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福永武彦研究会・例会報告(11)

第135回〜第141回 (2012年7月〜2013年7月)


【第141回研究会例会】 2013年7月28日(日)
【第140回研究会例会】 2013年5月26日(日)
【第139回研究会例会】 2013年3月31日(日)
【第138回研究会例会】 2013年1月27日(日)
【第137回研究会例会】 2012年11月25日(日)
【第136回研究会例会】 2012年9月30日(日)
【第135回研究会例会】 2012年7月22日(日)
*第142回例会以降、直近までの研究会例会報告は、本サイトのTOPページに掲載されています。


第141回例会内容

  【日時】 2013年7月28日(日) 13:00〜17:00 
  【場所】 川崎市平和館 第1会議室 参加者:17名(初参加:2名、学生:3名)
  【内容】 

 1.新刊「福永武彦研究 第9号」に関する発言要旨
  1. ・初めて自分の書いたものが刊行物に載るというのは感慨深いものがある。会誌9号は、目が奪われるような表紙、充実した内容からしても素晴らしい本だと思う。そんな会誌に執筆者として友川カズキ氏、福永武彦と名を連ねたことを大変光栄に思う。(Kin)
  2. ・表紙の澄明な黄いろ部分が「冥府」の「あかるみ」のようにも思われました。「ジイドに就いての手紙」はいろんな意味で凄いですね。(Ma)
  3. ・今回の例会は活気に満ちたものであったし、会誌も立派であった。僕が本会に入ったときは、将来このような会になるとは、予想だにしなかった。今後もますます発展した会になることを祈念したい。(Ku)
  4. ・「鬼」論について: 福永の雑誌メディアとの係わり合いという斬新な切り口と説得力ある論の進め方に感嘆した。過去の福永論ではほとんど取り扱われなかった加田伶太郎名義作品との関連も興味深かった。
    「冥府」論について: 作品発表の前年に自死した加藤道夫との関連、アリス、シェイクスピア、オンディーヌへの連想など知的刺激満載ながら論理的に納得できる考察だった。
    「文学散歩」について: 根っからの文学好きの大学生コンビの綴る文章がとて清々しい。信州方面への文学散歩ガイドとしても価値がある。
    「ジイドに就いての手紙」について: 婦人雑誌からの依頼で、手持ちの資料がほとんどない中で1日で書き上げた福永最初期の評論とのことだが、さすが福永というしかない出来ばえ。
    「死の島」本文主要異同票について: 数箇所の鼎の内心の説明部分の大幅なカットがとりわけ興味深い。「死の島」研究者にとって示唆多い資料だと思う。(Kiz)
  5. ・会誌9号が手元に届いた時は、大きさ、装丁、重さ(いい紙を使っている)に作った人達の気合いを感じました。本文中の写真もカラーとは驚きです。私自身、趣味で創作(自主製作本)をしています。これだけ豪華な本は、正直そうそう作れません。
    福永作品は、ゆっくり少しずつ読んでいる為、まだ未読の作品が多いです。会誌は、作品を読んでから、ゆっくり目を通したいというのが現状です。(I)
  6. ・今号は、版型をB5判とし、印字も大きく余白もたっぷり取り、カラー画像を多数挿入し、紙質も上等のものを用い、さらに表紙は友川カズキさんにオリジナル絵画を描いていただきました。まずは、装幀として既存の研究誌の枠を破りたかったのです。そして、それに相応しい、枠を破るような、他では掲載し得ぬ論考、貴重な資料の掲載を意図しました。さらに、その各々が存在を主張しつつ、ひとつの生き生きとした小世界を築くこと、つまり「ひとつの作品としての研究誌」を構想しました。まだまだその実現には不十分ながら、第一歩は踏み出せたかと思います。
     「文学紀行」に於いて、大学生2人の文章をきめ細かく読んでいただき、構成・内容に至るまで様々アドバイスをしてくださったTeさん、そして会誌編集に多大の時間を割いていただいた西田一豊さんに感謝いたします。(Mi)
  7. ・会誌 9 号の装幀、造本については「従来の会誌の概念を破るようなものを」「それ自体が一つの作品であるようなものを」というMiさんの方針に、共感を覚えました。全面的に支持します。その方針は、見事に実現していると思います。この 9 号に比べれば、初期の会誌は、何やら全集の月報のようで。
     文学散歩「詩の影の下に」が思わぬ (?) 収穫だっただけに、地図があると、それも頁の余白になどといわず、可能であれば折り込みの本格的なものがあっても良いように感じました。また、内容の充実については申し分ないものの、研究会の、読者の親睦・交流という面を考えれば、巻末に会員の短信欄のようなものがあっても良いように思いました。
     西田一豊さんの短篇「鬼」についての考察、発表誌「キング」への注目は重要な視点だと思います。その作風から、また作者自ら「特に意識しての場合の他は、純文学しか書いたことはない」と語ったこともあってか、作者の作品は一般に、殆んど一律に「純文学」と受け取られて、一般に理解されている「純文学」と作者の「私にとって純文学に属する」という「純文学」との距離に十分な注意が払われていない印象がありました。恐らく後者の「純文学」は、前者のそれより幅が広い。その距離を正確に測定することは、『風のかたみ』や「廃市」『海市』など所謂「文芸誌」以外の場に発表された作品について考える場合にも必要だろうと思います。
     二人の大学生、白石純太郎さん、木下幸太さんによる文学散歩「詩の影の下に」、この企画は成功でした。前半、最初の一行「初めて福永武彦を読んで、三年がたった」(白石) から、後半、最後の一行「自分の心の中を流れる河を見出すかのように」(木下) まで、書き手の感動を素直に表現した文に感心しました。若い、眩しいような感性に、かつて感じた歓びやときめきの記憶を呼び覚まされました。こうした瑞々しい感性を、忘れないで欲しいと思います。
     三坂 剛さんによる『死の島』の「本文主要異同表」は積年の労作、かねて部分的に拝見してはいたものの、改めて見れば壮観の一語、多くの読者・研究者に活用されることを願います。時勢に鑑み、PDF ファイルによる配布も検討されては如何でしょう。
     私自身の旧稿「「冥府」について」の掲載については、感謝の外ありません。楽しく読んでいただければ幸です。木澤隆雄さんの実に見事な、示唆に富む論考「『海市』と『アンナ・カレーニナ』」については、十分な準備の余裕がなく、例会での発言の機会を逸しました。お詫びして、他日を期したいと思います。(Wa)
 
