当サイトは1995年に設立された福永武彦研究会の公式ホームページです。
福永作品を愛する方、福永武彦について深く知りたい方は、どなたでも入会できます。


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◇池澤夏樹氏に当研究会の顧問に就任していただくことになりました(2017.8.12)New
 
cafe impala 池澤夏樹氏の公式サイト
  
◇新年度特別企画の第1回として池澤夏樹氏講演会「福永武彦 人と文学」が、6月11日(日)に神田神保町東京堂ホールにて開催されました。予約で満席となる盛況でした。日本経済新聞(4月29日朝刊)文化欄に福永武彦が大きく取り上げられ、池澤夏樹氏、当会会長のコメント記事とともに講演会についても紹介されました。

 
福永武彦「廃市」が復刊されました!
New

 小学館(P+D BOOKS)より。    
   
第166回例会開催案内 New!
     
第165回例会報告 New!
     
福永武彦研究会 平成29年度会員募集中
 今年度新規会員(今年5月より来年5月まで)を募集しています。
 「会誌」最新号を発行時に1冊配付、また、会員特典として、ご希望の既刊の会誌を、3冊まで無償で配付させていただきます。年会費は5000円(学生・院生は3000円)です。
 例会見学、入会ご希望の方は、お気軽にご連絡ください➡
 
 
福永武彦「夢見る少年の昼と夜」が復刊されました! 
 小学館(P+D BOOKS)より。
 
書影付き著作データ・評論に「ゴーギャンの世界」を追加しました。
  
研究会の会誌「福永武彦研究 第12号」が発行されました。
 【特別例会講演記録】近桂一郎氏「日本少年寮と福永武彦」
 【作品論】 『退屈な少年』 他
    
研究会20代メンバーが核となって企画された同人誌「Nocturne No.2」が発刊されました。
 【特集】『海市』 

   
福永武彦「夜の三部作」が復刊されました!
    
・小学館(P+D BOOKS)より。池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
             
福永武彦「風土」が復刊されました! 
・小学館(P+D BOOKS)より。池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
   
福永武彦「海市」が復刊されました!
・小学館(P+D BOOKS)より。池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。池澤夏樹氏による解説文が掲載されています。
          
福永武彦関連 新刊2点(2015/3/26)
 ・堀辰雄/福永武彦/中村真一郎(池澤夏樹編集 日本文学全集17)
 ・「草の花」の成立―福永武彦の履歴/田口 耕平
    






    
研究会の会誌「福永武彦研究 第12号」が発行されました。New!
   
 会誌購入を希望の方は、「研究会 会誌」のページをご覧下さい。
    
(内容)
 【例会講演記録】近桂一郎氏「日本少年寮と福永武彦」(2016年3月27日)
 【作品論】『退屈な少年』
 【随筆】
  ・福永武彦についての二つの思い出(附・福永武彦書簡資料)
  ・関連資料(附・福永武彦葉書資料)
 【随筆集索引】『夢のように』 その他

  
  *画像クリックで表・裏表紙の拡大画像にリンクします。

  
  



   


研究会20代メンバーが核となって企画された同人誌「Nocturne No.2」が発刊されましたNew!
   
 購入を希望の方は、「研究会 会誌」のページをご覧下さい。  
    
(内容)

 【特集】『海市』 
  ・海に沈む岩礁群-『海市』から想う- /雨でずぶ濡れ
  ・『海市』に見る福永武彦の主人公造形-『海市』覚書/Cahier
  ・批評・『海市』を探検する /クスボリ・しゅーげ
  ・『海市』あらすじ表
  ・『海市』あらすじ表について

    
 *画像クリックで表・裏表紙の拡大画像にリンクします。

  
  
   
   
   
第166回例会 開催案内 New!
  • 日時:2017年9月24日(日)13時~17時
    場所:川崎市平和館 第2会議室
    内容:
  • 1.全体討論 周辺の作家たち―其の4― 萩原朔太郎『氷島』
    *9月例会では『夏』(中村真一郎)、『夏の朝の成層圏』(池澤夏樹)、
    『門』(夏目漱石)など福永以外の作品を採り上げていますので、今年は朔太郎作品を採り上げます。
    2.8月特別企画のご報告(櫻井群晃さんのお話し概要)。
    3.その他

