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福永武彦研究会・例会報告(12)

第142回〜第144回 (2013年9月〜2014年3月)


【第145回研究会例会】 2014年3月30日(日)
【第144回研究会例会】 2014年1月26日(日)
【第143回研究会例会】 2013年11月24日(日)
【第142回研究会例会】 2013年9月29日(日)

*第145回例会以降、直近までの研究会例会報告は、本サイトのTOPページに掲載されています。


第145回例会内容
【日時】 2014年3月30日(日) 13:00〜17:00 
【場所】 川崎市平和館 第2会議室 参加者:11名(学生:2名)
【内容】
 短篇集『心の中を流れる河』(東京創元社 1958.2)より、「死神の馭者」(1955.12作)/「鏡の中の少女」(1956.5作)の2篇を採り上げ、今まで同様に様々な側面より討論をしました。今回で元版『心の中を流れる河』所収の全作品を終えました。各々、発言者自身による要旨・感想を掲載します。

1.(発言者自身による要旨・感想)順不同
@ 「鏡の中の少女」について
・いかにも福永らしい作品だが発表当時の批評や論考がほとんどないのは、発表媒体が「若い女性」という一般雑誌だったからなのだろう。2001年の研究会で田中氏が発表した以下の文章(要約)に同感だ。"「鏡の中の少女」は、「精神病」的心理を外側からではなく、主人公の内面から描いている点に特徴があるだろう。この態度は、「世界の終り」「飛ぶ男」、さらに「死の島」の萌木素子へと結実するのである。"カンヴァスに映る絵の向きの文章に違和感を覚えたが、松木さんの実証により納得できた。(Kizさん)

・福永武彦全集第4巻の中に、「孤独の部屋の住人」東山魁夷という月報8が入っていた。本文を読んだ後、これを読みました。東山魁夷は戦時中私の実家(山梨)の近くに疎開していて、日本画家の川崎小虎との交流があり、時折父から話を聞いていたので興味があった。その中の文に、 

 「福永武彦さんの仕事振りを想う時に、私に浮かんでくるのは、孤独な部屋の住人のイメージである。それは、福永さんが最も敬愛していられる画家の岡鹿之助さんに就いても言える。「あらゆるすぐれた藝術家は、彼に固有の世界を持つものだと私は考えている。その世界が広いか狭いか、深いか浅いか、展開して行ったか萎縮して行ったか、そういう点を抜きにしても、とにかくゆるぎない世界が作品の中に表現されていなければならない。」「岡さんの眼は、内面に向けられ、描かれるものは幻影である。しかしこの幻影はまさに具象そのものとしての鞏固な物質感を持っている。物が幻影としてあるのではなく、幻影が物としてある。とすれば、それは日常的な時間を超えたところに、永遠的なものとして存在することになる。」 

 とある。私は全部は理解できないが、画家の見る目はすぐれた見方だな、と納得した。例会の時にMiさんがこの点について説明を加えてくれたので、一層納得できた。(Fuさん)

・まず初出と元版で結末部分が異なるということに驚きでした。結末は元版のものが好みです。内容ですが、私は寓話の一種のように読みました。たとえば「鏡」とは対象を映し出すものの喩えであり、必ずしも光学的な反射を引き起こす物質を指す言葉ではないのかなと思いました。つまり「父」や「ボーイフレンド」というものが麻里を「娘」や「ガールフレンド」として映し出す「鏡」であるのだと思います。しかし、それは他者からみた麻里のイメージであり、彼女が意識する自分自身のイメージとは常に差異がある。各々が麻里という少女をモデルにして肖像を想い描いているのかと思います、それはもちろん麻里自身にも言えることです。「鏡の中だけで彼女は生きている。鏡の中の少女こそは実在なのだ。」(全集p.195)という文章から以上のようなことを考えました。(Kinさん)

・再びこの作品を読んでみました。しかし、依然としてよくわかりませんでした。ただ鏡の中にもう一人の自分が映っているという状態から「ドリアングレイの肖像」を連想してもう一度あらすじを復習してみようと思い始めました。そんな折、国立能楽堂で「二人静」という能を見ました。吉野の野で菜摘みをする女の前に一人の女が現れ、自分の供養をしてほしいと頼んで姿を消す。菜摘みの女が勝手神社の神職にこの出来事を話していると、にわかに先ほどの女の霊が菜摘みの女にのりうつる。女の霊は静御前であると名乗り、昔自分の着した舞の衣装が神社の宝蔵にあると言う。菜摘みの女がその衣を着て舞を始めると、静御前の亡霊もでてきて、同じ衣装で女に寄り添うように舞う。静御前は義経の吉野山の逃避行や、頼朝の前で舞を舞った昔を語り舞います。二人の静御前が同じ衣装であでやかに見事に舞う様子に圧倒されながら見ているうちに、「鏡の中の少女」と「ドリアングレイの肖像」を連想していました。同じ人が二人ということに惹きつけられました。
 人間は他者を目前にして初めて自分の存在を認識するのだと思います。他者は自分を映す鏡であるともいわれる所以です。「鏡の中の少女」も鏡が少女を映し、「ドリアングレイの肖像」ではバジルという画家がドリアンという美しい青年の肖像画を描きます。ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す、というあらすじです。昔読んだときの強烈な印象が蘇りました。この作品の解説を佐伯彰一が次のように書いています。

 「肖像」とは、ドリアンの ‘alter ego’(もう一つの自分)であり、さらに敢えていえば、彼の良心に他ならない。(「良心」という言葉を使うのは作者自身だ)ドリアンが、いかに自由放胆な享楽家、感覚追求者をもって任じようとも、ついに内なる「良心」の支配から逃げ出すことは不可能である。追い詰められたドリアンは、最後には、彼の「肖像」に、つまりは自分の心臓にナイフを突き刺してこと切れるのである。自分の分身たる「良心」において一切の帳尻を合わせようとして、ついには良心と刺しちがえることによって生涯を閉じる―――これほど、「生真面目なモラリスト」的な生き方があるだろうか。

