighieri (1265--1321) に始まりダンテに終ったと言えなくもないだろう。

戦争中、『月曜閑談』Causeries du lundi で知られた文藝批評家 Sainte-Beuve (1804--1869) の選集を編む企画があり、辰野隆の監修で、その第一巻「中世及び十六世紀作家論」が 1943 年に刊行される。これは『月曜閑談』から抜いた作家論を、作家の時代順に配した選集だが、其処で福永は「ダンテ」の章の訳を担当している。後年の福永は、この翻訳について「私はイタリア語が出来そうだというので御門違いの「ダンテ論」を押しつけられ」たと語るが(全集 16 巻 p.378)、鈴木信太郎・三宅徳嘉共訳の「ヴィヨン」、渡邊一夫訳の「ラブレー」、井上究一郎訳の「ロンサアル」などと肩を並べての福永武彦訳「ダンテ」であることを見れば、大学を出て間もない福永の抜擢は、「御門違い」の「押しつけ」とは思えない。
 福永の担当した「ダンテ」の原文は『月曜閑談』第 9 巻に収める「ダンテの『神曲』」La Divine Comedie de Dante で、1854 年 12 月 11 日の日附がある。その内容は、当時出版された Menard に拠る『神曲』の仏語訳を紹介するもので、前半ではフランスに於ける『神曲』翻訳の歴史を概観し、後半では、その新訳の感想を交えながら『神曲』を語る。周知の通り、ダンテの功績の一つは俗語を詩語として確立したことにあるが、Sainte-Beuve もこれにふれる。また『神曲』の構想が、幼い日のベアトリイチェとの出会いに遡ることも、其処に展開される神学の体系が、天上の魂たる彼女を象徴する至高の愛の表現であることも話題とされる。内容の面から見れば、この近代最初の批評家とされる 19 世紀フランスの文人の語る「閑談」は、福永にとって、必ずしも目新しいものでなかったかも知れない。しかし、こうした翻訳への参加は、学問的訓練の意味を含めて、二十代半ばの福永には貴重な経験であったに違いない。

福永は、ダンテの何に魅せられたのだろうか。この翻訳から数年後に書かれた「ダンテの『地獄』と僕たちの地獄」(1946) で、福永はダンテの世界が「ダンテの殆ど熱狂的ヴィジョンから生れてゐる」こと、しかしそれが「ロオトレアモンの見たやうに熱狂的な、自己陶酔的な、謂はば狂氣の幻想」ではなく、全体に作者が「理智的な構成を張り廻らした」ものでもあることを指摘する。「詩的熱狂への没入と、しかもその背後に聡明に輝いてゐる理性的な構想力、この知性と感性との融合の中から叙事詩の世界は開ける」。福永はまた、ダンテを導く者が、最初はヴェルギリウス、後にはベアトリイチェであり、前者は哲学の具象化、後者は神学の象徴であることから、其処にも、理性と愛の二面性を見る。後に『1946 文學的考察』に収められることになる此の文章を、福永は、敗戦後の「醜惡な現實」をダンテの生きた乱世に重ねながら、この現実を生きるためにダンテから学ぶべきものは、その詩の精神と意志の力である、と結ぶ。その熱狂的なヴィジョンと理性的な構想力の、即ち、知性と感性の二面性への注目は、福永に於けるダンテが、何よりも先ず「方法としてのダンテ」であったことを示唆しているように思われる。

A『異邦の薫り 十三冊の訳詩集』研究 
其ノ参 本文検討 「十三 壽岳文章『神曲』」を読む 発表者 三坂 剛(MISAKA takeshi)
*年号は西暦下2桁
1 壽岳文章 紹介
A. 外国文学者―Blake研究家・書誌学者―として
【資料】
@『ブレイク抒情詩抄』岩波文庫 31年6月
A 同新編 改訳  40年8月  
B『ブレイク詩集』彌生書房 68年6月
C 「百年忌記念 ブレイク作品文献展覧會出品目録」 限定500部 柳宗悦・山宮允・壽岳
文章 27年12月

@〜Bは、壽岳のBlakeへの親炙を示す訳詩集。後に『神曲』全訳の際「地獄篇」・「煉獄篇」・「天国篇」各篇の扉に載せるBlake詩篇(“The Sick Rose”/ “ Ah! Sun- Flower”/“ The Lilly”)の改訳ぶりが見もの。
C 当目録の「第一門 文献目録」は壽岳の執筆。展示されたBlake作品の原本・複製・評伝・注釈等、全208点の精確な書誌と丁寧な解説。
B. 書物工芸家―書物の美的・社会学的機能の究明を志す者―として
【資料】
D 『向日庵・宗悦・志功の限定本』 高橋啓介著 湯川書房 83年12月  限定250部
E 「別冊太陽 本の美」 平凡社 86年3月25日 より   「書物の美学」
F Favorite Works of William Blake Three Full‐Color Booksより
 “ Songs of Experience” Dover Publication  84