 どなたでも参加できます。 参加・聴講費:1000円(会員、学生は500円)
 お問い合わせ先: 福永武彦研究会  
          三坂 剛  メール misaka@siren.ocn.ne.jp
                Fax  044-945-0666
 
 

◇当サイトより会誌の購入ができるようになりました。
   現在庫のある第1号~3号、6号~10号の会誌を購入希望の方は、「研究会 会誌」のページ
   ご覧下さい。神田の八木書店、軽井沢高原文庫でも会誌を購入できます。
          
    
◇福永武彦「海市」「風土」「夜の三部作」が復刊されました。(2016/6/13)
 ・小学館(P+D BOOKS)より。池澤夏樹氏が解説を特別寄稿。

    
◇福永武彦関連 新刊2点(2015/3/26)
 ・堀辰雄/福永武彦/中村真一郎(池澤夏樹編集 日本文学全集17)
   福永武彦:「深淵」「世界の終り」「廃市」
   堀辰雄:「かげろうの日記」「ほととぎす」
   中村真一郎:「雲のゆき来」を収録

              
 ・「草の花」の成立―福永武彦の履歴/田口 耕平



   
 書影付き著作データに以下の資料を追加しました。
   
◇評論:掲載ページ
  書影クリックで拡大画像にリンクします。

 
   

「ゴーギャンの世界」元版

 1961/7/5 新潮社 700円

二光印刷・A5判・丸背厚紙装,背クロス・函・帯
324頁(他に圖版30頁,「年表」と「文獻目録」で43頁)
*近親者だけに配付した30部限定の「別刷後記」(3頁)あり(全集第19巻に附録として収録)

   (前川康男宛 福永自筆の献呈・後書き)
 
献呈先の前川康男は、福永が『ゴーギャンの世界』を執筆している際の担当編集者の1人。もともと児童作家志望で、新潮社を退社して後、多くの著作がある。

  
◇雑誌: 掲載ページ
  書影クリックで拡大画像にリンクします。

  「高原文庫」№2 「四季」第66号
 
   発行所:軽井沢高原文庫
 編集人:池内輝雄 発行人: 藤巻勲夫
 1987/7/1 500円

*座談会 福永武彦・文学の形成と発展―その深淵を探る試み 辻邦生・豊崎光一・曽根博義・鈴木貞美・池内輝雄 他。
 発行所: 四季社 編集兼発行者:日下部雄一
 1942/6/27 40銭
 
*マラルメ「エロディアド」の翻訳を巻頭に掲載(4頁~19頁)。他に、中村眞一郎の小品「窓」、小山正孝の詩「路上」など。画像3点は、(復刻でなく)オリジナル雑誌の表紙、目次、裏表紙。




     
◇第165回例会 New!
 日時:2017年7月23日(日) 13時~17時
 場所:川崎市平和館第2会議室
 参加:8名
  
【例会内容】 
 ① 池澤夏樹氏講演会/七夕古書大入札会のご報告。
 ② 北海道立文学館蔵、福永武彦資料発見の経緯、各個人を含めた当会の関わりを説明。
 ③『福永武彦詩集』/『櫟の木に寄せて』の小発表+討論。

【例会での発言要旨・感想】順不同(敬称略)

 ○Maさん:「櫟の木に寄せて」によせて
  •  八十五行の詩だが福永の詩としては長い。大きなスケールを持っていると思う。
     しかし、よくわからない部分がある。そこでこの一篇の詩に書かれた「ことば」をできるだけ正確に読みとり、また、作者がこの詩によって何を伝えようとしたのか、実感として受けとめたい。その上で出来れば福永詩全体の中でのこの詩の位置を考えたい、と考えた。てはじめに、
    (1)櫟の木について、その落葉と芽吹きについて、ネット上の画像を参照、樹形また四季折々の姿、樹木としての性質をしらべた。
    出典に拘らず作品理解の裏付けとなる情報のみ述べれば、
     櫟は、ブナ科コナラ属。
     落葉広葉樹、として進化してまもない櫟は落葉する際の離層という部分が未発達のため枯葉を着けっ放しの場合(個体)がある。とのことである。また、
     櫟は芽吹きとほぼ同時に花を咲かせる。花弁のない花穂を垂らせるだけなのだが、赤褐色に色づくその彩りは美しい。雌花は新葉の脇にほんの小さく着く。都会の公園でもソメイヨシノの花が散った四月中旬頃。という。