 2.『死の島』発表に関しての感想・意見。
  • 註)Fuさんの今回のご発表は「日本近代文学」に掲載予定の論文の大略を述べていただいた関係で、直接論点に触れるご意見・ご感想については、(発表者の希望もあり)ここでの掲載を見合わせ、一部分のみを抜粋して掲載いたします(或は全文略させていただいた方もいます)。執筆者各位には、どうぞ御諒承いただきたく存じます。Fuさん、当日参加の方々には、省略なしの全文を別にお送りします。
  • ・Fuさんは「福永武彦『死の島』の原水爆文学としての側面」というご自身の論文の抜粋をプリントして発表された。奔放な想像力と多様な切り口でこのやっかいな構造の作品に、厚みのある論説を展開してゆく。いささか奔放に思われるところがないでもないが、説得力がある。発表は論文の一部であり、今回は省略された論考の発表を期待しております。(Ma)
  • ・未読の作品に関して論じることは出来ませんが、発表されたFuさんの熱意がとても感じられました。話を聞きながら、これを福永本人が聞いたらどう思うだろう?と考えたりしました。「えっ!そんな解釈もあるの!?」と驚いていたりして。死後も作品の事を語ったり、色々と考えたりする人達がいる、忘れられていない。これは作家として、とても幸せな事ではないでしょうか。そういう意味で、福永は死んでいないのかもしれません。(I)
  • ・無垢というよりも、空虚といったような白色と雪は福永の作品に多々登場するように思える。たとえば『草の花』『心の中を流れる河』など、雪が登場する作品を瞬時に思い浮かべる。それらには空虚さや、不毛さなども同時に連想され、いわゆる福永自身の北海道での体験というものが関係あるのだろうかと考えさせられる。今後、自分でも調べてみたい。いずれにせよ『死の島』での雪の色や白色は印象的だ、そう思うのはおそらく「内部M」との関連もあるだろう。雪が埋めつくし、真白にしてしまったような2ページが。(Kin)
  • ・内容と別に、構想中の論文について例会で発表して意見を求めるというFuさんの積極的な姿勢を、個人的には大いに買いたいと思います。人前で話すことは考えの整理にもなるので、若い学生諸君や論文を準備中の方は、発表練習の場として、例会を積極的に活用して欲しいと思います。(Wa)

  
【当日配布・回覧資料】
  1. 『死の島』限定350部本、回覧。
  2. 『死の島』連載第17回、自筆草稿冒頭の8頁分複写を配布。(@、A A氏提供)
  3. 福永末次郎氏葬儀の際の福永武彦挨拶文複写を配布・解説。(Mi氏提供)
     いつもながら、貴重な自筆草稿の複写を配布いただいたAさんに感謝いたします。『死の島』の自筆草稿は、既に10年以上前に、連載56回分がすべてバラバラに古書市場に流れています。恐らく、今から一所に集めるのは不可能でしょう。実に残念なことです。亦、Bの有する意義に関しては「福永武彦研究 第3号」において解説済なので、ご一読を願いたいと思います。(Mi)
  【関連情報】
  1. ・前号でもお知らせしました通り、山崎剛太郎さんの第2詩集『薔薇の柩』(水声社)が先月刊行されました。7月20日には、東京・銀座で刊行祝賀会が催され、この最後のマチネ・ポエティク詩人の御壮健を祝し皆で閑談の随に、「第3詩集を」という声がアチラコチラからあがりました。山崎さんご自身も至って乗り気。必ずや実現されることと思います。(Mi)
  2. 8月7日夜「福永武彦研究 第9号」の表紙絵を描いていただいた友川カズキさんのライブに「文学紀行」を執筆した大学生の白石・木下両君を誘って出かけました。2人とも、以前より友川ファンとのこと。
  3.  2メートルも離れていない最前席で聴く友川さんの叫びに、皆声を出すこともできずフーと息を吐くのみ。心底、圧倒されます。打ち上げでの会話では、舌鋒鋭い友川さんの言葉に、若い2人は色々物思うことがあった様子でした(画像)。友川さんの舌鋒の鋭さは、より感覚的・直接的ではありますが、福永にも通じるところがあるだろうと想像します。「福永研究、ほとんど読んだよ」と仰っていただいたのは、嬉しいことです。(Mi)