・女優である恋人を冷酷に捨て、彼女は自殺をして、ドリアンは転落の道を歩んでいる最中にバジルは言う。「またぼくのモデルになってくれるか?」それに対してドリアンは答える。「わけは言えないが、ぼくはもう二度ときみのモデルにはなれない。肖像画というものには、なにかしら運命的なところがある。肖像画にはそれ自身の生命があるのだ。」
 「存在」について考えていると、ふと「古今和歌集」のある歌が浮かびます。よみ人しらず、の歌です。
 世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(942)
(世の中は夢か現実か。現実とも夢ともわからない。存在していて存在していないのだから。)存在と無とは一つであるというすぐれて哲学的な歌であり、多くの「はかなさ」を詠む古今集歌にとって、一種の思想的な支柱ともいうべき歌です。ついでにすぐ次の歌を見てみましょう。
  世の中にいづらわが身のありてなしあはれとやいはむあな憂とやいはむ(943)
(世の中に、さあどのようにわが身は存在していて存在していないのか。この世はいいものだと言おうか。ああつらいと言おうか。)
 存在について、謎は深まるばかりです。(Kaさん)

A 「死神の馭者」について
・少年をめぐるストーリーだけを追うと、どうしようもない悲惨な話だが、語り手に少々軽い僕を設定し、ホボさんとのユーモラスな失恋話をまぶして、やりきれなさを中和しているのが救いになっている。僕が見る二度の悪夢の中に"死神の馭者"という言葉が出てくるが、この場面が映像的でインパクトがある。二度目の悪夢(妄想)では、夢と現実の境目がはっきりしない描写となっていて、この辺りの表現はさすがだ。全体として、福永のストーリーテリングの上手さが印象的な小説だ。(Kizさん)

・「死神の馭者」は、「鏡の中の少女」と違って、超現実的なところは、まずない。福永武彦は、超現実的な作品も書いたが、日常的な作品も書いた。この作品は、現実的に、福永が生きた時代、どこにでも起こりえた悲劇を福永が演出したものである。地味ではあるが、うまく書いた作品だと、僕は思う。(Kuさん)

・主人公が空想家と作品の初めで断りを入れる点が気になりました。というのは、これまで『心の中を流れる河』に収められている作品を検討してきましたが、その収録作品の多くが登場人物の空想・夢想によって支えられている、つまり作中の非現実が作品の世界を築く大事な要素となっていると考えたからです。たとえば「夢見る〜」では文字通り少年が夢想しなくては作品が成り立ちませんし、「心の中を〜」でも門間牧師が鳥海青年や梢についての空想を働かせなければ成り立ちません。今回まで読み進め、『心の中を流れる河』の作品群は登場人物の心・精神に重きを置き、福永武彦の特徴が色濃い作品群なのだなと思いました。(Kinさん)

2.短篇2作の本文主要異同について(Miさん)
 いつも通り、2篇共に本文照合をした上「本文主要異同表」を作成し、例会で配付・解説しました。対照本文は、共に雑誌初出⇒元版(『心の中を流れる河』所収 東京創元社58.2/人文書院新装版1969と本文同一)⇒新潮文庫版(『夢みる少年の昼と夜』72.11所収)⇒全小説版(新潮社 第4巻74.2)です。今回は、「鏡の中の少女」に関してのみ御報告します。

 婦人雑誌「若い女性」(1956.7 新かな、新字)に掲載されたその初出文は、2年後の『心の中を流れる河』に収められる際に、他の作品では見られぬ程大幅に書き換えられています。一文書き換えから数行の挿入は20箇所ばかりあるのですが、なかでも最も大きな手入れは、作品末尾の段落がすべて完全に書き換えられている点です。
 当該箇所の初出文+註釈を例会で配付し、皆で楽しみつつ検討しました。ここでは、例会で配付したプリントを、手入れの上掲載します。

(初出本文末尾)――――――
その年の秋、八百木画伯は単身パリへ立った。展覧会に、置き土産として出品した「鏡の中の少女」は、多くの批評家から傑作という折紙をつけられた。
評判を聞きつけて、その絵の前に集まった人たちは、口々に、何でも亡くなったお嬢さんがモデルだそうだ、とか、大したものだ、とか呟いた。女の客は、綺麗なお嬢さんね、と言った。
 「これは八百木画伯の絵じゃない。あの人に描けるようなものじゃない。」
群集の中から大声でそう叫んだのは内山だった。彼は絵の前に腕組をして、狂ったように叫んだ。
「これは天才の絵だ。麻里ちゃん、これは君の絵だ。」人々は気味悪そうに、青年の側を離れた。
 「麻里ちゃん、もし君が、もう少しでも、君のお父さんみたいな俗物に生れていたら君は決して死ぬことはなかったのだ。」
少女の肖像は真直に前を睨んでいた。余計な飾りのついた背景の中で、その顔だけが生きていた。時間のない世界から、嘲るように、内山の血走った眼を見詰めていた。」

(「若い女性」1956年7月号より 198頁 初出では、すべて「八百木画伯」。原文は縦書き、段落変えソノママ。全集、209頁5行〜9行に書き換えられる。)

【註釈】
 以上は、初出末尾の段全文(「彼女を無慈悲に押し潰す」の後)。元版で、214頁1行〜5行へと全体的に書き換えられます。この最後、みなさんはどう思われますか? さらに、以下の「作者付記」が記されていますが、これがまた興味深い一文ですから、全文引用しておきます。

「この小説は幻想の世界を扱ったものですから、「筋」や「性格」を描く種類の小説ではありません。芸術家と俗物との対照、そして意識の内部にある狂気と天才との争いを主題にしています。「物」が大きくなるということは、実存主義的な意味もありますが、簡単に、恐怖の表現だと考えて下さい。
作者がこういう説明を書くのは全く余計なことです。この雑誌の知的水準が高い故、作者は安心して思う通りの小説を書いたのですが、それでも難解すぎるといって読者に怒られる心配もあるので、ちょっと付け足しました。」
(198頁)