     枯葉の着いたままの櫟の木はいってみれば見苦しいので、それだけに芽吹きの力強さが鮮やかなのだろう。雑木林を形成する他の植物たちも調べたりしてなかなか楽しい。詩全体に難しい言葉はない使われ方つぎに

    (2)詩全体の構成を考えた。
     1行から42行、全体の半分は櫟の木の紹介である。身近な生活空間にあってどんぐりの木として親しまれた櫟の木の枯葉をまとった晩秋から新緑、生きものが樹液を吸いに集まり子供たちが集う四季折々、そしてまためぐり来る冬が語られる。

     43行から64行で前半の描写が過去の記憶であり、病床にある詩人が眠れない冬の夜の眩暈の中に見た、宇宙空間の中の交信が語られる。一本の木と化した「私」「私たち」あるいは隠された「私」たちの視線も感じられる重層的で難解な箇所である。「門出を祝う小旗」とは何か。3箇所に出てくる「小旗」は多重の意味を含むと思われる。

     64行から74行 枯葉の合唱と願いである。「この冬もまたすべての命のははなるもの」「それを證するため我々の小旗を打ち振ってゐる」病床の詩人は啓示のようにその声を聞く。

     75行は「そして私は眩暈から醒め」と14字目から書き起こされる。啓示を右上に、目覚めの実感を視覚的に表現したものか。マラルメ、エロディアドの舞台を思わせる。
    最終章は「私」もまた永遠の夜の中に立つ一本の木である事を自覚し、櫟の木に感謝を叫ぶのである。
     最終連は存在するものの生命と死についての悟りに近い受容の境地がうかがわれる。そして「門出を祝う小旗」がここで再度出てくるがここでの小旗はやがて迎えるであろう終末であると同時にめぐりくる春の芽吹きを予感させる明るみがある。
     私には福永武彦の公刊された最後の詩であるこの一篇は彼が到達した境地、生命の消滅を予感しつつも受け繋がれて行く希望、受け継いでゆくものたちへの励ましと遺言ではないかと思われた。
            
    付記:「櫟の木に寄せて」は気になる木(詩)の一つでした。今回の再読でわずかながら理解が進んだような気がしたものの、更なる奥行きも感じました。メタファのことリルケとの関係?とか更なる宿題です。関心のある方のお話し伺いたいものです。
 ○Kuさん:「今はない海の歌」
  •  本論は、河田忠さんの論に沿うかたちで考えて、最後に筆者の見方を出したい。河田の『福永武彦ノート』第一部の5「心象と形象」について見てみる。
     河田は、その「海を主題とした詩篇」のなかでこの詩に触れ「マラルメを意識して書かれた」という。また、河田はマラルメの「海の微風」と福永の「今はない海の歌」の類似を指摘している。
     次は、福永の「今はない海の歌」である。
      今はない海の歌     肉体は悲しい ああ……(マラルメ)
      わたくしらは遠い昔からこの生を生きてきた
      そよ風ににほふ時間は音もなく過ぎて
      花片の散る丘に海は人を待つていた
      この丘に振りちぎつたハンカチィフの色のみは白くて
      知らぬ国へと船出をした希望の船はもう帰るまい
      わたくしらは大海の孤独の中を生きてきた
      神々の日を染める虹の矢はあつても
      心はいつも潮のやうに にがく 青く 澄んでいた
      そして海の深みにわたくしらの愛が沈んだ日から
      いのちの旗は二度と風にひるがえることはあるまい
      わたくしらはをさないままに生きてきた
      さびしがりやの心の破片のひとつにも
      夕べの潮にひびきあふ魂の声があつた
      それでも散らばった心の上に はるばるとした海の上にも
      真冬の雪はしつかに降りつもつて
      このきよらかな風景は記憶のほかにもうあるまい

