福永武彦研究会・特別行事の記録



<1999年特別企画 加藤周一講演会&玩艸亭訪問&自在舎訪問記>
  夏の特別企画として、軽井沢高原文庫の日に加藤周一氏の講演会を聞きに行きました。
  また翌日は玩艸亭訪問見学、自在舎での図書整理を行いました。

日程 イベント内容 場所
8月7日(土) 軽井沢高原文庫の日
中村真一郎展
加藤周一氏講演会「中村真一郎の人と文学」
軽井沢高原文庫
8月8日(日) 玩艸亭見学
自在舎での図書整理
玩艸亭
自在舎(小淵沢)
8月9日(月) 引き続き自在舎での図書整理 自在舎

1.中村真一郎展&加藤周一氏講演会
 講演会の要約は以下の通りです。福永武彦研究会の三坂 剛氏の文章です。

「中村真一郎とフランス文学」講演要旨:
 中村真一郎は、自分(加藤)にとって、文学の先生であった。その中村を中村たらしめたものは何か。
 まず、帝大仏文科の辰野隆・鈴木信太郎・渡辺一夫・中島健蔵等の恩師から多くを学び、さらに吉満義彦・中村光夫・吉田健一・加藤道夫・芥川比呂志など学校内外の魅力的な人々と親しくつき合いのあったこと。そして、文学者としては、年少より高見順と堀辰雄という文壇の先輩の身近に居て、大きな影響を受けたこと。また一高時代からの「国文学研究会」の仲間、大野晋や小山弘志との交友も重要だろう。
 その中村真一郎は、稀にみるしっかりとした「文学の歴史的見取り図」を、頭の中に持っていた。それは英米文学・ロシア文学・ラテン系の文学など古今東西の文学を、主にフランス文学を通して読み、理解していたことと関係するだろう。
 中村真一郎は、ネルヴァール(夢と現実の交錯)とプルースト(内面の発見)の大きな影響を受けつつ、一方で源氏物語をはじめとした王朝物語を通して、日本の愛と美の伝統を取り入れ、そしてまた江戸の漢詩文からその「型」を学ぶとともに、江戸の文人達の人間関係に、フランスで発達したサロンにも似た「知識人・芸術家の共同体」の理想を見ようとした。(『頼山陽とその時代』『蠣崎波響の生涯』)孤独な人であった中村は、そこから脱出するために、一種の芸術家のサロンを夢想したのであろう。

(感想)
時折激しく降る雨のなか、中村真一郎の文学の生成に関わって、極めて創見に富む講演であった。200名以上の参加者は、各々の思いを抱きつつ熱心に耳を傾けていた。「(芸術家のサロンを中村は考えたが、)実際に人が死ぬときは一人で死ぬ」という終わりの言葉が印象深い。

2.玩艸亭見学
 翌日、玩艸亭に行きました。
 ここは福永の別荘として使われていたところですが、現在は福永貞子夫人の弟さんである岩松さんが管理しています。
 岩松さんにお願いして中を見学させていただきました。
 数年前に改装工事をしたとのことで、中はとても綺麗で人が住めるようになっています。
 福永が使ったと思われるおびただしい図書類、聖書などがたくさん置いてあり、また植物に関する図鑑も多かったです。2階にあげてもらって福永が仕事場にしていたと言われる6畳ほどの部屋も見せていただきました。

3.自在舎での図書整理
 翌日は小淵沢にある自在舎に移動。ここで小久保実氏(文芸評論家・帝塚山学院大学教授)が寄贈した8万冊に及ぶ近代文学主体の蔵書、資料を前にして圧倒されました。ちょっとした図書館です。
 しかしせっかくの図書も運搬の時にばらばらになってしまい、特に雑誌類があちこちに分散してしまい整理が進んでいません。
そこで今回見学がてらに雑誌の整理に着手しました。文学研究上貴重な雑誌も数多くあると思われ、整理がつけば貴重な資料となることは間違いがないようです。