D・Eは書物工芸家としての壽岳が、私家版として刊行した「向日庵私版本」16冊(+準向日庵本 2冊)他、壽岳の手がけた書物に関して、現物に即して書誌的に精緻に記したもの。写真版も美しい。
FはBlakeの美しい彩飾印刷画を、忠実に再現した多色印刷絵本。壽岳の向日庵私版本は極めて高価(10万円〜)なので、その代りにこれらの美しいBlakeの元絵を見ることにより、壽岳がBlakeの詩画を複製しようと志した気持ちが推察できる。

C 和紙研究家として
 20年代半ばから和紙の美と価値の高さを称揚し、40年から51年まで「和紙研究」に多くの論文・現地調査文を発表している寿岳にとって、日常生活における和紙の衰退は良質な日本文化の衰退であり、ぜひとも復権されなければならないものであった。なかでも、37年から40年まで夫人しづと共に全国を巡って日本の和紙生産の現場報告をした『紙漉村旅日記』は、それから65年を経た現在、日本の近代化の意味(可否)を痛切に再考することを促す貴重な記録である。
「(軽がるしく和紙の無用を云々する人たちに)物には利用價値以上の尊い世界があることを體驗せよ、工藝の問題は同時に生活全體の、道徳全體の、いな宗教の問題でさへあることを認識せよ」(『紙障子』42年 32頁)と訴える壽岳。

2.福永武彦と壽岳文章、その付き合いの様相
A.壽岳文章、人として
【資料】
G 『河上肇博士のこと』アテネ文庫2 弘文堂 48年3月
H 『壽岳文章・しづ著作集』 春秋社  全6冊 70年4月20日〜9月20日 見本パンフ

G共産主義者河上肇の息子政男の家庭教師として始まった2人の交遊が、河上出獄後(37年)戦時下においても継続され、壽岳が様々に河上を支援した事実が明かされる。政治状況に左右されない、純粋な人間同士の美しき交わり。
H 著作集内容見本パンフレットには「私たちの歩んできた道」という美しい一文が掲載されている。
  しづ夫人は、作家・翻訳家でもあり、『朝』(27年)・『歳月を美しく』(47年)の著作の他、W.H.Hudson(1841-1922)“ Far Away and Long Ago ” (18年, 岩波文庫『はるかな国とほい国』 37年)などの翻訳もある。
 1.で紹介した壽岳の全ての仕事は、しづ夫人との家庭生活の中から生まれた。夫人の協力がなかったならば、壽岳のライフワークとも言うべき「向日庵私版本」は決して誕生しなかったであろうし(本の彩色、写真や和紙の添付など多くは夫人の手による)、『紙漉村旅日記』(2人で作業を分担)をはじめとした和紙研究も成しえなかったろう。
文字通りの「協働者」としてのしづ夫人の存在に注目しなければならない。そこに、自由で平等な人生の Fellow Traveler としてのあり方を見る。

B.書物への愛を通して
【資料】
I Collection Saphir Z 巻耳 プレス・ビブリオマーヌ 65年6月 限定195部
J 「本の本」  (株)ボナンザ 76年11月1日 より
 「わが『書物』の思い出」

I福永が壽岳に注目するきっかけとなったという(「福永武彦全小説」 第2巻 月報「思いだすままを」壽岳筆)、詩経一節を訳したリーフレット。プレス・ビブリオマーヌからは、福永の美しき装幀本『幼年』が刊行されている。
J福永へ向日庵私版本『書物』を贈る際に草された一文。「(戦前・戦中、向日庵私版本を内務省へ納本しなかったことにつき)国家権力の上にあぐらをかく内務官僚どもに、心血をそそいだわが手づくりの本を渡してたまるか、との気慨も私にあった」と記す壽岳。向日庵私版本の社会的役割の自覚。
 福永と壽岳の付き合いは、まず評伝『ゴーギャンの世界』の著者と審査員として始まったが、何と言っても2人に共通する書物への愛情が中心となる。それは、自らの藝術・思想の純粋な表現を求める一途な情熱であるが、その情熱の激しさは本に対してばかりでなく、両者の人生を貫いて全ての面に発揮される。