     次にマラルメを引用する。
     海の微風
      肉体は悲しい、ああ既に読み終つた、すべての書物は
      逃れよう彼方へ!私は感じる、大空と未知の水疱
      湧く央に、海鳥は酔いしれているのを。
      何ものも、わだつみの底深くひたされたこの心を
      とどめるものはない、瞳に映る古いえんも、ああ
      いくたびの夜! 白は閉ざす空しい紙の上を
      守る洋灯の荒涼とした光も、
      また、みどり児に乳ふくませる新妻の姿も。
      私は立とう! 蒸汽船は風にその身を傾け
      異邦の風土へと錨を巻け!
      酷薄の希望に虐まれた倦怠は、なほ
      信じよう、ハンカチ―フ振る最後の別れを、
      恐らくはこの船も、宿命の嵐を呼ぶ海のゆくて、
      マストもなく、マストもなく、草茂る小島もなくて、
      風は絶望の破船の上を吹き過ぎるかもしれないものを・・・・・・
      しかし、おお私の心よ、聞け遠い水夫の歌を!

     これについて河田はいう。
     この詩に歌い上げられたものは何か。それは、題名によってあきらかのように、今はない青春の歌である。奇しくも、行数まで同じ十六行にまとめられている福永の「今はない海の歌」の世界は、マラルメの「海の微風」のそれとほとんど同じものである。たとえば同じ詩集のなかの「聖夜曲」について福永が<まるでマラルメ論のためのひとつのレポートのやうに何年もの間いじくりまわしていた>と記していることから分かるが、「今はない海の歌」は、「聖夜曲」以上にマラルメを意識して書かれたに違いない。(『福永武彦ノート』56~57頁)
     この詩の世界は、第二行、三行に見られるように、<大空と未知の水泡湧く央に、海鳥は酔いしれている>という世界である。それは<肉体と精神の倦怠から希望を彼岸に求める未来の世界>(鈴木信太郎「スティファヌ・マラルメ詩集考」)であり、福永の「海の旅」における憧憬の世界、理想の世界に通じるものである。(同右、53頁)

     たしかにこの詩は「今はない海の歌」に似ている。この「海」を河田は青年福永の「内部の海」とする。マラルメを下敷きにしたところもあったろう。
     他方、福永においては、「希望を彼岸に求める未来の世界」はあてはまるだろうか。あてはまらないと思う。
     福永は「知らぬ国へと船出した希望の船はもう帰るまい」とうたうのである。船が出ることは両方とも同じなのであるが、マラルメではどんなに小さくても希望が残るが、福永は、希望はないというのである。

     また、第二連で「海の深みにわたくしらの愛が沈んだ日から/いのちの旗は二度と風にひるがえることはあるまい」とうたう。福永の内部での絶望感を表現していることはあきらかである。それでは何ゆえの絶望か。

     ここまで来れば、「今はない海の歌」の前景は見えてきたであろう。この作品が、「海の微風」のパロディである可能性も見えてきたであろう。この詩は自由に読めそうであるということも。
 ○Haさん:「櫟の木に寄せて」について  
  • 1.詩を味わうこと、詩を論じることとはどういうことか?
    (1-1)『ボードレールの世界〈新編〉』(講談社1982年)の序で、福永は[ボードエールの]詩の読み方について以下のように書いている。:(A)「詩を読むために必要なことは、まず先入観なしに一編の詩を無心に味わい、その詩が直接我々の魂に訴えて来るものを感じ取ることである。」
    (B)「さてまず原作の詩を味わったあとで、それに関する註釈や原作に関聯のある文章を参考にすることは勿論必要である。その時、一般的に重要さの度合いを測るならば、(一)原作者の他の詩 (二)原作者の他の散文、書簡 (三)[原作者が読んだ]他者の書いたもの、その多くは先輩や同時代者の書いたもの (四)諸家の註釈、という順になる。」