第140回例会内容

 【日時】 2013年5月26日(日) 13:00〜17:00 
 【場所】 川崎市平和館 第2会議室 参加者:10名
 【内容】 
 1.「退屈な少年」発表(Kin)
  •  今回『退屈な少年』についての考察発表の場を設けて頂いた。作品について考察すること自体も難儀なことであったが、自分の考察を論理的にまとめ言語化することが今回最も難儀であったと思う。結局、自分の「思いつき」を例会参加者の皆様にそのまま提示し意見を請う発表となった。発表後に皆様から頂いたアドバイスは大変参考に、そして何より励みになるものであった。私事であるが、福永で卒業論文を書くと決意した時から福永関連の文献に目を通して知識をインプットすることは多々あった、しかし自分の知識を自分なりにまとめて考察にする、アウトプットの機会がほぼ皆無であった。未だに福永を何処から考察すれば良いか指針が定まらない現状。その現状の中、『退屈な少年』の考察をまとめて発表する場を頂いたこと、その後貴重なアドバイスを頂いたことに対して、ここで改めて感謝の意を表したい。(レジェメ 別掲

 2.「夢みる少年の昼と夜」全体討論: 本作品について以下のような意見・感想があった(一部を紹介)
  1. ・本作品は、6年後に発表された「退屈な少年」と共通の特質とモチーフ(少年・母・少女・死)を持った緻密な構成の作品である。本作品は少年の視点から捉えられた世界を描いているが、福永は単一の視点からでは、充分に彼が意図したモチーフを描ききれなかったという思いがあって、後年、多視点による小説「退屈な少年」を書かせたのではないか。「退屈な少年」での手ごたえが、さらに「忘却の河」への発展につながったと考えられる。(Kiz)
  2. ・今回の作品は、Tさんが言ったとおり「映画的技法」が見られると思います(註 討論前に、第93回例会で採り上げた同作品へのTさんの論考を配布)。以下は、それ以後に考え付いたことです。日本近代文学では、映画的技法がよく使われる。十重田裕一は横光利一の『機械』のなかで、人物のクローズアップが見られることや語り手が無声映画の弁士と思われること、題名の『機械』そのものが映画を連想させる、と述べる。さらに十重田は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』も、『カメラのレンズが捉えるように、『天井の電球』の照らし出す『部屋』の内部が、ひとつひとつ細部にわたって描写されていると ころも映像的』として映画的技法が見られるとする。このように見ていくと、『夢みる少年の昼と夜』に映画的技法が見られる(Tさん)としても何の不思議もない。また、『飛ぶ男』にも映画的技法が顕著であることは、この作品を一読すれば分かることである。要するに福永武彦は、映画的技法においては、日本近代文学のなかで孤立した存在ではなかったのである。(Ku)
  3. ・今回は、本文そのものの読解よりも、知識面についての充実を主眼として『夢見る少年の昼と夜』を利用してみました。旧約聖書士師記13〜16章のサムスソンとデリラ、ギリシャ神話のペルセウスとゴルゴーンのメドゥーサ、アンドロメダーやクロノス・ポセイドーン・オリシス・イシス・ボレアース・アルゴ船等々、基本知識の確認をしたことは、大きな成果でした。また、戦前戦後の問題(註 小説の現在時は戦前なのか戦後なのかで多少議論があった。)は、教育制度と絡んでやはり無視できないように思います。戦前では、高等小学校2年師範学校3年で小学校教員になるので、青山先生の年齢の問題も解決しますし、小川未明の活躍時期が大正7年創刊の「赤い鳥」を中心とすることを踏まえれば、戦前とみる方が妥当かと思います。(F)
  4. (討論前に「本文校異表」を配布。述べたこととは別の感想。)

  5. ・私は、皆さんの作品解釈が夫々面白い。私にとって、解釈とは物語の別名なので、みなさんの頭に宿った想いを筋道たてて語る内容は、どのようなものでも愉しめる。ということは、言い換えると、今の私はそのような解釈(物語)には、余り関心がないということでもある。つまり、作品を語る自己は、それまでに蓄積された知識・経験と当代の「思考の枠組み」の制約を受けざるを得ないのだから、時の移り変わりに従って解釈も自ずから変遷する。その移ろい易い解釈に、それほど重きを置いていないということだ。時代を貫通する「確実なもの」を求めたい。その際、作品外に様々な風俗的・伝記的事実を求めるのも必要なことだが(精確な伝記の作成)、しかし、その確実なものは究極のところ「作品本文そのもの」しかない。総ては、作品の内にある。そして作品精読の極め手は本文対照である。延々と「本文校異表」を作成し続けている理由がそこにある。
     *「夢みる少年の昼と夜」は、1979年発行の槐書房限定版において本文に手入れがある(ザッと30箇所。全集版本文はその手入れを取り入れていない)ので、論文の底本として、この限定本に拠らなければならないことは、2005年11月の第93回例会において既に指摘しておいたとおり。字句の表現の変更だけでなく、一文削除、少年の年齢変更など、注目すべき点がある。(Mi)
 【当日配布資料】
  ・ 「退屈な少年」論 レジェメ(別掲参照)+資料 (Kin)
  ・ 「夢みる少年の昼と夜」参考資料一覧(データベースに掲載) (Kiz)
  ・ 福永武彦自筆「小説メモ 1948」より「夢みる少年の昼と夜」(18.19頁)複写 
  ・ 同翻刻文                     
  ・ 『夢みる少年の晝と夜』限定版刊行の御案内  (株)槐書房
  ・ 第93回例会(2005年11月) 「夢みる少年の昼と夜」考察(T氏) 
  ・ 「退屈な少年」/「夢みる少年の昼と夜」本文主要異同表  (上記4点共にMi)
  ・ 『夢みる少年の晝と夜』限定A版、B版回覧(Mi氏、A氏提供)