 突っ込み所満載の「付記」です。さまざまな意味で面白い。
 『全小説 第四巻』「序」に 「自分では易しく書いたつもりでいたのに、編輯部から勝手に手を入れられた。私は後に単行本に収める際に旧に復したつもりだが、どうも原型と同じには戻らなかったかもしれない」 とありますが、当短篇においては、他に20箇所ほど大きな書き換え跡が確認できるので、元版において、丸ごと書き換えられる上掲の最終段が、もともと福永の筆になるものか、或いは編集者によって勝手に手を入れられた箇所なのかは原稿を見なければ確かなことはわかりません(原稿は必ず返却してもらうことを原則としていた福永ですが――私の確認した限り、原稿用紙の一枚目右上に「この原稿は必ず返却されたし」という旨の注意書きを記しています――「原型と同じには戻らなかったかもしれない」と言うのであれば、この原稿は返却されなかったのでしょう)。
 しかし、仮にこの最終段が編集者の書き換えとすると、他の箇所と較べても余りに大量、大胆であり、創作に等しいものとなっています。五百木画伯の人物像が大きく変ってしまうだけでなく、ほとんど小説の質を――所謂、通俗的に―― 一変してしまっています。いくら当時は駆け出しの福永だったとは言え、ずいぶん酷い扱いです。これほどの書き換えを編集者に許すとは思い難い。
 では、仮に初出文が福永の筆になるものとするならば、上掲のような小説末尾を何故自ら書いたのでしょうか。それは、上記「付記」に於て「難解すぎるといって読者に怒られる心配もあるので」と吐露しているように、要するに、婦人雑誌の読者レベルを意識した福永が、前記「序」の言葉にもある通り、わかり易く、やや手加減をした(それを、元版でそもそもの意図の通りに復した)と考えるしかありませんが、そこに、週刊誌・月刊誌の創刊が相次いでいた当時の状況に対する、「若手職業作家」としての或る種の姿勢を見ることは、決して福永を貶めることにはならないだろうと思います。
 亦、この「付記」が、福永の自発的な意志による追加なのか、編集者の要請によるものか不明ですが、小説の後ろに付せられたこの一文は、余計か否かはおいても、当時の福永が、一般の若い女性の「知的水準」を如何様に考えていたかの直接的告白となっている点で、貴重です。
 このように初出文を廻って想像を膨らませることは楽しいものです。今は、どこかに秘蔵されているかもしれぬ原稿を見る機会があることを願うばかり。
 以上が、配付したプリントの内容です。
*松木文子さんが、鏡の前に実際に絵を置いて同様の位置に坐って、小説の描写に間違いがないかを(上下・左右を)確認されたという報告(写メ付)も、とても興味深いものでした。

3.その他
・(近況)――書棚を整理していたとき、ふと古い葉書を見つけた。見れば、Y.T.さんからの葉書であった。彼は、今では、ある大学で日本近代文学を教えている。彼と知り合ってから、もう三十年近くなる。彼について想い出すのは、決して威張りもせず、自慢もしなかったということに尽きた。思えば、時々年賀状を出すとき、ふと、「あ、おれもこうした生き方を送る可能性があったのだな」という中村眞一郎さんが、菅野昭正さんと会って感じた言葉が脳裡をよぎる。勿論、僕は中村さんほどの学もないが、「実現しなかった人生への悔恨にも似た感情」を持つ。(Kuさん)

・作品の書き込み、削除、変更箇所が時系列で、初出、元版、新潮文庫版、全小説版と詳しく出ている資料準備のできた一覧表は、とても参考になり、作者がどういう意図で書き込みをしたり、削除したり変更したのか?ということを推測して議論していくのも文学上勉強になっています。まだまだポイントがつかめていませんが、今後も研究していきたいと思っています。福永武彦研究会第10号の執筆内容と担当者を聞きましたが、期待できる内容になると思いました。(Fuさん)

【当日配付資料】
 @「死神の馭者」/「鏡の中の少女」、本文主要異同表 各A3表裏2〜3枚。
 A「鏡の中の少女」初出文末尾+註釈 A3 1枚(この報告文に使用したもの)。
 B上記2種異同表の裏面に、A.福永武彦執筆「実存主義文学」(会誌第2号掲載文の全体)B.「『風土』とすべきか『小説 風土』とすべきか」を論じた一文(雑誌「初版本 第3号」掲載の抜粋)を付す。
 C新企画のサンプル表 B4表裏2枚+B5 1枚
  (@〜B:Miさん、C:Kin・Koさん作成)Cの新企画については、5月例会において公表いたします。

【古書目録に掲載された稀覯本/資料 1】  福永武彦の稀覯本や資料で、過去25年の間に各店の「古書目録」に画像入りで掲載された品を紹介します。今回は、『ある青春』特装本。岩松貞子宛、識語署名入本。4年前の夏(2010)、鑑定団でもお馴染みの扶桑書房古書目録より。
詩集『ある青春』は、福永の堅固な詩的世界と川上澄生の質朴かつ雅趣のある創作版画が一体となった、福永文学の精髄を示す魅力を湛えた、現代詩集中でも屈指の傑作です。
 画像は、特装本50部の一冊。8番本。献呈は「一九五二年六月」、識語は「愛しあふ命を持たぬみなし児にふるさとの夢は夢にさめるばかり----」とブルーブラックペンで。これは、詩篇「眠る児のための五つの歌」の「一の歌」中の詩句です。
限定8番という数字から、この特装本に関する興味深い考察をすることができるのですが、それはまた別の機会を持ちたいと思います。(Mi)



第144回例会内容
 
【日時】 2014年1月26日(日) 13:00〜17:00
【参加者】12名(学生:1名、新規1名)
【場所】 川崎市平和館 第2会議室
【内容】
 短篇集『心の中を流れる河』(東京創元社 1958.2)より、「秋の嘆き」(1954.10作)/「幻影」(1955.9作)/「一時間の航海」(1956.4作)の3篇を採り上げ、様々な側面より討論をしました。

1.(発言者自身による要旨・感想)順不同
@ 「秋の嘆き」について
・王氏の論考で示されているように読者の参加を要請する構成となっており、時間の交錯等を含め、福永の志向していた「20世紀小説」の必要条件を満たしている短篇。精神病に対する当時の一般的認識が知れるのも興味深い。(Ki さん)