    〇今回、(A),(B)に従って、「櫟の木に寄せて」の詩を読んでみた。
    上記(B)の「原作者」を「作者」に読み替えれば、日本語の詩の読み方になると考えられる。これを福永の「櫟の木に寄せて」に当てはめると、たとえば以下のようになると考えられる。:
    (一)福永武彦詩集、特に「死と転生」Ⅰ~Ⅳ;「夢百首」
    (二)①『櫟の木に寄せて』の「秋風日記」
    ② 自分の詩集についての福永の文章:「ある青春」ノート、マチネ・ポティック作品集第一解説、詩集に添へて 
    (三) 福永が詩作初期に読んだ詩集に限定:萩原朔太郎『氷島』、釈迢空『海やまのあひだ』、『マチネ・ポエティック詩集』の福永以外の人の詩、『象牙集』に収められたボードレール, マラルメ, ランボー, ロートレアモンの詩、ボードレール『悪の華』     
    (四) 菅野昭正 福永武彦詩集解説(岩波書店1984年)(「櫟の木に寄せて」の註釈ではないが、詩編「死と転生」についての解説が含まれている。)

    (1-2)
    (一) について特に「死と転生」を取り上げているのは、詩文集『櫟の木に寄せて』(1977年)の後記に、「昨昭和五十年の一夏をそれ[詩作]に割いて、この「櫟の木に寄せて」を書き上げた。「死と転生」といふ書きかけのまま中絶してゐる詩編のうちの一篇にしたいと思つてゐた」(全集13巻 、以下同じ、477頁) とあるため。
    また、「夢百首」を取り上げているのは、「櫟の木に寄せて」と同じ頃に作られ、歌集『夢百首 雑百首』の夢百首序に「久しく詩作を廃してゐるので、歌または俳句が私の内部の詩的情緒の表現を代行するのだらう」(全集487頁)とあるため。
    (三)についてこれらの詩集を取り上げているのは、
    〇「ある青春」ノオト(1948年)に以下の記述があるため。:
    ① 「萩原朔太郎の「氷島」が出たのは1934年、僕の一高に入学した年だった。僕は初めて、共感を持って、一冊の詩集を読んだ。」(全集457頁) 
    ② 「もし僕がボオドレエルやマラルメやランボオやロオトレアモンを知ることがなかったなら、僕は詩作を諦めたかもしれぬ。」(全集458頁)
    ③ 「ボオドレエルには最も多くを学んだ。一冊の「悪の華」ほど僕にとって貴重な書物はない。」(全集462頁)   
    〇 また「詩集に添えて」(1966年) に以下の記述があるため。:
      「その頃[1935年]釈迢空の「海やまのあひだ」を愛読してゐた」(全集465頁) 

    2.福永武彦の詩の制作時期と詩集 (「櫟の木に寄せて」の福永の詩全体における時間的位置)
    ① 1930年代・40年代:ある青春(1935-1943)『ある青春』1948
     夜 及び その他のソネツト(1943-1944)『マチネ・ポエテイク詩集』1948
    ② 1950年代:死と転生(Ⅰ~Ⅲ:1952、Ⅳ:1954;Ⅰ~Ⅳ改作:1956)
    ③ 1960年代:仮面(1961), 高みからの眺め(1962), 北風のしるべする病院(1964) ①~③ 『福永武彦詩集』1966
    ④ 1970年代:夢百首(1974/9-1975/2) 『夢百首 雑百首』1977, 櫟の木に寄せて(1975/夏) 『櫟の木に寄せて』1976                
                   
    3.「櫟の木に寄せて」 
    (3-1)構成・技法
    ① 詩は行アキなしの全85行から成っている。
    ② 行末での「て(で)ゐた」の多用(前半46行のうち、9行(20%)で使用) → リズムが発生
    ③ ・第75行「そして私は眩暈から醒め」で、行の前半を空白にする → 続く文章の強調
    ・なお、行アキなしの詩で行の前半を空白にするというこの技法は、福永の創造ではなく、福永の訳したマラルメの詩エロディアド(舞台)で(マラルメのフランス語の原詩で)用いられている。(全集254頁) 
    ④ 音を思い浮かばせる語句の使用:小鳥の囀り、子供たちのどんぐり拾いの歓声、櫟の木の無数の黄ばんだ葉が叫ぶ合唱
    ⑤ 映像を思い浮かばせる語句の使用:子供たちの甲蟲の幼蟲探し、どんぐり拾い