3 福永の壽岳訳『神曲』への注目点とその特徴
A.福永の壽岳文章訳『神曲』への評価・注目点
 壽岳訳『神曲』「の出現は、一つの劃期的な事件である」と記す(『異邦の薫り』 209頁)福永。最大級の讃辞である。テルツァ・リーマに関して説明した後、
ア 3行分づつを一まとめにして散文訳を施した。これは、上田敏や山川丙三郎の試みを踏襲したものだが、筋の運びがすらすらと理解できる。しかし、同時に
イ 意味がわかればいい平易な口語体ではなく、周到なこくのある翻訳である。つまり、
ウ 「ますぐ」・「こごしさ」等の死語ではない美しい古語を用いながらも、全体の調子は決して文語体でなく、口語体に属しており、新たな文体を創造したところに壽岳の苦心がある。
そしてその語彙は、
エ わが国の説話文学・軍記物語・御伽草紙・謡曲狂言にいたる幅広い文学的遺産から選ばれているだけでなく、特に
オ 佛教語が上手に用いられている。
以上の点に注目し、「これは日本語への愛の作業と言はなければならない」(213頁)と賞賛する。さらに、本としての装幀の面から
カ 大きな活字で組んであり読みやすく、旧仮名使いが守られ
キ Blakeの挿絵も愉しみなので、
「値段は高いがゆつくり讀むためには、そちら(注 元版)の方をおすすめしたい」(215頁)と薦める。
以上の福永の指摘を鑑みると「言霊(ことだま)の力を持つてゐた場合にだけ、訳詩集は成功したと言へるのである」(209頁)と言う福永にとって、壽岳訳『神曲』はその言霊の力を持ちえているという判断なのだろう。しかし、それならばその言霊の力のよってきたる源がどこにあるのか、検証されねばなるまい。

B. 壽岳訳『神曲』の特徴
【資料】
K 『コスモス』 69年4月号 連載初回分
L 壽岳文章訳 『神曲』 集英社文庫版 より『地獄篇』 03年1月

Kは、壽岳が『神曲』訳を連載した(69年4月〜73年2月 「地獄篇」第1歌〜第12歌)
 歌人宮柊二主宰の短歌雑誌
 まず、初出と刊本の訳文(「地獄篇」第1歌)を比較すると、その訳語が大幅に書き換えられていることに気づく。古語や佛教語という語句自体は、むしろ刊本より初出で多用されているが、行文全体の調子がかなり異なる。刊本の文がより律動感があり、聴きやすく覚えやすい。刊本において極めて重要な役割を果たす挿絵解説は、まだ簡略。

次に、前述した福永の述べる特徴を検証しよう。
 【資料】
M 上田敏・山川丙三郎・野上素一・平川祐弘・河島英昭(とLの壽岳訳)各々『地獄篇』第1歌・第3歌と、『天国篇』第23歌(上田・河島訳はなし)からの抜粋
N 『サント・ブウヴ選集 第一巻 中世紀及び十六世紀作家論』 實業之日本社 43年11月 より 福永訳『地獄篇』第3歌、『天国篇』第23歌の冒頭
O 上田敏 『詩聖ダンテ』 金港堂 01年12月 
 「神曲梗概」より 「地獄界」第1歌・「天堂界」第23歌

以上の資料を参照しつつ、壽岳文章訳『神曲』の特徴を検証してみよう。

1.多様な古語の使用について
福永は、日本の千年以上に渡る文学的遺産(語彙)を縦横に駆使している点が、壽岳『神曲』の特徴であると言う。
確かに「ますぐな」・「はきと」などは美しい言葉であり、様々な古典からの借用、例えば『古事記』(かくは 天・23)や『万葉集』(こごしさ、をさをさ 地・1)、『竹取物語』(げに 地・1)や『今昔物語』(苦患 地・3 佛教語でもある)や『伊勢物語』(ほろび 地・3)、あるいは狂言のせりふまわし(おん身 天・23)を使用して、『神曲』の庶民性を顕わにすることに成功している。これは一見、福永説の通りである。
しかし、この「古語の使用」という点に関しては、壽岳の訳文に特に特徴的かと言えば、必ずしもそうではない。他訳を少し調べてみれば、各々が古語からの借用をしていることに気づく。現代語とて、日本語の長い伝統を背負っているのだから、訳者がそうと知らずに古語を使う場合も多かろう。つまり、「古語の使用」に関しては、壽岳のごとく古語の使用に意識的であるか否か、という点に注目すべきだろう。

2.「佛教語使用」に関して
 もう一つの特徴として福永も指摘しているように、佛教語から借用した語句の頻用という点に、壽岳訳『神曲』の特徴を認めることは、既に定説となっている。ただ、この点に関しても、他訳と比較してみると、壽岳訳における佛教語の比率がかなり高いということは言えるとしても、他訳でも佛教語を拾い出すことは容易である。
さらに、壽岳の場合「佛教語の使用」と言っても、特に『神曲』に限ったことではない。
W.Blakeの“Songs of Innocence” を『無染の歌』、“Songs of Experience” を『無明の歌』と訳した壽岳は「平素ブレイクに甚だ多くの大乗佛教的な精神を認めている私は、(中略)躊躇することなく大乗佛教の語彙の中から如上の二句を選んだ」(『ブレイク詩抄』「小序」)と記す。仏門の出である壽岳にとって、これは自然な発想なのであり、フランス革命時代を生きたイギリス人Blakeの作品に佛教語を使用することを躊躇しない。
そして、ルネサンス黎明期の人Danteの作品に佛教語を使用したのも、単にDanteが古い人であるから歴史の古い佛教語を選んだのではあるまい。
『神曲』における地獄の情景を源信の『往生要集』と重ねあわせ「『神曲』は庶民の日常語で書かれた第二の『往生要集』である」(『わが日わが歩み』「神曲の今日性」43頁)と解釈する壽岳にとって、さまざまな文学的遺産を使用することの一つとして『往生要集』を初めとした仏典の言葉を使用するということは、凄惨な地獄の情景を描写するために不可欠のことであったろう。