 小久保文庫外見
 <本棚には書籍や雑誌がぎっしり詰まっている>

 自在舎のサロン(兼食堂)にはピアノが置いてあります。当日訪れた福永研究会のメンバーの中にピアノを弾ける方がいらっしゃったのでいろいろな曲を弾いていただきました。もちろん福永にちなんでショパンも!そしてその夜は満天の星空で天の川がはっきりと見えました。私は流れ星を3つ見ましたが、とても早く消えてしまって願い事は無理ですね。ピアノのライブを聴きながら星空を眺めるという最高の贅沢を味わえた1日でした。


<堀辰雄記念館講演会 「福永武彦と堀辰雄」>
日時:1999年10月17日(日)午後1時30分
場所:信濃追分堀辰雄記念館ホール
演者:堀多恵子先生

参加感想レポート(福永武彦研究会 鈴木和子氏)
 浅間が青空に冴えわたる追分、堀記念館のホールに、150人ほどの聴衆が集まったかと思います。
 堀多恵子さんと福永武彦は、実に40年に亘る交際でした。『新潮日本文学アルバム』の年譜を紹介しながら、それぞれの時代の福永のエピソードをご披露くださいました。そのどれもが興味深く、時には爆笑、時にはしんみりとした多恵子夫人の語り口に、一時間があっと言う間でした。
 蛇足 冒頭、「今日は福永武彦研究会の方々もいらっしゃっているとお聞きしていますが、私は福永武彦の“文学”に関しては何も申し上げられないと思いますのでごめんなさい」旨のことをおっしゃいました。私たちとしては思わぬことでした。事前に岩松氏(福永貞子さんの実弟)が多恵子さんにお知らせ下さっていたのですが、大勢の前で研究会をこのような形でご紹介くださり、私たちの活動を期待して下さってのお言葉と、身が引き締まる思いでした。


<福永武彦の墓を訪ねる>
日時:1999年12月5日(日)
場所:池袋雑司ヶ谷墓地

<福永家の墓>
撮影:田中鉄也氏











お墓参りの様子レポート
 雑司ヶ谷墓地は池袋から歩いて十分ほど、冬枯れの墓地はさぞ寒々しいのではと思いきや、生活道路のように自転車で駆け抜ける人、子供を遊ばせる人、犬の散歩をする人・・幼い福永武彦が「私のホームグラウンド」と呼んだ墓地には死者と共に“生活する”人々の匂いが感じられました。
 1-12号12側。福永家の墓は少し奥まったところにあるこぢんまりした造りで、岩松氏のおっしゃるところの「一家水入らず」にはいささか雑音が入っているようなのが、たくさんの献花から察せられました。(福永武彦研究会 鈴木和子氏)

 自分の愛する作家のお墓に詣でたいというのは、その作家に直に会うことの出来なくなった者にとってのせめてもの願いであると思います。福永武彦とその両親、祖父のお墓がようやくこの9月に建てられました。福永さんのお墓はJR池袋駅から徒歩10分足らず、雑司が谷の墓地にあります。まだ今年の9月に建てられたばかりで、管理事務所で配布しているマップの著名人一覧の中にももちろん載ってはいません。 今日、遠くで鴉の聞こえる雑司が谷の墓地を、落ち葉を踏みしめながら歩いていると、福永が子供時代を過ごした雑司が谷に帰ってきたのと同様に、この15年福永武彦の作品に接してきた僕自身の気持ちも、何だかやっとのことで安住の地を得たような、ほっとするような、安らかな気持ちになれました。もし、皆さんも『幼年』の「墓地の眺め」なんていう一節を読んで、福永が少年時代を過ごした雑司が谷を訪ねてみたいと思ったら、ぜひこの雑司が谷墓地の「1種12号12側」という一画に寄ってみてください。そこに、福永さんがご両親と祖父と4人で静かに眠っていますので。(福永武彦研究会 田中鉄也氏)


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