    (3-2)主題
    老年の智慧としての櫟の木の教え:
     第80行-81行「私は恐れつつ待つだらう或る夜突然葉といふ葉は落ち/しかもその同じ日に新しい生命の葉が一斉にそよぐのを」
    (全集118頁)
     〇主題に関連して、この詩が魂に訴えてくるもの :
    櫟の木が一晩ですっかり枯葉を落とし新しい葉を身につけている描写が死と転生(この場合は再生)を暗示していて感動的。
    第18行-19行「一晩ですつかり古い衣裳を拂ひ落し/上から下まで眩しいやうな緑を纏つて」(全集114頁)

    (3-3)福永の他の詩歌との比較
    ① 「夢百首」との比較
    冬の日という表題の一首:「一本の櫟の枯葉散りもせで身をふるはせて風にさからう」(全集429頁)→「櫟の木に寄せて」に発展
      第7行-9行「櫟の木だけは天辺から裾まで一面に/黄ばんだ枯れ枯れとした葉を鎧つたまま/北風を物ともせずに反身になつて唸つてゐた」(全集113頁)
    ② 「死と転生」との比較
    ・「死と転生」では転生については余りはっきり書かれていない。転生を示唆しているのは、Ⅰの第14行「ふたたび、ここにない生を生き(全集93頁)」とⅣの第25行「ものみなは四季とともに移り行く、人もまた。」(全集100頁)くらいか。
     ・それに比べて、「櫟の木に寄せて」ではもっとはっきりと転生(再生)について述べられているように思われる。
      第18行-19行「一晩ですつかり古い衣裳を拂ひ落し/上から下まで眩しいやうな緑を纏つて」 
      第80-81行「私は恐れつつ待つだらう或る夜突然葉といふ葉は落ち/しかもその同じ日に新しい生命の葉が一斉にそよぐのを」

    4.補足1:「死と転生」との比較についての補足
    (4-1)詩の行数と「死」、「生」の使用回数
        
    (4-2)語句の繰返しのいくつかの例
    ・「死と転生」
    Ⅰ 第1行「この誰が知らう、人は繰返して仮のいのちを眠り、」
      第4行「ひとり目覚め、天涯に手探る誰が知らう?」
    Ⅱ 第1行「この心、何ものもとどめ得ぬおちて行く限り、」
      最終行「今 火花の如く! おちて行く僕の心、何ものもとどめ得ぬ。」
    Ⅲ 第1行「思ひ出さう、遠い日に、僕は愛した生きる者を。」
      最終行「それなのに、遠い日に、僕は愛した生きる者を。」

    Ⅳ 第1行「僕は愛した幼い日に、無数の小さな生きものたちを。」

    ・「櫟の木に寄せて」
      第80行「私は恐れつつ待つだらう或夜突然葉といふ葉は落ち」
     最終行「私は恐れつつ待つだらうと」

    5.補足2:「肅條として」について
    ・書肆科野版の「櫟の日に寄せて」の第6行「肅條として」は「蕭條として」の誤植である(あるいは原稿で草冠なしの「肅」と記載されていた場合は誤記の可能性がある)ように思われます。
    ・福永が間違った言葉を使っていても、福永の慣用的な言葉使いだと理解して、そのまま受け入れたらよいのでは、という意見が例会で出ましたが、以下の理由で、この場合は単なる誤植の可能性が大きいと考えます。:

    ① 「粛條として」では詩の意味が通らない。
    ② 枡型普及版の福永武彦詩集のあとがき(1973年)で、福永は1970年に発行した小型本福永武彦詩集(フランス装と鹿革装)について、「実は誤植が幾つかあつて思ひ出しただけでも汗が出て来る。あれほど念入りに校正をやつて尚この始末だから情ない。その上、ぜひ修正したい言葉も一つある。従つてここで紙型に手を入れて普及版を出せば、今度こそ誤植の無い本が出来るわけだから、」(全集475頁)と書いている。過去に出版された福永の詩集にも誤植があったこと、福永は誤植が見つかれば訂正していたことがわかる。
    ③ 蕭條という言葉を福永は「桃源」という詩で「さればこそや灰色の空低く垂れ、野に蕭條の慈雨あれども、」として使用している(岩波版福永武彦詩集168頁)。従って、福永が「蕭條として」の意味で「肅條として」という語句を使うとは考えにくい。
    ④ 蕭條」という言葉は、福永が愛読した萩原朔太郎の『氷島』の「国定忠治の墓」に「冬の蕭條たる墓石の下に」として、また「帰郷」の詩篇小解に「家に帰れば、父の病とみに重く、万景悉く蕭條たり」として使用されており、この言葉に福永はなじみがある。
 ○Miさん:
  • Ⅰ.詩篇(文学)研究の基盤に関して。
     福永武彦詩篇の初出誌には、手にすることが難しい多くの稀覯雑誌を含んでいる。ただ、現在では復刻本や電子媒体で読める雑誌もあり(「一高校友会雑誌」、「近代文学」、「高原」など)、オリジナル原本に拘らなければ、初出形を一応確認することはほぼ可能である。しかし、一高弓術部発行の雑誌「反求會々報」(「ひそかなるひとへのおもひ」)と東京療養所内で発行された「群青」(「死と轉生」Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ)の初出形を確認することは、今でも極めて難しい。ともに、国立国会図書館にも東京大学図書館その他にも所蔵されていないし、復刻もされていない。福永詩篇を全体として論じようとする研究者には、この2誌の閲覧が高い壁となっている。
    源高根「岩波書店版『福永武彦詩集』後記への疑問」(「藝術論集」№1 1984.10)で示された「私見による校訂」を踏まえた論文が皆無なのも、上記の理由によるのだろう(源が、その校異作成に参照した福永武彦自筆ノオトは言うに及ばず)。
     詩句の厳密な対照(校異一覧作成)は、詩篇研究の基盤である。これは小説作品でも原則同様であるが、こと詩篇に関して、このことに異論はないだろう。従って、34年前に発表された上記源論文の校訂に対する検討からまず始めなければならないのだが、現状はあまり進んでいない。
     つまり、源論文の校異にしても、それを前提に鵜呑みにできるものではないのは、論中の<ノオト2>の作成年代を、岩波版「後記」の記述ソノママに1952年とした大きな誤りがあった(正しくは1942年)こと、これは和田能卓「『ある青春』以前に―詩集「MOURIR JEUNE」」(『時の形見に』 2005)に指摘された通りであり、当然その校異も修正されねばならない。また、私がザッと各初出誌を対照した範囲でも、源作成の校異には脱落が相当数ある。ただ、そのミスや抜けの認識はまだ研究者の間でも共有されておらず、依然として敲き台としての意義は有している。
    またそれとは別に、源が上記論文で参照している文献のうち、福永武彦自筆詩稿<ノオト1>、<ノオト2>に関して研究しようとする者は、自ずから文学研究の範囲から逸脱した、法的な問題に逢着せざるをえない。その理由を説明することは、結局は詩篇研究の進展に寄与するところもあると思うので、私自身が把握している、その詩稿の所在の変遷に関する「事実」を、これからキチンと公開していくつもりである。源が2部だけ個人作成した<ノオト1>の写真版の1冊が、この夏、大阪の近代資料の特別市会に出品されて話題を呼んだことを、ここでは記しておく。
    私は、もう20年以上前から(=当会設立当初から)、福永武彦研究の現状として「基本資料の蒐集と公開」が必須の状況であり、資料の探索そのものが、研究の重要な一側面であることを力説してきた。しかし、いまだにその「資料蒐集の重要性」が研究者の間でさえ共有されず、自ら資料探索に汗を流している研究者はごく僅かなこと、つまり、その結果として詩篇研究が根本的に進展していない現状に、自らの力不足を実感しており、ある種忸怩たる思いをも抱いている。ますます声を高めて「資料の蒐集と公開」を訴えていくことを決意している。

    *今例会での、Saさんの小発表は、この源論文に啓発されて「福永武彦詩集」の幾つかの謎に関して、自らの推論を述べた実に興味深い内容であった(『時の形見に』掲載の自筆詩稿「鉄橋にて」の後の2ページが空きページであるのは何故かなど)。ただ、多くの初出雑誌や北海道立文学館所蔵の資料を実見していないため、資料の裏づけに欠け、論が中途半端に終ってしまった点が惜しまれる。ぜひともこの研究を継続していただきたい。