3.音読と大活字
  「本の社会的機能」の面へ眼を向けよう。まず、プリント各訳詩を朗読してみていただきたい。総体的に見ると、福永の上述の指摘(ア〜オ)の他に @(音読して)明確な語句 A (音読して)律動感ある行文 という点を、私は壽岳訳の特徴として重視したい。
単純に「解りやすさ」という点だけでは、平川訳・河島訳に一日の長があるが「律動感」はどうだろうか。助詞を極力排した壽岳訳は、最も「聴いて耳にスッと入ってくる」のではなかろうか。
印刷術以前の人であるDanteは、自らの詩が朗誦されることを期待していただろう。多くの人が「聴く」ことを予期していたに違いない。一人で黙読されるだけでなく、小さな集まりにおいて必ずや朗読されたに違いない。テルツァ・リーマなる詩形で書かれたということが、そのことの傍証ではないか。
もちろん、野上・平川・河島訳も、口語として朗誦されることを考えての訳文となっていよう。しかし、一方で『神曲』は単に庶民的なだけでなく、極めて重い内容を備えているのであり、その形式(構成)と相まって、「荘厳」という言葉で表すべき一面を持つことも確かだろう。その点を勘案した際、壽岳訳は、その佛教語・古語の多用によって、そして歯切れのいい語句によって、他の口語訳よりも一層ダンテの期待に適う訳文となっていると言える。
そして私は、この点において壽岳は上田敏の翻訳から多くを学んでいると考える。例えば、上田訳「地獄界」第1歌の冒頭「人の世の道のなかば」(第1稿)は、壽岳訳では「ひとの世の旅路のなかば」とほとんど同じで始まり、「直なる」は「ますぐな」として、「ああ」はそのまま使用し「こごしさ」(第2稿)などというかなり珍しい語彙が同一である。
読んだ際の律動感に注意し、やや5・7調を念頭に於いた措辞を、おそらく壽岳は上田敏から学び取っている。

さらに、本としての装幀を見ると、この壽岳訳の大版『神曲』の「大きな活字」という点も、既に福永が指摘しているように重要だ。それは「読みやすい」ということが一冊の本にとって、特に『神曲』のような長大・難解な作品にとって、決定的に大切なことであるからだ。作品は、まず読まれなければならない。本の美、その社会的機能に拘った壽岳として、『神曲』は大きな活字で組まれなければならなかった。

  神曲の大海原の涯も見つ船曳く人のありたればこそ
  年を経てまた鏤(る)句すべしと思ひきや命なりけり神曲改訳 定本 『神曲』より

 次に、福永の指摘していない、しかし極めて大きな特徴を挙げよう。

4.挿絵の「解説」こそ
  福永は、読者に「ブレイクの挿絵も愉しみで、値段は高いがゆつくり讀むため」に、この大型本を薦めている。確かに、Blakeの挿絵の迫力に圧倒される。が、挿絵が愉しみというだけか? 挿絵の裏には何があるか。Blake画への壽岳の詳細な解説である。

この解説が『神曲』と融合した際に発揮する意義・重要性は、どこにあるのか。
日本において Blakeology を柳宗悦・山宮允と共に教導した壽岳であればこそ、『神曲』100歌、各歌にBlakeの挿絵100枚を見事に対応させることができ、そして寓喩に満ちたallegoricalな挿絵を読み解き、詳しい解説を施すことができたのである。 
つまり、必ずしもDanteの詩句をなぞっているわけではない、ある場合にはDanteから離れ、自らの世界を展開し(挿絵三他)、ある場合には批判さえしている(挿絵七他)Blakeの意図、その挿絵の意味(意義)を読み解き、DanteとBlakeの相克の諸相(世界観の相違)を、壽岳は精確に解き明かしている。そして、そのことによってDanteの世界を際立たせ『神曲』の重層的魅力を引き出しているのが壽岳の解説なのであり、この点こそが、壽岳文章訳『神曲』の要諦なのである。
それは、Blake cultとして半世紀に渡るBlakeへの壽岳の傾倒の成果であり、余人のなしえぬことである。読者はこの解説に導かれつつ(Blake‐WorldとDante‐Worldの対決を通して)、地獄を潜り抜け煉獄を経て天国へと登るDanteと共に、三界を経巡るのである。
「本文+挿絵+解説」、この三者が一つになって「Danteの世界」が築かれる。これこそ、他の訳書ではありえぬ、壽岳訳最大の特徴と言えよう。

