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福永武彦研究会・例会報告(3)

第90回(2005年7月)

第90回例会 報告(2005.7.24)

7月例会 報告
日時 7月24日(日) 14:00〜17:00
場所 北沢地区会館 第3会議室

内容:研究発表
@「覚書と余談 3」ガストン・バシュラール『ロートレアモン』の余白に  発表者 渡邊 啓史
 *渡邊氏自身の詳細な報告は、前2回と共に、今回同時にお送りした「会報 第18号」に掲載されています 。
A「福永武彦の笑い」について  発表者 倉持 丘
「福永武彦の<笑い>について」は、福永の意外な一面(ブラックユーモア―『冥府』の場合―)を明らかにしようとしたつもりである。その意味で「高原奇聞」を取り上げてみた。
私は人前で話すのが苦手である。それでも発表を試みたのは、福永文学の研究を盛りあげようと考えたからにほかならない。
 *近藤圭一氏によるコメントは、下記参照。
B「福永武彦交遊録 其ノ壱」  追悼・萩原葉子 発表者 三坂 剛
「父に似ている」と福永を好きな男性だと公言した萩原葉子。その切実なギリギリの文章に私は惹き付けられた。
萩原さんが亡くなった今、お宅に伺った際のことを公開し定着しておくこと、それは私の使命である。
 *三坂のレジェメ・佐藤 武氏によるコメントは、下記参照。
C『夢の輪』をめぐって  発表者 近藤 圭一
 *渡邊啓史氏によるコメントは、下記参照。

 *8月の例会は休み。今回の案内と同時に「会報 第18号」発行 文責・三坂

福永武彦研究会 定例会 発表(横書き Ver.)
2005年7月24日(日) 14時〜 北沢地区会館 第3会議室 発表者 三坂 剛(MISAKA takeshi)

福永武彦交遊録 其ノ壱 追悼・萩原葉子


@ 二人の出会い
A 福永による『天上の花 ―三好達治抄―』への評価
 【資料】 
・『初めての季節』(随筆集 83年7月 海竜社)「さりげなく見守ってくれる人」全文コピー
 関連資料 ・福永武彦自筆短歌  「全小説 第1巻」扉にペン書き コピー
 「かすかなる驚きありて栗の実の/落ちたるかたへ四五歩あゆみぬ/武彦」
・『天上の花 ―三好達治抄―』(小説 66年6月 新潮社)「書斎の思い出」該当部分コピー
・「小説家 萩原葉子展 図録」(00年8月 前橋文学館)より 福永武彦2枚続き葉書 コピー 
  福永に会う際には、乙女のように恥じらい、堀多恵子さんに取り持ってもらう萩原葉子。その対人関係のぎこちなさに、朔太郎の残影を見る。小説に「父に似ている」と書かれた福永の気持ちを察すると興味深い。 萩原宛葉書では、福永が小説『天上の花』を高く評価しており、中でも萩原が「まったく私の想像から創った」という「逃避行―慶子の手記―」に「並々ならぬ才能」と賛辞を送っている点に、福永の小説観が露呈している。