 【福永武彦関連情報】
  1. 「会誌 第9号」は、現在印刷工程に入っています。6月末〜7月上旬には出来上がる予定です。B5判、140頁超、300部発行。内容は既にHPに掲載してありますが、力作論考3本に未発表資料(画像付)を掲載し、友川カズキさんの表紙絵ともども、期を画する出来栄えになることと思います。
  2. 同時期に、山崎剛太郎さんの第2詩集『薔薇の柩』(水声社)が刊行される予定です。95歳、現役のマチネ・ポエティク詩人の瑞々しく豊穣な世界に浸る悦び。詳細は、わかり次第HP等でお知らせします。

 【発表資料】 『退屈な少年』論―「原型」についての小考察― (Kin)
  •  今回は謙二少年を中心にして『退屈な少年』を考察してみたい。謙二という少年は始終退屈から抜けだそうと「遊び」に没頭する(以後、謙二が退屈を解消しようする行為を指す場合はカギ括弧を付けて表記する)。まずその今回取り上げる「遊び」の確認から入る。
     その「遊び」のまず一つに「賭」が挙げられるだろう。確認しておくが「遊び」と言っても、彼が定める四つの定義に反する「賭」は子供の遊びとされる、つまり謙二の行う「賭」は子供の遊びではない。作中で述べられている通り、それは「知的冒険の一つ」である「賭けるためのうまい材料を見つけ出すこと」の延長としての行為であって、子供の遊びと明確に区別される。では、謙二の行う「賭」とはどのような性格を持った行為なのだろうか。
     この「賭」を行う際に、謙二は四つの定義を順守するがその際の精神的変化に注目したい。四つの定義にあてはまる賭をしている最中、謙二の精神は「これが謙二は好きなのだ。この気持、この純粋な自我の統一。その時彼は一個の神で、運命いう神と相対しているのだ。」という地の文が説明している通り、統一へと向かう精神的変化を楽しんでいる。言ってみれば「賭」は精神の変化、運動を起こす初動なのだ。
     他の「遊び」に「原型」を中心に展開される言葉や鳥の鳴き声への探究が挙げられるだろう(仮にその探究を「原型探究」と呼ぶ)。謙二はあらゆるものが持つとされる「原型」に熱中する。たとえば謙二の「原型」への関心が説明される際、最初に例に挙げられるものは言葉の原型についてである。これを先に挙げた「賭」と関連させるために作中の「はじめに言ありき」という聖書の文言に注目する。新約聖書・ヨハネによる福音書を読むと、この後には以下のように続く。

     初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に光があった。(新約聖書・ヨハネによる福音書1-1~4)

     原始の言葉は、言葉であると同時に神であった。この新約聖書の文言を基に考えれば、その行為の中で自我が統一され一個の神となる「賭」と、神であった原始の言葉を探究する「原型探究」との間には、ある一点へ向かおうとする運動がある。前者は個々のものが統一体に向かう運動、後者には個々ものが以前に存在した統一体へと戻ろうとする運動であり、両者は一点へ向かう運動という点で類似している。
     向かおうとする一点、それは統一体のことであり、両者共に謙二が関心を寄せる「原型」のことであろう。つまり、「賭」もまた「原型探究」の一つなのではないかと考える。
    では、「賭」「原型探究」といった「遊び」はどこに帰結するのか。以下に引用した「風」という精神状態を説明した二つの文章にその答えがある。

     それから退屈が最も純粋に自然と同化した状態に「風」があった。

     僕の魂は無限にひろがって、風も、樹も、草も、鳥も、蝉も、みんな僕の魂の中にはいって来た。風は僕だったし、鳥も僕だった。

     謙二の精神は自らの「遊び」によって「風」という昂揚した状態まで高められる。その精神は肉体を越えて自然と一体になり、一つのコスモスを形成する。「原型」とは時間的起源を指すのではなく、個々に別れてゆく以前の、連環のように繋がりあった状態、ギリシア神話におけるカオスの意味合いで用いられているのではないか。
     以上、長々とした説明になったが、作中の謙二という少年の「遊び」は無邪気な子供の遊びではなく、「神」や「原型」などと表した原初的な状態(カオス)へ向かおうとする小哲学者の一貫した精神的活動であったという考えを述べた。
     思い返してみると、福永自身も個別の肉体や言語という垣根を越えた、人間精神の「原型」もしくは普遍的な形を追い求めた者の一人である。例えば『1946・文学的考察』の『文学の交流』や『人間の発見』などで「原型」について福永が考察している様子が確認できる。これ以 上の検証は『退屈な少年』論の域から外れるので差し控える。しかし、福永には早い時期から「原型」というものへ意識を傾けていたことを念頭に置くと、この作品には検討の余地がまだ多分にあると思えてならない。



第139回例会内容

 【日時】 2013年3月31日(日) 13:00〜17:00 
 【場所】 川崎市平和館 第1会議室 参加者:11名(初参加者3名、内見学1名)
 【内容】 
 T.短篇『退屈な少年』の検討
  1.配布資料(『退屈な少年』関連主要文献一覧)の説明
  2.作品に対する意見など