4.初出と再校によって 「十三 壽岳文章『神曲』」を読む
  【資料】
P 福永武彦自筆訂正入り 本文再校・3校

  初出(「婦人之友」)から刊本へと大幅に加筆がなされている。特に著しいのは、刊本 205頁後ろから3行目(「森?外は」)〜209頁3行目(「どれだけゐるだらうか」)までが大幅に増補されている点だろう。日本における『神曲』紹介の歴史と「地獄篇」第3歌の上田敏・山川丙三郎・野上素一、そして壽岳文章訳が比較される箇所である。
 初出では壽岳訳『神曲』の特徴を解説しつつも、まずは紹介することが主であるのに対し、刊本ではより厳密に他訳との比較を通して、その特徴を一層明らかにするだけでなく、歴史的に壽岳訳を位置付けることに意を用いていると言えよう。
 再校・3校での手入れは少ないが(壽岳訳は)「考へやうによつては、これはなかなか難しい翻訳なのである」と初校まで書かれていた文が「考えやうによつては」が抹消され、「なかなか難しい」が「こくのある、周到な」(213頁)に変更されている(再校)などは、福永の壽岳に対する敬愛の情の表れだろう。
また、「組については別紙NBを見よ」(再校)、「これはP.218に廻す」・「次頁と共にP.217として横組で組む」(3校)や、頁組みのイメージを絵で示しているあたり(3校)など、やはり全体の字組みに気を配っているのは、前回・前々回で「索引」や「著書目録」を検討した場合と同様である。

5.「異邦の薫り」としての『神曲』
『異邦の薫り』に関する前2回の検討において、この著作に対する福永の姿勢は、江戸以来の校勘学の流れを受け継いでいることを指摘した。また同時に、本文と並んで写真や挿絵を重視している点も確認した。
壽岳訳『神曲』においても、内容と同時に活字の大きさや旧仮名使いという点に関して福永は拘る。訳語として選択された古語・佛教語という長い歴史的背景を背負った語句を考慮しても「字面の見た目」から言っても、日本で言えば鎌倉末期に生まれた物語である『神曲』には、旧仮名のほうが似つかわしいと考えたのだろう。
もちろん、『神曲』の中心は挿絵や字体ではなく、詩文そのものにあるのだから、読者が必ずや地獄・煉獄・天国の全体を通読することを、その場合においてのみ壽岳訳の面白みがわかるであろうことを、福永は最後に強調している(『異邦の薫り』218頁)のは、当然のことである。

 附録 【壽岳に親しむために】
Q壽岳文章自筆草稿「ブレイクを訳しつつ」 400字×10枚完

最後に、壽岳文章の自筆草稿を見てみよう。36歳の壽岳の生き生きとした字体そのものを通して、人間壽岳に親しみたい。内容として、以下の2点が注目される。
 1 何度も訳し直すことになるBlake詩篇 “The Sick Rose” の初訳(岩波文庫版以前)が載せてあること。
 2 自らの訳業が、無意識のうちに上田敏の翻訳から大きな影響を受けていると述べていること。