2 萩原葉子さん宅での半日
【資料】 ・萩原葉子の三坂宛自筆書簡(鉛筆)・葉書(ペン) 
・萩原葉子自筆、自宅案内地図(Fax送信)
 A3表裏 白黒コピー(書簡・地図 ×0.81/葉書 実寸) 
 関連資料 ・福永武彦自筆、自宅付近地図  成城駅より自宅までの略図    コピー
 2002年10月5日(土)夜、萩原葉子さん宅を初めて訪ねる。送信していただいた詳しい地図のおかげで迷わず。早速トレパン・Tシャツに着替え(持参)、半地下のスタジオで、ダンスの先生に合わせストレッチを30分少々。レオタード姿の萩原さん、身体柔かい。それに比べて、40歳ほども若いこちらは、硬い身体でヒイヒイいう。「あなた、いいほうよ。もっと、続けたら?先日の編集者なんか、ゴロゴロ転がっていただけ」。その後、20時〜22時まで色々話す。福永色紙、葉書等見せていただく。福永作品では『海市』がお好きな様子。Faxを自在に使いこなされている。至福の時。
22時過ぎに行きつけの居酒屋へ行き、歓談(カウンター左隣りに座る)。萩原さんは殆んど召しあがらない。私が下戸と知って「それじゃ、あなたどんどん食べて」。喜んで頂く。「萩原さん」ではなく「葉子さん」とお呼びする。「父がね、」と遠くを見つめながら話しだされると(この眼、写真で見る父親そのもの!)「おお、朔太郎か」と、わかっていても少々感動する。「父のことを今書いているので、それが終わったら福永の会でお話させて」。23時半過ぎ、駅前でお別れする。
2日後(7日)夜、電話をいただき、年譜作成や書簡整理の件約束するも、その後こちらの介護事業忙しくなり、また山口瞳に関心が広がり時間なく、結局約束は果たさず。心残りなり。ただ、萩原さんが「仕上げたら」と言っていた「朔太郎とおだまきの花」が脱稿していたという知らせ(萩原朔美「母・萩原葉子を悼む」 読売新聞 05年7月5日 夕)にやや心安らぐ。(2では「萩原さん」と記す)

3萩原葉子を知るために
@萩原葉子自筆資料
【資料】  
・自筆草稿「あがり癖」 鉛筆書き 400字×4枚完 A3表裏 白黒コピー(×0.81)
 『仮面舞踏会』(随筆集 80年3月 中央公論社)所収
私の確認した限り、萩原は原稿を必ず鉛筆で書いている。「納得いくまで、消して書き直しができるから」という理由である。初出は未詳だが、この原稿と『仮面舞踏会』所収の本文と比べると、細かに手を入れていることがうかがえる。この「あがり癖」を読むと、福永研究会で講演ではなく「皆で話あいを」と言っていた萩原の言葉が納得できる。
A著作
【資料】 ・「萩原葉子・著作一覧表」 
39歳で作家生活に入り、45歳でダンスを初め、65歳でオブジェ制作に挑戦した萩原のモットーは、「出発に年齢はない」(同名のエッセイ集もある)。「書いて、創って、踊る」を貫いた萩原の仕事の幅は広いが、ここでは「小説家 萩原葉子」に絞って代表作を挙げておく。
・『父・萩原朔太郎』(エッセイ 59年11月 筑摩書房) 「あとがき」室生犀星 装幀 舟越保武
・『木馬館』 (小説 64年10月 南北社) 装幀 池田満寿夫 題字 草野心平
・『天上の花 ―三好達治抄―』(小説 66年6月 新潮社 )
・「蕁麻の家」三部作 『蕁麻の家』(小説 76年9月 新潮社)
 『閉ざされた庭』(小説 84年2月 新潮社)/『輪廻の暦』(小説 97年1月 新潮社)
・『置き去りにされたマリア』(小説 89年8月 読売新聞社)
・『パ・ドゥ・シャ ―猫のステップ―』(小説集 01年12月 集英社)
【参考】
福永・萩原が参加した以下の座談は、両者文学理解に多くの示唆を与えてくれる。
・座談「母と子・肉親愛の成長<ある女学生の手記 “継母と異母妹と私”をめぐって>」
 福永武彦・萩原葉子・船木衛司(旧約研究者)・三木陽子(聾学校教師)座談会
 「婦人之友」1963年5月号(22頁〜35頁)
衷心より、萩原さんのご冥福を祈ります。