・巻頭に、秋の嘆き―マリアが去って他の星へ行ってから私は常に孤独を愛した。―マラルメとある。気にかかる文だが、女性会員の指摘された「実の兄宗太郎と妹早苗の愛」について考えていた時浮かんだのが、昨年の4月の中村真一郎の会で、池澤夏樹氏が記念講演『夏を読む』で中村真一郎と福永武彦の共通点として二人とも早くに母親をなくしたことを述べていたことであった。中村真一郎は3歳で母をなくし、16歳で父もなくなる。真一郎の父も孤児、家庭に欠けていた。福永も7歳で母は亡くなった。父はクリスチャンで厳格なひとだった。二人とも家庭との距離が、文学上、生涯を貫いていったのではないか。
 何等か『秋の嘆き』に出てくる兄妹の関係も福永の人生の影響が出ているのではないのか、とも思った。それから父親が狂人であった、という事実が二人にのしかかっていった不安。自分にも狂人の血が流れているのでは、そして私が実の兄を愛しているのも狂人の血の性ではないのか?と悩んだとしたら、この短編は良くわかる気がする。同じ狂人の血を引く兄と妹。兄は妹が自分を愛しているということを知っていたのではないか?妹もその結論にたどり着いたのではないか。この時代、狂人は治らぬ病気であり、「遺伝する病気」だと、医学的根拠はないが、人間社会の通念として通っていたのだと思う。
 福永文学の神髄である「安定しない不安の中の幸福と死の探求」に他ならない、と私は思う。(Fuさん)

・「早苗ちゃんはどんな人と結婚するのだらうね」兄の宗太郎のこの言葉が、読んでいてとても引っかかった。宗太郎は、妹の早苗に対して身内以上の感情を抱いていたのではないか? 父親が狂人を収容する病院で亡くなった事を知っていたのではないか? 自分も父親のようになるのではないかという畏れ、妹に対する感情、それらが彼を追い詰めたのではないか? 母が手紙を処分して、早苗に見せなかった理由はそれだったのではないか? 真実を知ったとしたら、早苗まで狂人になってしまうかもしれない。真相が明らかになることなく、結末を迎えてしまうが、色々と想像をかきたてる。そこが、この作品の魅力なのかもしれない。(Iさん)

1) 精神病の遺伝は、当時自殺を考えるまで深刻に信じられていたのだろうか。
→ 参加者のお一人:それは、医学的にも実生活の上でも、いくつかの文献からそう推量される。
2) 宗太郎の自殺の原因の一つには、早苗への、兄弟愛を超えた異性愛があったと読んでみても面白いのではないか。個人的には、そのように読みたい。
3) (のちに福永自身によって、麻生から麻野へ改名されたのはなぜか?)
 → 宗太郎(SOUTAROU)、早苗(SANAE) との関係でみると、麻生(ASOU)よりも麻野(ASANO)とすることで 三人の人物達がアナグラム上も関係ができるからではないか?(Hoさん)

・私は「秋の嘆き」をすべて声を出して丁寧に朗読してみました。なんて、美しい響きを持つ小説なのだろう、と内容は後から吟味するとしても、響きに惹きつけられ、うっとりし、感動しました。(Kaさん)

A 「幻影」について
・事件をめぐって二人(A子とK)の証言があり、読者にどちらの証言に共感するかを問う形となっていて、読者参加、ミステリー風味の点で「秋の嘆き」と共通点が見いだされる。両作とも加田怜太郎名義第1作目の「完全犯罪」の同時期の作品であるという点も興味深い。(Kiさん)
・「幻影」について思ったことを書いてみようと思います。幻影という言葉から、西脇順三郎の詩集「旅人かえらず」を思い出しました。この詩集の中には「幻影の人」という言葉が何回も出てきます。「旅人は待てよ・このかすかな泉に・舌を濡らす前に・・・・」で始まる長い詩をひと頃は愛し暗唱したものです。
 また、「愛の試み」も読み返してみました。私はこの本をこよなく愛していて、時々取り出して読みます。人間についての「謎」と「神秘」がますます深くなります。「愛の試み」の中の「神秘」の章に従ってこれを極端に言ふならば、初めにあるものは多く錯覚である。という文があります。錯覚は考えようによっては幻影につながるのではないでしょうか。また、「持続」の章に次の文があります。

 愛は持続すべきものである。(中略)しかし節度のある持続は、実は急速な燃焼よりも遥かに美しいのだ。それが人生の知恵といったものなのだ。しかも時間、この恐るべき悪魔は、最も清純な、最も熱烈な愛をも、いつしか次第に蝕んでいくだろう。

 「幻影」のA子とKはある一瞬(あるいは一時期)共通した感情をもつ。そして、深刻な病で入院生活ということで、ますます内向的になり、心の中にあるKを大切にして、それを支えに生きている。毎日欠かさず手紙を書くという行為が、彼女を支えている。しかし、Kは時間の経過の中で様々な経験をして変貌していく。A子に誓ったことは覚えているが、もはやその時の差し迫った、真摯な思いは失せている。ここは、上の福永の文章――― 時間、この恐るべき悪魔は、最も清純な、熱烈な愛をも、いつしか次第に蝕んでいくだろう。‐−−を証明しているかのように思える。
 ここで恐縮ですがある実話を書きます。ある女性が大学の一年の秋にある文系クラブで4年生の先輩(経済学部)に出会い、文学や人生について考えることの入り口を、教えてもらいました。チェホフの読書会やら、グレアムグリーンの作品の読書会など、数人でもやったりしてくれました。女性は知らないうちに尊敬から片思いに変わりましたが、彼は金星堂に就職してしまいました。彼は彼女の熱烈な片思いも知らずに、24歳で結婚し、女性は苦しみしました。が、やっと彼に対する気持ちが諦めとなったころ、普通の結婚をして子供も順調に二人生まれ、懸命に育てていました。 彼の卒業後30年経って、有志が言い出してそのクラブのOB会が出来ました。女性にも連絡があり、OB会に行ってみました。30年ぶりの再会。女性はどきどきしてでかけました。帰り際、女性は彼に昔の熱烈な片思いを告げました。彼は今はアメリカ文学研究書を大学の先生のために輸入販売する会社を経営していましたが、夜は読んだり書いたりの生活で、昔の文学青年の痕跡はしっかりとありました。高円寺の事務所でカタログを作ったり、すべて自分でやっているようでした。彼はその女性の純朴で真摯な思いを知って、驚き、感動し、「間に合った」とつぶやいて、その女性を真剣に愛するようになりました。女性にとっては実らぬ片思いが30年経って成就したのです。そして昔は実現できなかった恋人同士の日々が始まりました。―――以下省略
 この話は「幻影」とは反対の、まるで裏返しのような話ですね。この二人にとっては「時間は恐るべき悪魔」ではなかったのです。そういうこともこの世にはありうるのです。そこに、何とも言えない感慨が生じます。(Kaさん)