付記
発表の際、壽岳を中心としたブレイク・ダンテ入門を兼ねた「資料篇」の小冊子を配布し使用した。


* 2005 年 9 月 25 日 第 91 回 例会  コメント

@ 覚書と余談 4 サント・ブウヴ「ダンテ」の余白に 発表者 渡邊 啓史

 ダンテの巧み 或いは幻想の領域  三坂 剛
 
三 「いつもながら渡邊さんの発表はワクワクするね。今回は、サント・ブウヴ著「ダンテ」福永訳を資料として、福永におけるダンテ『神曲』の持つ意義を探るっていうんだ」
夢 「うん。<覚書と余談>も第4回目だね。こんな面白い発表を4回連続で聴けるってのは、ホンと幸運だ」
三 「渡邊さんの使用する資料はね、いつも決して特別なものではないけれど、しかし一寸手に入りにくい<自分の眼で見つけ出した>ものなんだ。資料探しに時間を割いている人なら、それがわかる筈だ」
夢 「なんとなく見逃してしまう資料に意味を見出すんだね」
三 「そう。それが可能なのは、福永文学研究が何時も頭の片隅にあるからさ。しかも、世界文学の視野から見ているから、翻訳や原書に眼が向くんだ。今回のサント・ブウヴ選集も、なかなか渋い見事な選択だ」
夢 「それって、特に福永のような外国文学者でもあった人の文学研究では本筋だろう? 当然のことじゃないのかい?」
三 「と僕も思うけれど、それが当然になってないんだ。古書店の日本文学の棚をよく見ても、海外文学の翻訳書や原書の棚を詳しく見る近代文学研究者ってそんない多くないよ。」
夢 「でも、君はやたらアチコチ見てるじゃないか。田村書店の均一箱から玉英堂の稀覯本、大島書店や北村書店の洋書から、ブックオフ。版画家やら画家、このごろはネットにも入れ揚げてるね。読んでいるか否かはあやしいけれど」
三 「フフ、僕のは趣味。愉しいから蒐めてるだけさ。まあ、多少の抱負はあるがそれはまた別に」
夢 「またの機会にね。
ところで今回の渡邊さんの発表、僕は「地獄篇」第3歌の福永訳詞「我を踰ぎて人は行く憂ひの府へ」の<まち>を<府>という漢字を当てている点を、渡邊さんがこれは冥府だろうと指摘した点に、まず注目した。
ここを面白いと思ったのは、この<府>を<まち>と読ませてるのは、同時期(43年3月)に書かれた福永の自作詩「詩人の死」に「憂ひの府の鐘は遠く鳴り/悪霊の歌ふしるべにくだり」と同じ<府>を使っているのを知っていたからさ」
三 「なるほどね。ただ、その他の詩篇では福永は<街>や<町>を使っているけれど、この「詩人の死」では確かに冥府なんだろうね。第3歌訳詩の<泯び>という語の使用に関しては、自作の詩篇での使用の例を渡邊さんはあげていたね。まあでも、これは割と小さな点だね。もっと刺激された点はないのかい?」
夢 「小さな点が大事なんだよ。ダンテの用いた詩語(トスカーナ方言)の特徴を指摘した解説を紹介し(地獄・第5歌 106行 Amor condusse noi ad una morte. 最後2語に Amor を含む)、その詩語には、ダンテの方言への愛着がこめられている点を力説したのも面白い」
三 「そうね、この最後の2語に愛(Amor)を含むという解説自体は一般的なものだけれど、渡邊氏がそこを力説した意図はわかるね。それにそのことを英語の翻訳でなく、原語で具体的に指摘するから、説得力がある。他には?」
夢 「なんだい、僕ばかりかい。大きな点といえば、ダンテを読む際に中世における<都市>の意味を念頭に入れておかなければという指摘かな。アリストテレス哲学とトマス=アクィナスの神学が風靡していた世界をね。ただ、この点もう少し説明がほしかったな。君の刺激された点も聞かせてくれよ」
三 「うん。何しろ全体なんだ。つまり、渡邊さんの発表自体に魅力がある。全体の流れ、声量・発言の的確さ、そして板書。そのような点も、高校・大手予備校で16年飯を食った僕としても、実に参考になるんだ。この点は、大事だと思うよ。
いかにりっぱな発表内容でも、一人よがりな発表されたんじゃたまんないからね。<聴いている人が眠くならない発表をする> こんなあたりまえのことが、まだ研究発表では当然のことになっていないようだからね。僕自身は、いつもそのことに気を付けているよ」
夢 「そうみたいだね。でも一方でその発表にインパクトを与えようと妙に凝って最新機器を利用して、結局中途半端にしか使えないなんてのも、結構あるみたいじゃないか」
三 「まさに。そういうのは、内容と発表方法との関連を考えてない、こけおどしさ」
夢 「それにしても、君のは少し<わかりよすぎて>皆ありがたみが不足するんじゃないかい。それに、あの資料の山、発表の際どこ見ていいか迷うよ」
三 「痛いこと言うね。なかなか言うは易し行うは難しさ。それでも今回なんかは、資料に番号ふったんだけれど」
夢 「うん、少し良くなってきてる。ところで、今回の渡邊発表で一番面白かった点は?」
三 「そうそう、やっぱりビジョンとイマジナシオンを対照して、福永におけるダンテの意義を指摘した点かな。
まず人名を原語で上から一人ずつ生没年含めて書く。ランボー・ロートレアモン・ダンテ・ボードレール・マラルメ。ダンテだけは<頭から一字下げて>書く。一目で区別がつくようにだ。
そして研究者としての福永が、ロートレアモン・ボードレールを翻訳した年代(1940年、1946年)を人名の上部に板書し、今回資料のサント・ブウヴ「ダンテ」の翻訳年(1943年)を書き入れる。これで、一連の象徴派詩人とダンテとの、福永における翻訳時期の交錯を視覚的に明示する。
さらに、大学において福永が終始一貫してロートレアモン(講義時期 54〜56)・ボードレール(57〜66)・マラルメ(67〜78)を講義したことを資料をもとに確認し書き入れる。
その上で、象徴派のビジョン(これは作者とは別に、幻想それ自身の論理で動く)、これに対するダンテのイマジナシオン(作者の意志の力で統括しうる)、この両者の福永における意義を『1946 文学的考察』所収の一文を参考に、詳しく説く。
ロートレアモンに惹かれた福永が、その象徴派の熱狂的なヴィジョンに対して、知性と意志の力の書として『神曲』を同時期に読んでいるということ。この感性に対する知性への注目を、渡邊さんは、福永における「方法としてのダンテ」と位置付ける。実に刺激的だ」
夢 「よく板書の仕方まで見てるな。そこまで覚えてないよ」
三 「昔、どうやったら皆に理解させるか、さんざん苦労したからね。渡邊さんの工夫がよくわかる。ただ、今君と僕とでしゃべっていることは、渡邊さんが話した何分の一にもならないし、間違って解釈してるかもしれない。やっぱり、実際に発表を聴いてもらうしかないなあ」
夢 「そうだね。加藤周一がイタリア語版『世界の終り』に寄せた序文を一部分試訳して載せているなんていう点も見逃せないね」
三 「わずか一枚の用紙表裏が、多くのことを語りかけてくる」
夢 「君の資料の山と対照的だね(笑)」
三 「わかった、わかった。次回はもう少しすっきりしますよ。それにしても、会員でない渡邊さんが、4回連続ですばらしい発表をしてくれて会としても感謝しなきゃ。本当にありがとう。少し休んで、またよろしくお願いします」