* 2005 年 7 月 24 日 第 90 回 例会発表へのコメント
@「福永武彦の笑い」について  近藤 圭一 
 今回の倉持さんの發表は、其の主宰する『るう゛ぁん』14号に掲載した「福永武彦の笑い」なる同名の文章を基にしたものであった。元の文章が短いものなので、夫れをなぞり乍ら少し補ったと云う可きだろうか。
 扨て、其の文章は、まづ第一に近年發見せられ『未刊行著作集』に收録せられた『高原奇聞』を取り上げ、次いで『風土』から「笑い」の要素を指摘し、次に漱石の作品の中から「笑い」の要素を抽出、それは落語伝来のものであるとし、最後に福永は漱石の影響を受けている上に十返舎一九に親炙しているところから、「福永と一九の文學は、笑いの面で、通底するものがあ」り、「意外と日本的なユーモア作家の一面があった」と結論づけたものである。
 小生は面白みも何も無い無趣味な者故、斯かる「笑ひ」のことなぞ頓と疎く、概畧を報告する以上の語る可きものを持ち合わせて居ない。ただ、『未刊行』の解題にわざわざ書かれなくても『高原奇聞』が「滑稽小説」であることはわかるし、余り論ぜられないが福永には漱石の影響が多分にあるだらうとも思ふ。夫れで、今回の倉持さんの着眼は此の方面に昏い小生には正に「意外」なものであつたが、発表の際には若干補足せられたと雖も、上記の概要の通り元々の文章は些か断片的な嫌いがあるので、もし可能であれば、福永文学に於ける「滑稽」の要素と其の価値を全面的に檢證し、一九や漱石の文学との有機的連関性に就いて論ずれば、一層啓蒙的なものになるだらうと信ずる。

A 福永武彦交遊録―其ノ壱 追悼・萩原葉子―を聞いて   佐藤 武
 三坂 剛氏の「福永武彦交遊録」がはじまった。多彩な資料のコピーを有効に使って、三坂氏の語り口は、いつも乍ら見事なものである。今回は、突然他界された、萩原葉子さんにお会いした経緯を交えての話で、聞き手を魅了させる内容であった。
 そういえば、2003年、山崎剛太郎氏に講演をお願いした前後だったと思うが、萩原葉子さんにも来ていただいて、福永武彦の思い出を語ってもらいたいと、三坂氏が言って居られたことを、私は覚えている。が、三坂氏は2003年より早く、2000年に萩原さんと連絡を取っていたと云う。そして萩原さん宅を訪問したのが、2002年10月であった由。萩原さんから三坂氏への書簡や葉書のコピーを見る。ファックスで送ってきた萩原さん自作の自宅案内図は猫が随所に描かれた、楽しい地図であった。三坂氏歓待の様子も聞いた。その夜の萩原さん宅の状況が目に見えるようだった。
 次に、「あがり癖」と題する萩原さん自筆草稿のコピーも配られる。これを見て、萩原さんが講演よりも、懇談会形式を望んでいた意味が、よくわかった。
聞いていて私は、福永の随筆集のなかに「講演嫌い」があったことに思い当たった。帰宅して調べてみると、福永の第四随筆集『夢のように』のなかにそれはあった。萩原さんは人前での「あがり癖」、福永は「厭人癖」と、それぞれ自己分析をされていて興味深い。
 萩原さんが三好達治を描いた『天上の花 三好達治抄』を福永が絶賛していた話(福永から萩原葉子宛の葉書2枚つづきのコピー)、また同書で萩原さんが三好達治から「美男子は誰か」と問われ、父朔太郎に似ていると云う理由もつけて、福永武彦と即座にこたえ、三好達治から賛成を得た話など話題は尽きない。
 A3判4枚、A4判2枚の裏表にギッシリコピーされた資料は、これ以上はないと思われる、目配りの行き届いたものであった。萩原さんが亡くなられて非常に残念ではあるが、「福永武彦交遊録」の第一回に、追悼・萩原葉子として取り上げたことは、まさに時宜を得たものと言えよう。
 更に三坂氏は、「萩原葉子著作一覧表」を作り配布してくれた。これもまた貴重な資料で有難く頂いた。
 この交遊録シリーズには、次回以降誰が採り上げられるのだろうか。堀辰雄、中村眞一郎は別格として、加藤道夫や神西清、野村英夫等考えてみるだけでも楽しくなってくる。正面から福永の作品を論じるだけでなく、友人、知己などの証言を交えての側面からの検討は有意義なものである。
これからの交遊録の広がりを期待したい。