・A子は、最後まで一つの幻影を追って死んだ。僕はその生き方を女性の操を守り通した生き方と呼んでもいいと思う。戦後になって、前に愛した男が戦死したと思い、ほかの男と結婚した女性が少なくなかったことは、当時、復員してきた某先生から聞いたこともある。A子のような女性は、珍しかったのではなかろうか。

・思えば、某先生の福永作品への評価は、高くなかった。福永作品を低く評価する人の中には、このような実際に復員してきた人も混ざっていたのではないか、と思った。今度は、女性の操を守り通した方々が、福永作品をどう評価したか、知りたいと思うようになった。(Kuさん)

1) Kは、「僕は決して彼女を愛しなくなったわけではない」と言っているが、どちらなのだろうか。どうも「素直に愛している」とは言えないようだ。
2) Kは「恋愛というものは、ちょっとぐらい冷静になって、この女もいいけどあの女もいいというふうに計算し、それでもやっぱりこの女でなければ駄目だというところに、本当に力強いものが生まれるのじゃないか。」と言っているが、福永自身が考える「愛」からは離れるようだ。
やはり、A子が福永の考える愛の体現者であって、Kはそのアンチテーゼを体現するものなのであろう。
3) KはA子と教会で初めて出会うという設定であるが、Kの性格設定はまるで違うものの、「死の島」の小説内小説でのK(吉田)とA子(綾子)の設定とまるで同じである。(Hoさん)

B 「一時間の航海」」について
・現実と空想の交錯の表現に重点を置いた作品。情景描写のイメージ喚起力が強く、映画の一場面を観ているような印象を受けた。(Kiさん)

1) 出会って何分も経たない男女が声をかけ、身体的に密着し、親密な身の上話を共有し合うことは、全体的に見ると、現実には起こり得なさそう。気持ちが通じ合った男女でも躊躇うような身の上話の共有である。よって、相当に全体的に軽薄な設定であって、男が抱きがな幻想、いや妄想であるようにも感じられる。やはり、全てが夢、妄想だったのではないか。
2)(「この狭い船室の中で、娘のいるところだけが別の空間を形づくっていた。鎖された場所の中で、その空間は無限に開いていた」とは、どのように解釈するのか? by Miさん)

→ 「死の島」には、列車の窓を意識を写す鏡に見立てて、車内を意識、車外を現実、とする描写がある。この短編でも同様に、まだ自分の意識は娘の意識とは別であり、気持ちまでは一体化していない(通じていない)ということを表現しているのではないか。そう考えると、その後の描写:「どうすればこの開かれた空間に近づくことが出来るのか、…」に繋がると思う。(Hoさん)

2.短篇3作の本文主要異同について(Miさん)
 福永武彦の短篇小説は、研究対象として、とりたてて皆で討論するほどの「内容」には乏しいかもしれません。(誤解を招く表現ですが)たわいもないものが多い。それは、中村真一郎が60歳直前の福永を評して「彼なんかはまだまだ本当に文学的年齢からいうとせいぜい三十ぐらいですよ今」「あんなに若い作家というのは今見て、ちょっといないんだな。完成された作家でありながら、福永は大江健三郎よりも若いかもわからないな」と述懐した(「国文学 解釈と鑑賞 福永武彦その主題と変奏」1977.7)その福永の若さというばかりでなく、その手法が、純粋小説として生の本質を切り取ったものであり、殊更に内容だけを取り上げて解釈しても、特別の成果は出ないだろうということです。
 見るべきは内容にはない。つまり、探求すべきは、深層にではなく、形式そして何より文章(言葉ソノモノ)=表層にある。言葉それ自体、そして文中での働きが、つまりは作品ソノモノということです。そして、コトバの連結による「味わい」が文学作品としての眼目であり、その「背後に」何か隠され、特別に解釈すべき意味はない。何も隠されてはいない。すべては、自ずから昶か(あきらか)です。いまさら言うまでもないことかと思いますが、そのような立場で、私は細かな本文照合をしています。

 今回も、3篇すべて照合をしましたので、その概略と感想を述べておきます。対照本文は3篇とも、各雑誌初出⇒元版(『心の中を流れる河』所収 東京創元社58.2)⇒新潮文庫版(『夢みる少年の昼と夜』72.11所収)⇒全小説版(新潮社 第4巻74.2)です。

・「秋の嘆き」初出:「明窓」1954.11 旧かな、新字。
 現在と過去(兄の自殺〜)が交互に描かれますが、各々は時間軸に沿って進行しますから、分り易い構成です。文庫版で、早苗の彼氏の人名が「麻生」から「麻野」に変わります。理由は、読者の解釈しだい。亦、決定版たる全小説版で「余計なことを麻野さんは」の一文に「余計なことを(善意から)麻野さんは」と、カッコ内の言葉を挿入している個所ですが(「余計なこと」とは、早苗の父が狂人となり病院に入れられたことを、麻野が手紙で彼女に知らせたことを指す)、この説明的一語を挿入した福永の意図はどこにあるのでしょうか。

・ 「幻影」初出:「文学界」1956.2 旧かな、旧字。
 初出挿絵は、福永の敬愛する岡鹿之助。手入れ跡は3篇の内で一番多い作品です。ただし、元版の『心の中を流れる河』(=新装版)での明確な校正ミスが5箇所あります。この元版は、他の短篇を含めて、全体として校正ミスが目立ちます。漢字では文庫版⇒全小説版に於て、「應」「餘」など意識的に正字に直している点は、前回取り上げた2篇、今回の他の2篇と同様です。亦、「(戸を)開ける⇒明ける」、「此処」⇒「此所」、「揺」⇒「搖」なども特徴的な字使いです。 

・「一時間の航海」:「別冊文藝春秋」1957.2 旧かな、旧字。
 手入れは3篇の内で最も少ない作品です。元版での校正ミスが3箇所。手入れはありませんが「二人の女ずれ」という表現にチョッとひっかかりました。「二人ずれの女」或いは「女の二人ずれ」の方が明確でしょう。
亦、例会で翻刻文・自筆複写を配付して説明した通り、この作品には構想メモが残されており、1956年3月31日から4月14日まで、貞子夫人と西伊豆旅行をされたその旅中に構想、執筆されたことが判明しています。題名案が4つあり、他の3つは「夢の中への旅」・「夜の彼方への旅」・「航海」と記されています。