A 『異邦の薫り 十三冊の訳詩集』研究 其ノ参
 「十三 壽岳文章『神曲』」を読む  発表者 三坂 剛


躍動する古語 或いは Tanto gentile e tanto onesta pare ……  渡邊 啓史

長年にわたる周到な資料収集の成果を踏まえた、三坂剛氏に拠る『異邦の薫り』研究も、今回で第三回を数える。前二回が年表、索引、著作目録などの校正原稿の詳細な検討であったのに対し、今回は本文に入り、壽岳文章訳『神曲』を扱う終章 (十三) について、二時間余りに及ぶ意欲的な発表が行われたが、その結果は福永研究としてばかりでなく、壽岳文章研究への入門としても誠に興味深いものとなった。内容の詳細は発表者自身の報告に譲り、いま参加者として、感想の若干を記しておきたい。

 三坂氏は、先ず発表の前半で、壽岳文章 (1900--1992) の人と業績を、外国文学者、殊に英国の詩人で画家の William Blake (1757--1827) の研究者として、また書物工芸家として、さらに和紙研究家としての三面から概観し、その上で、造本・装丁への関心を通しての福永との交際を紹介する。この前半だけでも、かねて壽岳訳で『神曲』に親しんできた読者には教えられるところ多く有益だが、後半では、福永の壽岳訳『神曲』への評価を整理し、これを豊富な資料に拠り検討した上で、三坂氏自身の評価を加える。
 福永は、壽岳訳『神曲』の特徴を、詩型としては原詩の三韻句法を上田敏や山川丙三郎の例に倣って三行ごとに纏めて訳し、理解しやすいこと、また文体については、「ますぐ」「こごしさ」「げに」「はきと」など、「少し古めかしい」が「しかしその意味は見当のつく」古語を用いながら、全体の調子は「決して文語体ではなく口語体に属する」文体を、創造したことにあるとする。壽岳訳の古語、仏教語の多用については他の評者もふれる由だが、三坂氏はこれについて、壽岳訳に先行する上田敏、山川丙三郎、野上素一らの訳や、壽岳訳以後の平川祐弘訳、また現在進行中の河島英昭訳 (雑誌「図書」2005 年 6 月号から連載) などを丹念に比較検討し、古語の使用は他の訳者にも見られること、また真言宗の寺に生れて十歳で得度した壽岳にとって仏典は身近な存在であり、『神曲』のみならず Blake 詩篇の翻訳にも仏教語は多く見られることを、配布の資料に拠り具体的に示し、古語、仏教語の多用は、壽岳訳の特徴ではあるが、必ずしも決定的な特徴ではないと指摘する。
 その上で三坂氏は、壽岳訳が、音読した場合に、語句が明解で行文に律動感があるとして、これを上田敏の訳に学んだものと考える。また、大判の壽岳訳元版に収められた Blake に拠る挿絵百点と、其処に附された壽岳自身に拠る解説にも注目し、壽岳訳『神曲』の魅力は、Dante の世界と Blake の世界が重層的に、本文、挿絵、解説の一体化として提示されていることにある、と結論づける。晩年の Blake は『神曲』に傾倒して、粗い素描まで含めて百点の挿画を残したが、その解釈には Blake 独自のものがあり、Dante への批判さえも含む。これを正しく読み解いて本文の然るべき位置に収め、解説を施すことは、世界にも先例がなく、Blake 研究者として一家を成した壽岳にして初めて出来たことであるとして、三坂氏はその意義を強調する。
 長時間にわたる発表ながら、こうした立論の展開には、前半に紹介された壽岳の生い立ちや Blake 研究者としての業績が良く反映されており、主張に説得力を与えている。