  • ・作品発表当時、よく考えられた緻密な構成を持っているが、半面、ドラマとして深みに欠ける面があるといった評が多かった。たしかに福永の主要テーマである死、愛と孤独が盛り込まれてはいるが、掘り下げることはせず、うまくまとめているといった印象を受けた。数年前に上梓していた加田伶太郎名義のミステリーの筆致を思い起される作品。
  • ・馬場重行氏は、「文藝空間」第10号(1996年8月)の「福永武彦『退屈な少年』論」の中で、この作品を国語の「教材」として取り扱えるか、という問題提起をしておられる。私はこの大胆な視点に新鮮な印象を受け、福永作品の可能性を掘り下げられたことに敬意を表したいと思った。が、その一方、主人公の謙二が、父親が持っていた拳銃を盗み、しかも発砲して鳥を撃ったところは、はたして「教材」として相応しいかと思った。しかし、謙二が発砲したことに罪悪感を持っているので、この作品は、使いようによっては生徒の改心のための「教材」として取り扱えると思ったのである。いずれにしても馬場氏の論文は、刺激に富んだものであった。
  • ・「退屈な少年」の読後感は、「夜の時間」を想起するものでした。「夜の時間」の奥村次郎は、死を持って舜一と雪子に分断を齎す井口に通じ、ピストルによる自殺の賭けをする謙二を髣髴させます。章によって中心人物が異なるのは、好まれたスタイルですが、特に「忘却の河」との近親性を感じました。「退屈な少年」では男二人兄弟、一方の「忘却の河」では女二人姉妹であり、母の死後という設定と、病気からの死別といった、対称性はあると思います。ただ、だからこそ共通性を感じ、鏡の実像と虚像のような感覚を抱いたのかもしれません。はじめに謙二による懸けの定義があり、ピルトルの賭けという、いわば、落ちを用意する。物語の構成としては、しっかりとしたものになっていますが、やや唐突感はあり、それが「推理小説的な興味が勝っている」というような論評が提出される要因になっている気がします。謙二は論理的思考型の少年ですが、唐突に実家に戻ったり、寝言で母を呼ぶなど、幼さを残した面もあり、母を幼少時に失った自身の像と、実父と空白期間がある息子、さらに若くして亡くなった弟への想いが、重なっている気もしました。そういう意味では、息子の実年齢と小説に登場する少年の年齢が、リンクしているという過去の発表は、興味を引きました。
  • ・1960年5月号の「群像」に、中篇特集の一篇として発表された。執筆は、同年3月10日から18日まで(古書店より入手した創作メモより判明する。例会で複写を回覧)。114枚の作品であり、同年7月刊行の『廃市』に収録された。同書には扉に「福永武彦 短篇集」とある。収録6篇の内、しかし分量は全体の三分の一を占める。中篇か短篇か、その構成と相俟って議論の分かれるところだろう。5年前の『夜の時間』、直後に書かれた『夢の輪』(未完)、2年後の『忘却の河』との作品構成上、内容の類似点は見やすい。『夢みる少年の昼と夜』との類比も興味深い。初出から元版への本文異同がかなり少ないのは、雑誌発表から単行本刊行までの時間がほとんどなかったためだろうか。
  • ・一読してみると、物語の軽快な展開と巧妙な構成に心地の良い読後感を覚えるが、作者の他作品と比較し、先行文献に目を通すと物語に深みや奥行きと言ったものが感じられないことも事実。登場人物一人一人の過去や心情をもう少し掘り下げて書かれていれば、と一読者として思う。しかし本作品の執筆直後に『忘却の河』が執筆されたことを鑑みると、巧妙な構成の取られた群像劇『退屈な少年』は、後の長編小説での文体を獲得するための習作なのではないだろうか。文体及び構成の獲得を主眼として書かれた故に物語自体の奥行きや登場人物一人一人の機微が描かれていなかったのではないかと考える。
  3.初めて参加された方(見学)の感想
  •  岡田尊司「パーソナリティ障害」にて、シゾイドパーソナリティの章で「草の花」の登場人物が取り上げられていた。何となく気になり、読んでみた。これが、福永作品との出会い。この話を創作と考えると、何か納得いかなかった。福永がどんな人であったか、この時点では全く知らなかった為、余計気になったのかもしれない。知りたくなり、いくつかの作品と日記を読んだ。「草の花」は、私小説と思っていいのかもしれないと思った。作者の背景を知る事で、作品をより深く味わえるのではないか? 研究会の存在を知り、他の人が福永をどうとらえているのか興味があり、見学で例会に参加した。自分とは違う視点には、新しい発見があり、興味深かった。
  U.会誌9号の発行について
    大略以下に決定した。
   ・発行日:2013年5月中目標 ・版型:B5判・2段組 ・装幀: 友川カズキ
   ・内容
   【論文】
    ・ 「鬼」論/西田一豊
    ・ 「冥府」論/渡邊啓史
    ・ 『海市』と『アンナ・カレーニナ』―「十九世紀小説」の枠組に構築された「二十世紀小説」/木澤隆雄
   【エッセイ・随筆】
    ・「軽井沢・追分文学散歩」報告(画像入)/ 木下幸太、白石純太郎
   【新出資料紹介】
    ・ 未発表新出資料「ジイドに就いての手紙」(1945年 400字×11枚)本文翻刻。画像掲載。
   【本文研究・校異その1『死の島』】
    ・『死の島』「文芸」初出→元版(河出書房新社版)、主要異同一覧/三坂 剛
   【例会活動履歴】 第121回(2010.1)〜第139回(2013.3)、執筆者自己紹介、編集後記
  •  会誌9号も、いよいよ編集段階に入った。様々な事情で遅延していたが、今号は、いままで以上に読み応えのある、当研究会の実力の一旦が伺える内容になっていると自負する。亦、昨年より新規参加者を加えて(大学生数人含)、例会も、より活発に密度の濃いものになりつつある現状に鑑み、新年度から新体制を確立した上で、企画を幾つか具体的に立てて実現に漕ぎ出したい。