3.初めて参加されたFuさんの感想
 周到に研究準備された福永武彦作品資料に感服しました。特にMiさんの作品における経時変化の詳細資料またKiさんの調査資料は素晴らしかった。     
 このような作品研究は他の研究会には見られない。また福永武彦研究の4本柱が明確であった。@作品研究 A福永武彦の人間研究 Bクリスチャンからみた研究 Cマチネポエティックの時代を生きた文人詩人の研究。これらを総合するとこの時代の文学者研究者としての福永武彦氏の実像がはっきり見えてくると確信します。18年という研究実績のある福永武彦を研究会に入会でき感謝しています。私は文学を専門としてきたものではありませんので、これからご指導の程宜しくお願いします。

【当日回覧・配付・頒布資料】
(回覧資料)
 @『名詩名訳』(東京創元社 創元選書 1951)マラルメ「秋の嘆き」(山内義雄訳)所収。
 A源高根著『評伝 福永武彦』(桜華書林 1982)
 B新刊、講談社文芸文庫『幼年 その他』(2014)

(配付資料)
@「秋の嘆き」/「幻影」/「一時間の航海」、参考資料一覧 A4表裏 3枚(Ki)
A「秋の嘆き」/「幻影」/「一時間の航海」、本文主要異同表各A3表裏1〜2枚
B福永武彦自筆手帖より、短篇「一時間の航海」構想メモの実寸複写と翻刻+註釈。
*当該短篇の題名案・主題他が小さな字で鉛筆書きされている。A3 1枚
C「新刊、講談社文芸文庫『幼年 その他』について」紹介、問題点解説。A3 1枚
(上記、A〜C Mi)
(頒布資料) 前回に続き『風のかたみ』2枚組CDを実費(200円)にて頒布。完売。

【関連情報】
・会への寄託資料。『冥府・深淵』(講談社ミリオンブックス 装幀 駒井哲郎1956.3)帯付本。
・1月10日に発行された講談社文芸文庫版『幼年 その他』には、今迄の文庫に未収録で手軽に読めなかった「4つの古い小品」(「晩春記」/「旅への誘い」/「鴉のいる風景」/「夕焼雲」)が収録されているのは嬉しいことです。ただし「幼年」と「5つの短い小説」(「伝説」/「邯鄲」/「風雪」/「あなたの最も好きな場所」/「湖上」)の底本を、講談社文庫版(1972)とした点はいただけません。全小説版(1974)に於て、各篇とも福永は多くはなくとも見逃せない手入れをしており、当然その決定稿を採らなければなりません。この点に関して(特に「幼年」を採り上げて)、例会でプリントを配付した上、その問題点を説明しました。また、例会3日後には文芸文庫担当編集者と電話で話し、問題点を指摘した上、あちらの対応をお尋ねしました。講談社側の対応に関しては、当研究会HP「掲示板」に簡単に述べておきましたので、ぜひ御覧ください。


第143回例会内容

【日時】 2013年11月24日(日) 13:00〜17:00
【参加者】9名(学生:2名)
【場所】 川崎市平和館 第2会議室
【内容】
 短篇集『心の中を流れる河』(東京創元社 1958.2)より、「風景」(1955.9作)/「心の中を流れる河」(1956.9作)の2篇を採り上げ、様々な側面より討論をしました。亦、討論の合間に、Ku さんより「福永武彦のアイヌ観」の小発表がありました。各々、発言者自身による要旨・感想を掲載します。

【発言要旨・感想】順不同
1.「風景」について
・療養所が出てくる作品は、福永が結核を患うことがなければ、書かれることはなかったように思う。何年もベッドの上で、病状の変化に一喜一憂したり、死んでしまうのか、治って元の生活に戻れるのか様々な思いがあっただろう。福永の人生に大きな影を落としたのは間違いない。 療養所を出た後も、そのことを引きずっていたのではないか? 福永は、作品を書くことによって、様々な心の動きを追体験した。「書く」という行為は、作品を創る事と同時に「自分を見つめる」作業だったのではないか?その「作業」をすることにより、精神的な抑圧から解放され、立ち直り、元の生活へ戻っていけた側面があったのではないか?(I さん)

・『心の河を流れる河』および『風景』を読み、私が考えたことは、福永の北海道体験についてでした。小説の文言を一つ一つたどりながら、福永にとって北海道とは寒く、寂しい風景のように見えたのだろうかと思いました。私自身、福永の北海道体験について知らないことが多いので調べてみたいと思います。 また、『風景』は面白い構成をしており、一つのメタフィクション小説であるのかなと思いました。福永は内容、テーマはもちろん構成などの形式的なものへの関心も強くあった作家なのでは、と諸作品を読む度に思いますが、この『風景』という作品もその一つです。(Kin さん)

・小説の「私」は、同じ病棟の男の過去を ”窮めて僅の材料を使って” 彼の運命を推理している。こうしたミステリー風味は、この作品の翌年に発表された加田伶太郎作品にリンクしているように思われ興味深かった。(Kiz さん)

・「風景」/「心の中を流れる河」の本文照合をしましたので、その概略と感想を述べておきます。この作品では、初出(「新潮」55.11)⇒元版(『心の中を流れる河』東京創元社58.2)⇒新潮文庫版(『夢みる少年の昼と夜』72.11所収 文庫以前に刊行された新装版『心の中を流れる河』人文書院69.9は、元版の紙型使用なので―新装版「後記」に福永が既述―とりあえず同一文とみなし省略。)⇒全小説(新潮社 第4巻74.2)、各版の本文照合を行いました。 全体として手入れ跡は多くはなく、節の入れ替えなど、構成に係る大きな変更も見られません。亦、改行は数箇所にあるものの、一文の挿入や削除もなし。文章を整える語句の変更が主で、漢字の書き換えが目立つ程度です。 その漢字ですが、文庫版⇒全小説に於て、「應」「傅」「餘」「佛」「藝」など、意識的に正字に直している点が注目されます。これらの正字は、やはり全小説版の他作品に於ても、福永は意識的に使用しています。(Mi さん)