B 円環を閉じるもの または 見出された「夢」 渡邊啓史
 本研究会事務局長の近藤圭一さんは、最近、勤務する大学の紀要に「『夢の輪』をめぐって ---「ロマン」の系譜とその円環を越えたもの ---」と題する論考を発表し (聖徳大学研究紀要 人文学部 第 15 号, 2004 年 12 月)、第 90 回例会では、その内容を報告された。既に一部の会員諸氏は御存知のことながら、この数年、近藤さんには御家族の御病気、御不幸が重なり、現在も介護に携わる。そうした困難の下で一篇の論考を纏めることは容易なことではなく、先ずは、その完成を率直に喜び、労をねぎらいたい。しかしまた研究論文は、書き手の個人的事情とは別のところで読まれ、評価されるべきものであるから、ここでは例会報告として、以下に所説の要点を紹介した上で、いくつかの感想を記しておきたい。
 今回の論考の主な主張は、概略二点、第一に、未完の長篇『夢の輪』は『独身者』を継承し、その挫折を乗り越えるべく構想された作品であったこと、第二に、この『夢の輪』が『風土』に始まり『死の島』で閉じる「一つの円環」を越えた、それ以後の「別の仕事」となるべきものであった、というものである。その主張を導く根拠は、整理すれば以下の三点である。
 第一に、登場人物の数。福永の作品としては珍しく『夢の輪』には多くの人物が登場するが、そのような「パノラマ」的群像を描こうとした作品は、過去に『独身者』のみであること。
 第二に、1960 年に書かれた Martin du Gard ついての随筆「RMG の青春小説」で、福永は『チボー家の人々』の『独身者』への影響に触れ、執筆再開を示唆しながら(「もう一度黴くさくなつた『獨身者』の原稿を引張り出して、プランを練り直しても大丈夫なやうだ」)、その年の夏に『夢の輪』を書き始めていること。
 第三に、『独身者』は完成を断念し、1975 年に未完のまま出版されるのに対し、『夢の輪』については、晩年 1977 年の対談でも、完成への意欲を語っていること。
 周知の通り『夢の輪』の構想については、作者自身に「心の中を流れる河」に扱った素材を「ときほぐし」組み立て直して、という発言があり、また Faulkner の連作、所謂 Yoknapatawpha saga の念頭にあったことへの言及もある。そこで、今回の論考で、近藤さんが『夢の輪』の『独身者』との関係に注目されたことは、『夢の輪』を改めて、その「ロマンの系譜」の全体に於いて位置付けるものであり、更には福永の「長篇志向」を、より広い視野で捉え直す可能性をも示唆するもので、重要な指摘であると思われる。しかし、そこから直ちにこの作品を『独身者』の書き直しとすることには、いささか無理があると思う。
 第一に、『独身者』と『夢の輪』とで「輪」の構造が似ている、といった指摘はあるものの、実質的には内容に立ち入らず、論証を上述のような間接的な事柄に依存している。あれほど方法に意識的であった作家の作品を論じるのに、登場人物の数が多い、といった類似は、推論の根拠としては弱いだろう。問題は、人物の数もさることながら、それらの人物が、如何に造型され、如何に動かされているか、といったことにあるはずである。1944 年の『独身者』から 1960 年の『夢の輪』までの間には、50 年代のさまざまな実験的な中・短篇小説があり、それらの作品を通しての、主題の深化、技法の獲得といったことも、当然考慮されるべきものである。その意味で、今回の論考は、やや議論が粗く、論証に説得力を欠く印象を否めない。
 第二に、推論の根拠の扱いについても、選択に偏りがあるように思われる。上述の、作者自身の「心の中を流れる河」や Faulkner の作品との関連についての発言には殆ど言及がなく、また『独身者』についても、Martin du Gard の影響という作者の発言は引用しながら、作者自身が「『独身者』後記」に述べた、Gide の『贋金づくり』や Huxley の『対位法』の影響という面には触れない。こうした発言や記述について、その前後の文脈や背景を考慮する必要のあることは言うまでもないが、それにしても、このような扱いは、自説に都合の良いところだけを抜いているような印象を与えないだろうか。