第138回例会内容
   
 【日時】 2013年1月27日(日) 13時〜16時30分 
 【場所】 川崎市平和館第1会議室  参加者:7名
 【内容】 
 T.短篇『河』の検討
  1.配布資料(『河』関連主要文献一覧)の説明
  2.作品に対する意見など
  1. ・ひとつひとつの言葉・文章が美しい。福永はやはり詩人である。孤独という言葉にとても敏感な作家だ。
  2. ・ここに描かれた厳しい父性は日本的でない。根底にキリスト教的な考え方が流れているのではないか。福永自身、フィクションであると書いているが、誇張されているにしても現実の父子関係を反映している部分があると思われる。
  3. ・個人的に好きな作品。福永作品に特徴的な河や夕暮れのイメージが全面に出ている。過去に生きている「父」、未来を信じようとする「僕」の時間感覚の描写が福永独特である。
  4. ・水のイメージは母を象徴しているのではないか。河の描写は、福永が少年時代を過ごした雑司ヶ谷付近を流れる旧神田川を元にしているのではないか。
  5. ・当時有名だった雑誌「人間」に発表当時、評判が悪かったのは、戦後派的とみなされながら、旧来の父と子をテーマにしたことで中途半端とみなされたのではないか。父子の葛藤の描写は『風土』第二部にもあり、河、夕焼けのイメージとともに、福永にとって書きやすいモチーフだったのだろう。当時福永には妻(澄)と子(夏樹)があり、本作の父と子が反転し、福永(父)の夏樹(子)へのメッセージとしての遺書であるとも読み取れる。
  6. ・当時の福永が置かれていた状況が盛り込まれているようだ。
  7. ・内容は暗いが、未来に旅立とうとする僕の視点で考えると肯定的な作品である。遺書のつもりというより、療養所入所直前の福永の決意の書であるといえると思う。ここでの夕焼けのイメージは肯定的であり、『世界の終り』や『海市』の否定的なイメージとは異なる。河のイメージもそうであるが、福永に特徴的なモチーフの持つ意味は、彼自身が述べているように決して固定的でない。

 U.新刊『福永武彦新生日記』についての意見・感想など
  1. ・収録された二つの時期の日記の静と動のコントラストがあざやか。とくに回復に向かう時期の福永の行動力、精神力が印象的。
  2. 外気舎に移ってからは頻繁に外出したり行動の自由度が大きいことに驚いた。
  3. ・人間関係にマメである。とりわけ女性関係が華やかで興味深かった。澄との離婚前後の関係、貞子、谷静子との恋愛模様、「草の花」の千枝子のモデルの女性のエピソードなど。
  4. ・クラシック音楽に関する記述が多い印象。NHKラジオのクラシック音楽番組のシナリオを療養中に執筆していることなど。
  5. ・ギリシア語の新約聖書を読んでいるが、自身は無神論的実存主義と書いているのが興味深い。
  6. ・常に、死と紙一重のところにいた人であった。
  7. ・この日記はサナトリウムの文化史料としても貴重なものだろう。
  8. ・『草の花』のエピソードが読み取れる。原爆の話を人に聞いていたり、『死の島』との関連でも興味深い。
  9. ・当時の福永の文学活動が垣間見える。『風土』の第二部を除く原稿を新潮社に渡す記述など。

 V.会誌発行について
   ・今後の作業日程などについて打ち合わせた。

 W.その他の話題
   ・研究会の体制整備について
   ・12月に出版された『福永武彦を語る 2009-2012』、『死の島からの旅―福永武彦と神話・芸術・文学』についての読後感想
   ・2月・3月に出版予定の『死の島(上・下)』(講談社文芸文庫)の出版について





第137回例会内容

 【日時】 2012年11月25日(日) 13:00〜17:00 
 【場所】 川崎市綜合福祉センター(エポック中原)7階 第二会議室  参加者:11名(初参加者2名)
 【内容】 
 T.『幼年』の検討(第2回)。
  1. ・Maさん発表: 『幼年』の環境、雑司ヶ谷界隈について
     福永が東京における幼年時代をおもに過ごした小石川区雑司ヶ谷界隈は、現在は豊島区と文京区にまたがっているが、行政区画の大きな変更以外にも町名や住居表示の様々な変遷を経て、地形上もわかりにくい地域である。相互に似通った町名も多々存在した。
     今回は、『幼年』で語られる「雑司ヶ谷界隈」で、事実上の暮らした場所を明らかにしたいと思った。日本少年寮、日本女子大の横手の家、雑司ヶ谷墓地の傍らの家である。当時の地図を探し、現代の地図の上に住所を同定するのは,一筋縄では行かなかったが、なんとか捜し当てたのは嬉しい。気候の良い頃に今度は歩きたいと思っている。
  2. ・Kiz氏発表: 『幼年』に関連する資料の紹介
    @ 全集月報に3回にわたって掲載された、「『幼年』の背景― 「寮」「Yさん」「Kさん」をめぐって―」の内容紹介。筆者で、作中のKさんの甥に当る天沢退二郎氏によると、小学生だった武彦の世話をしたYさんは、『幼年』の記述に虚構やずれは感じられないと語っていたとのことである。 
  3. A 武彦の母方の従兄弟で、21歳年下の秋吉輝雄氏の2度の講演会(1996年、2010年)資料より、福永家の家系図を中心に、彼の母方の家族関係について述べた。注目すべきは、輝雄氏が、『幼年』に出てくる2葉の写真は、自分の家にあったアルバムから武彦に進呈したものだと語っていることで、作品中では武彦が高校生になった頃に、父が取り出して見せてくれたことになっていて、輝雄氏の言とは異なっている。
  4. ・A氏所蔵資料紹介: 『幼年』の初期自筆草稿複写「薄明の漂ひ」(200字×9枚完)、「思ひ出の河」(200字×11枚完)と各々の翻刻文(400字×5枚、6枚)を配布、鑑賞。執筆時期は、1960年冬、或いは61年冬と推定される。
  5. ・Mi氏所蔵資料紹介: 福永自筆手帖「小説メモ 1948」より、『幼年』関連の構想メモの複写と翻刻文(A4 1枚 P51)を配布し、解説。
     最後の場面、上京の後「分教場」・「銀座」・「星」・「鎌倉」などと小題の付いた「第二部」が構想されていたことが確認できる。
  6. ・Mi氏より『幼年』初出(「群像」64.9)⇔プレス・ビブリオマーヌ元版(67.2)の「本文異同表(漢字・よみがな含)」(A3 1枚+A4 1枚)を配布し、簡単に解説。予想に反して、改行箇所の手入れは2箇所と少ない。
  U.「軽井沢・追分文学散歩報告」(S氏/Kin氏)
  • 1日目(S氏報告)
     10月20日から21日にかけて、当研究会で行った「軽井沢・追分文学散歩」(参加者:7名)の行程と、その体験の共有を目的に、20日の分の発表を行った。写真を添付したレジェメを研究会メンバーに配布し、それをもとに旅の思い出を語り、訪れた場所についての説明を行った。主に20日分は堀辰雄や中村真一郎にゆかりのある場所を訪れたので、それに関するものが主だった。
     