    Ⅱ.「散文詩二題」について。
     「美術手帖」1951年10月号(美術出版社)には、「散文詩二題」として「その一 母と子」と「その二 果物の味」なる散文詩が掲載されている。題名の後に、夫々「Rattner, Mother and childに拠る」、「Borés,The savon of fruitに拠る」と明記され、絵画の白黒写真が同時に掲載されている。2篇の散文詩が、これらの絵をモチーフにしていることは明白である。(下図:ラットナー「母と子」)
  •  ところが、この「散文詩二題」は『福永武彦詩集』には収録されておらず(全ての麥書房版、高等学校時代の習作や小説中の詩篇まで収録した岩波書店版にも未収録)、何故か第一随筆集『別れの歌』(新潮社 1969)に収録されている。それも「~に拠る」という説明書きと、その絵画を省いて。同随筆集の「清瀬村にて」という過去の回想文中の1篇として収録されているのだが、しかしどう読んでも、この2篇は所謂随筆文ではない。
     推察するに、当時既に5年の長きに渡って療養所に起居していた福永が、自らの内面風景を正直に吐露した内容となっている一文ゆえに随筆集に収録したのだろうが、しかし、鋭い形式感覚を持ち、その著書を編む際にも、随筆集、評論集、全小説、或は推理小説と別々に著書を纏めた福永にしては不可解である。
     むしろ、福永の「随筆」というものは、単なる客観的事実の正確な報告文なのではなく、内面の真実の吐露という点に特色を認めるべきなのかもしれない。その意味で、2年前にその随筆集『別れの歌』を例会で採り上げた際にも言ったことだが、福永随筆を「事実ソノママ」と思って安易に引用すると、とんでもない間違いを犯すことになるだろう。
     それにしても、この「散文詩二題」は『福永武彦詩集』に収録してもよかったのではないのか。
【当日配付資料】
 ①『福永武彦詩集』メモ          A4片面5枚
 ②「『櫟の木に寄せて』についてのメモ」  A3片面1枚
    ①Sa、②Ha

【回覧・閲覧資料】
  • ①『福永武彦詩集』(麦書房 駒井哲郎銅版画入り限定50部3分冊本のうち2番本 1966)
    ②『リルケ全集 第4巻(ドゥイノ悲歌)』(弥生書房 富士川英郎訳 1961)
     *福永武彦宛、富士川英郎ペン署名入り。今年7月、けやき書林より入手。
     この種の資料が古書市場に多く出ていることさえ知らぬ、資料に無関心な研究者からのあらぬ疑いをさけるため、これからは福永武彦・中村真一郎宛署名本の類は、すべて入手先を明記する。
    ③『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館 富士川義之 2014)
     *上記②を贈られた福永が富士川に宛てた2枚続きのはがきが全文紹介されている。例会で、そのはがき文面を全文朗読して紹介。
    ④『リルケ』(新潮社 アンジェロス著、富士川英郎訳、菅野昭正 1957)
     *中村真一郎宛、富士川英郎ペン署名入り。ほぼ全頁に鉛筆や色鉛筆でラインや書き込みあり。田村書店より入手。
    ⑤『時の形見に 福永武彦研究論集』(白地社 2005)
     * 福永資料発見の経緯を説明した際に使用。
    ⑥『廃市』(小学館P+DBOOKS 2017)
     *底本を全集本ではなく、元版(初版本)としている点が特色。
    ⑦「美術手帖」1951年10月号
     *福永の散文詩2篇が掲載。何故か『福永武彦詩集』には収録されず、随筆集『別れの歌』に収められている。
    ⑧『葉っぱのフレディ いのちの旅』(童話屋 1998)
     *『櫟の木に寄せて』ソノママというベストセラー童話。

  •  ①~⑦:Mi、⑧:Ma
◇第164回例会以前の例会報告
  例会報告のページをご覧下さい。

 
  

  •  福永武彦研究会  三坂 剛   メール misaka@siren.ocn.ne.jp
                      Fax  044-945-0666




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