2.「心の中を流れる河」について
・作家は、処女作のバリエーションを書き続けるという話をきいたことがある。福永がずっと書いてきたものは、(まだ未読の作品が多いが)人と人とはわかり合えない、他人の心は理解出来ない、ということ。人と人との間には、海よりも深い河が流れていて、お互いに向こう岸の存在。わかり合うこと、交わることは、決してない。 福永は、読者に心地よい、甘い夢を提供してはくれない。作品に登場する女性は、梢のように辛辣な人が多い。感情移入出来ない人も多い。創作とはいえ、登場人物に幸せになって欲しいと望むことはないのだろうか?と疑問に思うことがある。現実においては、人は幸せを求めて生きていくものだと思う。そのカタチは人それぞれ。 作品を読んでいて、福永は何を求めて生きていたのだろう?と色々考えてしまう。そして、病気とあまり縁のない人生をおくっていたとしたら、書かれた作品はかなり違ったものになっていただろうか…とも考えてしまう。(I さん)

・寂代(さびしろ)、弥果(いやはて)と名づけられた地名、太郎が梢に語るこの”小さな、未開の町”についての否定的な発言、二人が感じている閉塞感などから、執筆当時に福永が帯広に抱いていた心情が窺い知れるようだ。 「草の花」「独身者」で既成教会に対する強い批判と原始教会への共感が主要登場人物により語られていたが、この作品においても梢が義兄の門間牧師に対し、彼の信仰について辛らつな批判をしているのが興味深い。 Ku さん発表の「福永武彦のアイヌ観」のユニークな論点が興味深かった。(Kiz さん)

・この作品では、初出(「群像」56.12)⇒元版(『心の中を流れる河』58.2 新装版に関しては「風景」と同様の理由で省略。亦、新潮文庫『夢みる少年の昼と夜』には未収録。)⇒全小説(第4巻74.2)の本文照合を行いました。 「風景」同様、文章を整える語句の変更が主で、大きな手入れはありません。ただ、全小説版に於いて、上記「風景」と同様の正字使用の反面、「全く」⇒「まったく」、「一寸」⇒「ちょっと」、「如何に」⇒「いかに」、「何処」⇒「どこ」など総てひらがなにしている点が目に付きます。この点も、全小説所収の他作品でも同様と思われます。 両作品ともに大幅な手入れはありませんが、むしろ「文庫を含め、すべての版に於て、語句の細部に渡る変更(文意をより明晰に/語調を整え/字体へ拘り)が必ずある」点にこそ、福永作品の真骨頂が見られるように思います。 亦、NHKラジオ劇場の台本(伊藤海彦脚色 下記【回覧資料@】)は、構成上で多少の改変や削除があり、なかでひとつだけ大きな変更点として、最後の梢と門間牧師の橋上での対話から、牧師に対する梢の痛言が省かれ、その部分が、牧師の説教を聴いている間の梢の独白として組み込まれている点が挙げられます。(Mi さん)

3.Ku さん発表の『福永武彦のアイヌ観』についての自身の感想
 今回は『福永武彦のアイヌ観』という題名で発表した。古代から現代までの日本人のアイヌ観を示した。1は「アイヌ差別の歴史」、2は「アイヌへの理解」、3「現代」という展開にした。2章であやまちを犯した。1899年の「北海道旧土人保護法」が最近まで改正されなかったのに、安易に「アイヌへの理解」という題名をつけてしまった。それにとどまらず、2章でアイヌへの理解を、アメリカの公民権運動や、アフリカ諸国の独立等という余り関係のないことと、強引に結び付けてしまった。3章の「現代」の中で、村上春樹の小説の『羊をめぐる冒険』を出してきたのは、一種の遊びである。

4.ラジオ・ドラマ「風のかたみ」(1982.2 脚色 川崎洋 音楽 池辺晋一郎 次郎を加藤 剛 80数分 頒布資料)を後日聞いた感想
 ストーリーは原作にほぼ忠実であり、ラジオ・ドラマとしての脚色も適切で、加藤剛を始めとする配役も申し分なく、全体としてとても良質なドラマ作品に仕上がっている。(Kiz さん)

【当日回覧・配付・頒布資料】
(回覧資料)
@「心の中を流れる河」のラジオドラマ(1961年1月18日 NHK第2放送)台本(福永武彦所蔵) 1年前に古書店より入手した資料。
A『マチネ・ポエティク詩集』元版(限定750部本) 会へ寄託された本。
B『完全版 風土』(限定1000部本) 北海道の Fuさんより会へ寄贈。
C「アートシアター 154号」1983 映画「廃市」シナリオ掲載 同上
D神保町・中野書店古書目録「古本倶楽部」268号(2013.10) 福永武彦宛川端康成毛筆書簡5通、105万円が画像で紹介されている。
(配付資料)
@「『心の中を流れる河』新版後記」複写(A4 1枚 Kiさん)
A小発表資料「福永武彦のアイヌ観」(A4 6枚 Kuさん)
B「心の中を流れる河」/「風景」の本文主要異同表(A3表裏2枚 ラジオドラマ「心の中を流れる河」台本表紙含 Miさん)


第142回例会内容
   
【日時】 2013年9月29日(日) 13:00〜17:00 
【参加者】10名(学生:2名) 
【場所】 川崎市平和館 第2会議室
【内容】 
1.「風のかたみ」検討
(当日配布・回覧資料)
@『風のかたみ』発表資料 概要A3判(表裏)3枚、添付資料「今昔物語集」よりA3判1枚(Ko)
A『風のかたみ』参考資料一覧 A4判 5枚 (Kiz)(データベースに掲載
B『風のかたみ』本文主要異同表 初出「婦人之友」⇔元版 A3判(表裏)2枚
C福永自筆『風のかたみ』“Work In Progress”より構想メモ複写 A4判1枚
 (B.C Mi)以上、配付
D『風のかたみ』の脚本掲載「シナリオ」(1996年10月号)。(Ko)
E『風のかたみ』の実現しなかった映画(1969 東宝)台本。(Mi)

(検討内容の概略)
 大学生Koさんの発表(資料@による)を基にして『風のかたみ』に関して、様々な視点より討論を行った。
 以下に各々、発言者自身による要旨を掲載します。