  • 2日目(Kin氏報告)
     10月21日、軽井沢文学散歩2日目の様子を写真と共に振り返り、報告した。朝から玩草亭をスタートとし泉洞寺、分去れの碑、立原道造レリーフ、堀辰雄文学記念館、追分コロニー、軽井沢高原文庫、及び堀辰雄山荘、有島武郎別荘、六辻草舎、雲場池、旧軽井沢銀座通りを訪れた夕方までの一日の行動を報告者の立場から記述することで、旅の思い出を改めて記憶し直すことが出来た。また、振り返ることによって、旅を通して見えた個人的な軽井沢という地域の印象も今回報告させて頂き、自分自身の文学散歩の思い出がより鮮やかなものとなった。
  V.「福永武彦研究 第9号」の発行時期(2013年2月中旬)、版型(B5)、装幀を確認した後、内容検討。
  • @ Ni氏より、論文要旨発表: 短篇「鬼」論
  • A Kiz氏より、論文要旨発表: 「福永武彦とトルストイ」(『海市』を中心として)」
  • B Tさん論文「要旨」紹介: 短篇「海からの聲」論
  • C Mi氏より『死の島』、「文芸」初出→河出書房新社元版の本文異同表より、第1回〜第8回分を配布し、簡単に解説。本文の手入れ箇所にこそ、作者の意図が顕れている。読解を左右する跡もまた多い。この異同表より何が見えてくるのか。会誌掲載は、全56回を予定。
  • D Mi氏より新出資料「ジイドに就いての手紙」紹介。
     昨年刊行された『福永武彦戦後日記』1945年12月18日に記述されている未発表の新出原稿(400字×11枚)の紹介。本文の全翻刻と簡単な註解を掲載予定。可能ならば、写真版も掲載したい。




第136回例会内容

  台風17号の関東地方接近の中、開催されました。
  • @A氏より提供資料: 『幼年』より「初めに闇」の初期自筆草稿複写(200字×9枚完)と翻刻文(400字×5枚)を配布し、朗読。完成稿に比して、よりエッセイ風な文章。執筆時期は、1960年冬、或いは61年冬と推定される。

  • AMi氏より提供資料: 福永自筆手帖「小説メモ 1948」より、『幼年』関連の構想メモの複写と翻刻文(A4 2枚 P30/P50)を配布し、解説。「純粋記憶(他人から記憶を助けられなかつたpauvre memoといふことの有利さ)*記憶の出発としての匂(Proust)その必然性についての考察、丁字、vanilla」(P50より)1948年段階で、既に具体的に構想が立てられていたことが明らかになる。

  • BMi氏より提供資料: 『幼年』新版(講談社1969年刊)の献呈署名本4冊(中村真一郎宛、鳴海弘宛識語入、串田孫一宛、森秀男宛 全て細いペン)の献呈の入った扉部分複写を配布、鑑賞。鳴海弘は、文中「声の綺麗な級長のN君」として登場する。また、元版(プレスビブリオマーヌ 1967刊)の限定A版本、青柳小学校6年時の学級集合写真を回覧する。福永、鳴海の顔が見える。
  • U『幼年』討論。
    @Kiz氏より「幼年」参考資料一覧が配布され(A4 11枚)、1.福永自身による言及・福永作品からの引用など 2.単行本 3.文芸関連雑誌 4.新聞、文庫/全集解説他 5.大学研究紀要、その他研究録 に区分した各文の「要旨」を朗読、簡単に解説。

  • AMaさんより「鬼子母神前駅周辺」の地図の複写が配布され(『江戸東京散歩』人文社 2002より A4 1枚)、頻出する地名を確認する。

  • BMi氏より「幼年」新版・全小説版の「本文異同表(漢字・よみがな含)」(A3 1枚)が配布され、簡単に解説。50数箇所の手入れあり。全小説以前の、講談社文庫版(1972.10)での手入れ跡も確認。

  • C全体討論。上記T、Uの資料を適宜参照しつつ、内容を討論。発言の概略は以下の通り。
    ・Kiz氏:今回、参考資料一覧を作成するに当り、「幼年」について福永自身が述べていること、文学者・研究者の論考などを概観し、あらためてこの作品の福永文学における重要性を認識した。福永の「暗黒意識」は、「死」の「闇」だけでなく不在の「母」にもつながる「闇」であり、福永にとって、「暗黒意識」とは必ずしも否定的なイメージだけではなかったという論に納得できた。