 Virgilio ならぬ三坂氏の導きを得て Dante 研究の冥界に踏み入れば、さまざまな空想が浮かび、興味は尽きない。確かに壽岳訳『神曲』は面白い。その面白さは、何処から来るのだろうか。
 一般に、日本語の漢語は、明治以降に西欧語の翻訳として導入されたものを除けば、漢籍、殊に仏典に由来するだろうから、壽岳訳以外にも仏教語が多く使われているということは三坂氏の指摘する通りだろう。古語、仏教語が、壽岳訳に於いて殊に効果を上げているとすれば、恐らくそれは、語彙の数や使用頻度ではなく、その選び方と使い方に拠るものに違いない。
 いま仮に、福永のいう「全体の調子」に文語体、口語体の二つを区別し、語彙に古語と現代語の二つを区別する。その場合に、可能な翻訳の組み合わせは四通り、古語を用いて文語体で訳す、現代語を用いて文語体で訳す、古語を用いて口語体で訳す、現代語を用いて口語体で訳す。第一の、古語を用いて文語体で訳すのは、要するに上田敏、山川丙三郎の場合である。第二の、現代語を文語体に用いる場合は例がなく、その効果も一般には疑わしい。第四の、現代語を口語体に用いる場合は、平易で分りやすいには違いないが、それだけでは作品として深みに欠けるだろう。恐らく多くの翻訳者が工夫を凝らすのは、第三、平易な口語体に、如何にして古語を組み込むかということではないだろうか。全体の調子は口語体でも、内容の性質上、『神曲』には、例えば、恐れにも似た畏怖や荘厳、また深い絶望や悲しみなどの表現を必要とする場面が多い。そうした場面に古語の持つ語感の効果を期待して古語を連ねれば、その部分は文語調にならざるを得ない。そこで、その先を如何に無理なく、もとの口語調に繋ぐかが問題となるだろう。
 例えば、地獄篇第三歌の「地獄の門」の銘文の条り、平川祐弘訳は古語を活かして「正義は高き主を動かし/神威は、最上智は、/原初の愛は、われを作る」とするが、その直後の問答では「先生、この言葉は厳しいですね」と、直ちに口語調に戻す。その落差に違和感を覚える読者もあるかも知れない。上田敏訳 (「地獄界」第二稿) では「正義は高い造物主を動し、聖なる力、至高のちゑ、至上の愛、われを造りぬ」とした後で「われ曰く、師よ、この義、解し難しと」と続ける。さすがにこれは、文語体に古語を用いて釣合い安定しているが、全篇がこの調子では、現代の読者の多くにとって「解し難し」だろう。
 壽岳文章訳は、この部分の前半を「正義 高きにいますわが創造主を動かす/われを造りしは 聖なる力/いと高き知恵 また第一の愛」と、比較的平易な言葉に置き換えながら、問答の部分は「師よ、言葉の意味、私には解き難く、恐ろし」と、上田敏訳に倣う文語調で処理する。これは謂わば、現代語を用いた口語体訳と古語を用いた文語体訳の折衷だろう。即ち、文語体の部分にも現代語かそれに近い古語を択び、口語体の部分にも平易な古語を活かして、一種の擬口語文、擬古文を編み出し、落差を押さえる。福永が、壽岳訳を「少し古めかしい」が「しかしその意味は見当のつく」古語を用いて独自の文体を創造した、と評したのは、そういう意味ではないだろうか。かくして壽岳訳は、日常語との距離を置くことで、Dante の世界の超越性を際立たせながら、古語の持つ語感、連想を活用して読者の理解を助ける。福永は、壽岳の用いた語彙が「それらは多く忘れられかけている美しい日本語なのである」と云う。壽岳訳で、それらの語は巧妙に工夫された文体の中に甦り、躍動して、荘厳に、また悲痛に、豊かな意味を紡ぎ出す。壽岳訳を読む愉しみの一つは、恐らくは、その躍動する美しい日本語を味わう愉しみであり、音読して独自の効果があるとすれば、それもまた、そうした日本語の力に由来するのではないだろうか…….

 周知の通り、詩人としての Dante は、詩に物語を挟んだ詩集『新生』Vita nova に拠って、旧来の抒情詩に「清新体」dolce stil nuovo と呼ばれる様式を確立したことでも知られる。『神曲』のBeatrice は、最も崇高な学問としての神学の象徴だが、『新生』に歌われる Beatrice は永遠の恋人であり、其処には例えば「かくも優しく、かくも気高く」の句で始まる、良く知られた詩も含まれる。壮大な形而上学的叙事詩の作者はまた、愛の詩人でもあった。福永は中世の説話や狂言、仏典から語彙を集めて独自の文体を編み出した壽岳の訳業を「これは日本語への愛の作業と言わなければならない」と総括する。晩年に畢生の訳業を成し遂げたこの一代の碩学もまた、妻を愛し、書物を愛し、言葉を愛した、愛の人であったように思われる。Tanto gentile e tanto onesta pare ……
以 上

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