【発表要旨】(Koさん)
・福永武彦『風のかたみ』( 昭和43年6月) は、『今昔物語集』を素材として持っている。
・主人公である大伴の次郎信親とその周りの人々が、名器「喜仁の笛」の音によって、死の運命に導かれて行くというストーリーの中にいくつもの説話が援用され、その数は芥川を始めとした説話を背景に持つテキストの中で、最多と言われており、いくつもの説話をモザイク状に組み立てた構造となっている。
・このテキストは、フランス文学との関わりから論じられる事が多い福永のテキストの中では、特異な物として、あまり論じられる事は無かった。
・本論文では福永が『今昔物語集』を題材とした小説のきっかけとなった訳業について取り上げ、福永の古典観を明らかにし、そして説話を題材としたテキストの習作としての短編『鬼』と、それらの集大成である『風のかたみ』を福永の訳業或いは原典と照らし合わせる事で、その構造について明らかにする
・「喜仁の笛」の音を主旋律として進んで行く『風のかたみ』の物語は、音楽説話的要素を多分に含んでいると考えられるが、特に「巻二十七本朝付霊鬼第二十六話女見死夫来語」とテキストとの比較を通して考察を加える。

【発表に対する意見・感想など】
・Kuさん
@ 論文が、わかりやすくプリントされていたので、理解しやすかった。
A 古典とのかかわりは、稲垣裕子さんも触れていらっしゃる(「福永武彦研究」第七号『風のかたみ』の成立基盤)ので、稲垣さんの論文にも触れてほしかった。
B「婦人之友」昭和41年1月号に直接当たられた(ヨコの関係)のもよかった。
・Kinさん
今回は『風のかたみ』の卒論構想の発表でしたが、資料の準備もよくされていた良い発表だったと思います。
発表によると、作中の〈笛〉に着目し、それの巻き起こす魔的な出来事について構造的考察に主眼を置いた内容になると思います。
卒論が実際に書かれる際には〈笛〉と同じく魔的存在である陰陽師をはじめ、各登場人物と〈笛〉との関係がさらに詳しく論じられるのでしょう。また、魔的な出来事をツヴェタン・トドロフの『幻想文学論序説』を参考にして論じていたことも印象的でした。どのような卒論が出来上がるのか楽しみです。
・I さん
作中での笛の描写に関して、私は魔力のようなものは感じなかった。読者を惑わせる小道具のような印象を受けた。一番怪しい存在は、智円では?
作家が全くのゼロから作品を創るのは不可能だと思う。過去の様々な体験、読んだ作品などから、必ず何らかの影響を受けているはず。だから、今昔物語の存在も大きかっただろうと推測。
作品、作者を研究する上で作者が故人である以上、書かれた作品、のこされた資料などから作品を読みとくしかない。
その多くが推測でしかない可能性が高いが、そこから別の何かが見えてくる可能性も否定出来ない。ただ、分析は深く入り込み過ぎると、本来わかり易いものをわかりにくくしてしまう危険があるような気がする。研究は、作品をより深く楽しむ助けになればいいと思っている。
・Kizさん
「風のかたみ」の関連資料・既出論文をよく読み込み、整理した上で書かれた論考だと思います。個人的には、「喜仁の笛」の魔力に着目し検討を加えた部分がとても興味深かった。
・Miさん
私は、研究の要諦は、資料(の質)にあると思っています。その点で、Koさんの発表は、まだ不十分ではありましたが、資料をなかなかよく探索・使用されていて、全体として聴きごたえがありました。ぜひこの方向で研究を継続されて、独自の論点を確立すべく、さらなる資料の探索に努めて欲しいと思います。単に頭の中でこね回す(閉じた)空論に陥らぬことを期待します。
当作品の初出(「婦人之友」1966.1〜1967.12)⇔元版(1968.6)の本文照合を行っていて気付いた点を若干挙げるなら@『風土』や『死の島』に較べて、手入れ痕は全体に少なく、章・節の入れ替えもない。Aその代り、漢字の手入れ痕が多く、また言葉ひとつひとつにこだわっている。例えば「筥(はこ)」、「乱風(みだりかぜ)」、「手弱(たよわ)かな人」「雪まろばし」他、王朝物語の雰囲気を醸し出す単語が注意深く選択されている、などが指摘できます。
『風のかたみ』は、福永が小説家として苦心しつつ書き進めた野心作というよりも、自身で愉しみつつ書いた、ひとつの濃密な世界を具有した「物語」というべき作品であることが、手入れ痕からも見て取れます。

【意見をもらってからの発表者の感想】(Koさん)
 まず、テキストでの笛の取り扱いから、『魔笛』等の海外の幻想文学的な作品からの影響があるのではいなという指摘や、智円法師という超越的な力を持った存在の力がどれだけテキスト中に徹底されているかという問題、またその超自然的な力が福永の運命観が表われているのではないかという指摘、そしてテキストの後半には、回転扉で伊勢殿が逃げる等の、江戸期の伝奇小説のような奇想天外さが見られるという事の指摘。
 一方としての心理主義的リアリズムが、どこまで徹底されているかという事の確認をするべきであるという指摘、登場人形の造形が外見の描写は多いものの、その内面にはあまり入り込まない事等が、主に指摘された事であるが、やはりこのテキストは幻想文学的側面と、心理主義的リアリズム(作中の和歌のやりとりもこの範疇に入るだろう)の二つの側面があることを、よく認識した上でテキストを解釈して行く必要があるだろうと感じた。
 これからは幻想文学的側面だけではなく、心理主義的リアリズムに即した歌物語という、このテキストのもう一つの側面を考えて行きたいと思う。
【関連情報】(Miさん)
 今回採り上げた『風のかたみ』の映画(高山由紀子脚本・監督1996年)が、新たにDVDとして、10月25日に発売予定です。
 映画公開時、渋谷まで観に行ったのですが、客席はわりと空いていたように記憶しています。
直後に、中村真一郎さんに御覧になったかどうか伺ったところ、観ていない旨のご返事でしたが、わざわざ行かれるほどのこともないかなと思ったものです。
 この映画作品において、主人公「大伴次郎信親(のぶちか)」の名前が「大伴次郎親信(ちかのぶ)」となっているのを、以前から不思議なことと思っています(台本――9月例会で回覧――でも確認済。画像参照)。単なるミスの可能性もありますが、再見の機会に、その種の発見をするのも一興でしょう。



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