  • ・Kin氏:『幼年』は作者の幼年時代のエピソードを編年体形式で構成したものではなく、あたかも意識上に次々と表出した思い出のような構成を成している。この構成には時系列に整理される以前の、福永自身の記憶にある幼年時代の朧気さが感じられる。その朧気さを今回の例会で再認識し、同時にお話に挙がった「純粋記憶」「暗黒意識」「妣の国」といったキーワードと共に記憶に対して福永が持っていた視点を学ぶ手がかりが得られた。

  • ・Maさん:私は『幼年』について、個々の記憶の断片は作者自身の記憶に違いないとしても、後記で作者も記すとおり「全体としては小説」なのだろうと思ってきた。だが、現在の「私」ともう一人の私である幼年期の「子供」が頻繁に入れ替わり、夢に誘うようなこの作品を、「小説」としてどう自分の中に位置づけたらよいのか、捉えどころがなかった。そこで今回読み直すにあたっては、作品の構造をはっきりさせようと考えた。具体的には、タイトルにナンバーを振り、主語が「私」の節、主語が「子供」(彼)の節を分け、行数も数え、形式を掴むことにした。予想以上に、整った構成を持つこと、文体の工夫が見えてきた。『幼年』の検討はこの先も続きそうなので、次回まで行きつ戻りつ,考えを廻らせてみたい。

  • ・Mi氏:初出、元版、新版、全小説版の本文照合をして気付いた点。各版とも、ほぼ50箇所〜80箇所の手入れがある。これは、特異な構成を持つこの作品としては少ない。特に「改行」において推敲跡が多数あるかと推測していたが、全版通して数箇所のみ。つまり、この作品を成すにあたって充分の下準備と推敲がなされ、その上で書き上げられた作品であることが確認できる。資料の「初めに闇」の如き「初期草稿」が多数存在することも、それを裏付けるだろう。中で、初出→元版においては「読点」の追加や削除が6箇所あり、新版→全小説版において「応じる」→「應じる」、「払う」→「拂う」など、正字に戻している点が注目される(この点は、照合した限り他の小説作品でも同様)。

    * 上記「全体討論」は、各々、発言者の執筆。
    * 台風17号が近づいていたため風雨烈しくなり、17時にて散会。食事・談笑の場は持たず。
    * 今年度中(来年2月中旬)に「会誌 9号」を発行することを再確認する。

    次回例会は、11月25日(日)、川崎市総合福祉センター(エポック中原)第2会議室にて13時より。『幼年』を継続して採り上げる。




第135回例会内容

  • 【日時】 2012年7月22日(日) 13:00〜17:00 
    【場所】 川崎市平和館第一会議室 参加者:10名
  • 1.『夜の三部作』より「深淵」の検討
  • @Ki氏より「深淵」参考資料一覧が配布され(A4 5枚)、1.福永自身による言及 2.単行本 3.文芸関連雑誌 4.新聞、文庫/全集解説他 5.大学研究紀要、その他研究録 に区分した各文の「要旨」を朗読、簡単に解説。
  • ANi氏より「深淵」同時代評が配布され(A4 1枚)、討論の資料とする。
    BMi氏より「「深淵」初出⇔元版⇔新版(『夜の三部作』所収)⇔全小説版 本文主要異同表」+「主たる漢字・かな異同表」(併せてA3 1枚)を配布し、簡単に解説。漢字・かなの異同が多い点に注目。
    CKu氏より「福永武彦は終生キリスト者だったか」と題したプリント(A4 1枚)が配布され、討論の資料とする。
    D「深淵」の全体討論。上記@〜Cの資料を適宜参照しつつ。以下はその概要。
  • ・文末に掲載された「新聞記事」(雑誌初出にはなし。福永の創作であると意見が一致)の小説に与える意味はどこにあるか。男(過去→現在)・女(現在→過去)の主観的独白の並列に対する「客観」の提示として。推理小説的興味の喚起として。
    ・男と女の主観的記述のシンクロ(共鳴)に注目。
    ・男にとっての「火」の持つ意味は。
    ・読めば読むほど腹が立った。なんでこの女はいつもこんなに考えているのだ。
    ・「私の負けです」という女の独白に、芥川(「神々の微笑」)・遠藤周作(『沈黙』)との関連を見る。
    ・福永はキリスト者としてこの作品を書いているわけではないとして、そもそも何でこの題材を採りあげたか。

  • 2.Mi氏より詩集『ある青春』原稿発見の新聞記事の複写を配布(A4 1枚)、解説。「北海道新聞」6月28日に掲載されたもの。この資料は、札幌市在住の会員、A氏より送られた。
  • 3.Mi氏より「小説メモ 1948」と標記のある福永自筆手帖より、P.68(福永自ら頁付をしている)の翻刻+複写を配布し朗読・解説。これは「福永武彦戦後日記 1949年」(「新潮」8月号掲載)中、小説の方法の「五原則」(2月10日)の詳細が記されたメモであり、註釈として不可欠の内容である。
  • 4.A氏より「十二色のクレヨン」7)〜12)(最終回)の雑誌連載時の複写と「違反建築の話(つづき)」自筆草稿の冒頭部分の複写(400字詰×4枚)が配布。
  • 5.今年度中に「会誌 9号」を発行することを再確認する。10月末日、原稿締切り。
  • 会終了後、いつものように武蔵小杉駅傍らの居酒屋で飲み食い、談笑。




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