 ちなみに、余談ながら『独身者』に於いて、一方で Martin du Gard の影響、他方で Gide と Huxley の影響という作者の発言を整合的に説明することは、それほど難しいことではないように思われる。『独身者』を一読すれば、人物の設定や大河小説としての枠組みについて、『チボー家の人々』の影響は殆ど明らかだろう。しかし、作中人物の「日記」の扱い(九章、小説の「二重化」)には Gide の、また前章の終りに言及された人物の視点で次の章が始まるといった進行や、一つの言葉が複数の人物の内面に引き起こす印象を順次描写するといった手法 (六章、時間の並列・同時進行) には、Huxley の反映を見ることが出来る。そこで、可能な一つの解釈は、物語の枠組みや人物の設定については Martin du Gard の、しかし物語の進行、展開については Gide や Huxley の技法の影響がある、ということではないだろうか。いずれにせよ、従来の『風土』は Gide、『独身者』は Martin du Gard といった安易な図式化は、粗雑に過ぎると思う。
 第三、1982 年の、菅野昭正、源高根、両氏の対談(解釈と鑑賞 82 年 9 月号)で、源氏は『夢の輪』の『忘却の河』への「橋渡し的な役割」を指摘し(「『夢の輪』は完成しなかったが、『夢の輪』を試作したことによって、『忘却の河』以後の長篇小説家としての福永さんが生まれたような気がするんです」)、菅野氏も概ねこの見解に同意している(「『夢の輪』はある意味では『忘却の河』の瀬ぶみになったとも言えそうですね」)。素直に考えて、これは今回の論考の主張とは立場を異にする見解と思われるが、こうした見解について批判も反論もない。この対談そのものは、文末の注に文献の一つとして掲げられているだけに、言及を欠くことを、残念に思う。
 いま仮に、源説に従えば、未完ながら『夢の輪』は、結果的には既に一定の役割を終えた作品ということになるだろう。作者の没後、未完の作として残され、しかも作者が晩年に至るまで完成に意欲を示していたとなれば、如何にもそれが、以後の「別の仕事」の端緒であったかに見える。しかし源説を採れば、それは作者にとって、もっと早い段階で完成していたはずのもので、構想も出来ていることなので早く片付けてしまいたい、と云うことだったのかも知れない。その場合には『夢の輪』は、「円環を越えたもの」ではなく、円環を閉ざすもの、或は、閉じた円環の完成を仕上げるものである。
 結局のところ、今回の論考で考察の拠りどころとしている論点は、実は、一見そう見えるほど強固なものではないように思われる。どうも近藤さんは、少し結論を急ぎ過ぎたのではないだろうか。未完の作品について、正確に検討できることには限界があるだろう。しかしそれにしても、一篇の構想や位置付けの基本的な解釈に、あまりに無理があれば、その上に説得力のある議論を組み立てることは出来ない。『夢の輪』を『独身者』にまで遡って捉え直すのであれば、結論を急がず、Gide や Martin du Gard ばかりでなく Huxley や Faulkner なども視野に入れた上で、その「ロマンの系譜」を、注意深く検討することが必要だったのではないだろうか。
 やむを得ざる事情とはいえ、今回の論考は、必ずしも書き手の力量を十分に発揮したものではないと思われる。更なる研鑚を期待したい。なお近藤さんは、福永所縁の地であり、物語の舞台「寂代」の原型ともなった北海道帯広市に於いて、本研究会地方例会を開催することを自ら企画、これが去る 2002 年 8 月、現地関係者の方々の御協力を得て成功裡に実現したことは、今なお記憶に新しいが、今回の論考前半では、その際の現地調査の成果も踏まえ、福永の帯広時代を、一節を割いて紹介していることを特に付言しておく。今回は簡潔な記述ながら、これについてもいずれ、更に本格的な「寂代」論の現れることを願う。
 以上は内容の性質上、いささか立ち入った報告になったが、『夢の輪』の評価、位置付けについては、なおさまざまな考え方があろうかと思う。発表者の励みになることでもあり、関心をお持ちの会員諸氏は、一般読者と研究者の別を問わず、広く御意見・御感想をお寄せいただきたく、この場を借りてお願い申し上げる。

以 上


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